選択と相対 ヒュームと因果推論
第4回 相対・相関がもたらした知的転換

統計学、量子力学、ポストモダン思想、ディープラーニングは、一見異なる分野でありながら「客観的な実在の不定」と「観測者の関与」という共通の視点を持つ。その源流には、経験論を唱えた哲学者ディビッド・ヒュームの思想がある。
目次
統計、量子、ポストモダン、ディープラーニング
統計学の確率論的な相対性、量子力学の不確定性、ポストモダン思想の主体の流動性は、異なる分野に属しながらも、「客観的な実在の不定」と「観測者の関与」という考えを共有する知的潮流──本稿でいう世界への姿勢──にある。こうした知的潮流の源泉には、18世紀スコットランドの哲学者、ディビッド・ヒュームの経験論が深く関わっている。
ふたたびパールの著書から引用しておこう。
ヒュームは規則性説では、「事象Aが常に事象Bと同時に起きるということが何度も繰り返されれば、一方をもう一方の原因だと言っていい」と言っていた。──中略──この(引用者注:規則性説の)欠陥を修復しようとして、彼は『人性論』の時点では暗示すらしていなかった、反事実的な第二の定義を追加した。彼は「第一の事象がなかった場合、第二の事象は決して存在しない」関係にある二つの事象を因果関係と呼ぶ、と書いたのである。
『因果推論の科学』
ヒュームの定義は反実仮想に及んだにもかかわらず、それは受け継がれなかった。
ところが哲学者たちは、ヒュームの第二の定義を無視した。一九世紀から二◯世紀の大半にかけてそれが続いた。「そうだっただろう」というような反事実的な記述は、どうやら学者たちにとってあまりにも優柔不断で不明瞭に思えたようだ。哲学者たちは、ヒュームの第一の定義を──中略──確率論的な因果関係の理論によってどうにか救い出そうとした。
『因果推論の科学』
ヒュームは、因果関係の観念は事象の連続性から生じる「心的習慣」にすぎないと結論した。すべての前提は経験の集積から導かれ、普遍的・絶対的な真理の存在も保証されないとする彼の懐疑論は、広く受け入れられるようになった。この考え方は、科学や技術の発展を支える大英帝国の思想として広まっていった。