テクノロジーはイデオロギーから遠く離れて ポストモダンからポストヒューマンの時代へ
第4回 ジェンダー論争と道徳のゆくえ

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

ジェンダーと道徳をめぐる議論は複雑さを増している。フェミニズム倫理学やポストモダン〈理論〉は、性差やアイデンティティを「社会的構築物」として問い直し、多様性を重視する一方で、生物学的知見を軽視する危うさも指摘される。クリッツァーやプラックローズらの議論を通じて、道徳と科学がどのようにイデオロギーに影響されるのか、その構造に迫る。

 

目次

男女にある傾向的な違い

生物学はイデオロギーより劣位か

科学がイデオロギーに奉仕する危うい構造

 

 

 

 

男女にある傾向的な違い

 

『21世紀の道徳』でクリッツァーが注目するのは、フェミニズム倫理学である。フェミニズム倫理学は、クリッツァーによれば伝統的倫理学が無視してきた「ケア」と「共感」を道徳的な基盤に据え、具体的な人間関係や文脈を重視する。特に女性の経験やジェンダー不平等を分析し、公正で平等な倫理的実践を追求するものだ。
ジェンダーそのものを「後天的に社会や文化によって備わったもの」だとしても、生物学的な性差までも「後天的に社会や文化に」よるものだとする〈理論〉に違和感を示す。多くのフェミニストが男らしさや女らしさに「自然(先天的)」な要素があるかもしれないことを否定する。それなのに、こうした「らしさ」や男女それぞれの「役割」が社会的に構築されるものとして、どのようなプロセスを経て内面化されていくのかについて説得力のある議論はなされてないとクリッツァーはいう。男女にある傾向的な違いが生物的な決定論ではないことに注意を促しつつ、個々の違いや多様性を受け入れたうえで、発生しうる傾向を客観的にとらえる重要性を述べているのだ。
ジェンダーや人種が「社会的な構築物」つまり後天的に社会や文化によって備わったものという考えを思想や社会科学に持ち込んだのはポストモダンの〈理論〉である。
そのことを真正面から論じたのが『「社会正義」はいつも正しい 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて』(ヘレン・プラックローズ、ジェームズ・リンゼイ著/山形浩生、森本正史訳/早川書房)である。バクーニンのマルクス批判を紹介しているのもこの書籍だ。
本書の著者、著述家であるプラックローズと数学者であるリンゼイは哲学者のピーター・ボゴシアンと社会学系学術誌に虚偽の論文を投稿し、受理・掲載させるというスキャンダラスな「不満スタディーズ事件」で有名だ。このデタラメな論文はポストモダンの〈理論〉を引用して執筆され、20本中7本が専門誌の査読を通過している。ちなみに、なぜ〈理論〉と〈〉付きかといえば、『「社会正義」はいつも正しい』の表記に従ってポストモダニズムから派生した社会哲学の取り組みを指している。
それら論文がどれだけデタラメかといえば、本書の帯を見ればよい。「男性の肛門を性具で貫くことでトランスフォビアを治す」、「フェミニズムの用語で書き換えたヒトラー『わが闘争』」といったものだ。このほかにも「ペニスは実在せず社会構築物である」といった内容のものもある。

 

「社会正義」はいつも正しい: 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて
ヘレン・プラックローズ, ジェームズ・リンゼイ 著, 山形 浩生 , 森本 正史 訳
早川書房
ISBN978-4152101877

 

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