「名もなき者」たちのマシーン
第3回 江戸とメタバース──アバター文化が示す多重性と多様性の可能性

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

現代社会は能力主義(メリトクラシー)が支配する一方で、神経構造の多様性(ニューロダイバーシティ)に基づく個性が新たな創造性を生んでいる。江戸時代の「別世」に見られる分身文化は、現代のアバターやメタバースと重なり、多様な個性を包摂する公共圏を形成していた。弱さや非定型性をテクノロジーが支え、社会を豊かにする可能性を探る。

 

 

目次

ニューロダイバーシティVS.メリトクラシー

テクノロジーがもたらした新しい公共圏の意義

 

 

 

ニューロダイバーシティVS.メリトクラシー

 

中山の『クリエイターワンダーランド』で紹介されていたことで手にとり示唆を受けた本が2つある。ひとつは『江戸とアバター 私たちの内なるダイバーシティ』(池上英子、田中優子著/朝日新書)であり、もうひとつが『マイノリティデザイン─弱さを生かせる社会をつくろう』(澤田智洋著/ライツ社)だ。
『江戸とアバター』はアバター(分身)をもつという文化そのものが、すでに江戸時代からあり「別世」というマルチバースを彷彿させる考え方で、さまざまな名前を使い分け俳諧という二次創作に興じるコミュニティを形成したことを論じながら、現代社会から疎外されている「非定型インテリジェンス」を取り込んだ「ニューロダイバーシティ(神経構造の多様性)」の重要性に言及される。
発達障害などを抱える人たちの神経系は健常者とは違いがあるだけで症状として区分すべきではないと池上はいう。そこには個性の違いのみがあり、それが多様性を生んでいるのだと。「非定型インテリジェンス」こそ、ここ最近の記事でとりあげてきた能力主義社会(メリトクラシー)の単一的な数値化の基準からこぼれ落ちる知性や技能のことだ。
池上はニューヨークに拠点をおく歴史社会学者として江戸時代における芸能を通じた公共圏を研究するなかで、江戸庶民のあり方に欧米風の個性では計りきれない分身性を見出し、そのなかに健常とは言えない人々の個性がいかに包含されていったのかを知る。
わたしも前々回、江戸時代について「社会的弱者とみなされる人々も、当時の身分制の枠内で一定の役割を果たし、生計を立てる道が制度的・慣習的に保障されていた」と述べておいたが、池上もウェブ空間でさまざまなアバターと交流するなかで、自閉症スペクトラムなどの多様な個性をもつひとたちの公共圏と江戸庶民のそれとの共通を見つけていった。

 

江戸とアバター 私たちの内なるダイバーシティ
池上英子、田中優子 著
朝日新書
ISBN978-4022950628

マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう
澤田智洋 著
ライツ社
ISBN978-4909044297

 

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