「名もなき者」たちのマシーン
第2回 ボーカロイドが切り拓いた音楽革命

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

ボーカロイド(VOCALOID)は、既存の音楽ビジネスの枠を超え、マイノリティをエンパワメントした。初音ミクをはじめとするバーチャルシンガーは、ネット文化と結びつき、アマチュアクリエイターに活躍の場を与え、その流れは米津玄師やYOASOBIといったボカロP出身アーティストの世界進出にも繋がっていく。テクノロジーが個性と多様性を解放し、新たなクリエイティブを生み出す可能性を探る。

 

目次

音楽ビジネスの外から登場した才能たち

J-POPインヴェイジョン

マイノリティとテクノロジーが手を結ぶとき

 

 

 

 

音楽ビジネスの外から登場した才能たち

 

ビジネスのロジックを逸脱して、マイノリティをエンパワメントしたテクノロジーとして、わたしがすぐに想起するのはボーカロイド(VOCALOID)である。ヤマハが開発した音声合成技術である。ボーカロイドはゼロ年代初頭に製品として発売された。今では「ボカロ」という略称のほうが有名だろう。
ボカロは、サンプリングされた人声をもとに歌声を合成できるソフトウェアだ。札幌のクリプトン・フューチャー・メディアが発売したバーチャルシンガー・ソフトウェアのキャラクターである「初音ミク」が爆発的にヒットしたのは、ボーカロイド発売後しばらく経った2007年になってからだ。これが「初音ミク現象」と呼ばれるブームを巻き起こす。
若者が自分で制作した楽曲や動画を公開する共有サイトとして立ち上がっていたニコニコ動画をプラットフォームとして、初音ミクに歌わせた楽曲とともにボカロのユーザーは増加していった。ニコ動のユーザーも「初音ミク現象」に牽引されて短期間で急増する。この頃は、ネット文化や同人文化が非常な盛り上がりを見せはじめた時期であり、初音ミクは特にオタク層の若者を中心に絶大な人気を博していった。
初音ミクの歌声は独特な機械的音声で人間のボーカリストでは歌いこなせないような音程も歌うことができ、ユーザーの楽曲制作の自由度を広げた。この点は文化を醸成するうえで重要だったと考えられる。なぜなら、より自由な環境で制作された楽曲には、ユーザー個々のリアルで不定形な感情が十二分に表現されたからだ。やがてそれは独特な感情表現を生み出し、初音ミクにキャラクターとしての立体性をもたらした。初音ミクによる、それまでにない歌唱が、ユーザーでもある聴衆の共感を強く刺激し、さらに新しい楽曲を生むというサイクルができ、それは巨大化していった。現象は音楽だけでなく、アートやゲームなどさまざまな分野に影響を及ぼしていく。

「初音ミク現象」はそれまでの音楽ビジネスのロジックからはまったくオルタナティブなシーンから生まれた。そのブームを牽引したのはメジャーレーベルなどの既存の音楽ビジネスには収まらない才能だった。初音ミクは当初はオタク層のものであり、たくさんの友人に囲まれリアルな生活を充実させていた若者から少し外れたマイノリティの人たちのものだったのだ。
ボカロの楽曲制作者たちは「ボカロP(プロデューサー)」と呼ばれた。制作された楽曲が数百万回再生されるような才能が次々に登場した。これらは、ボカロのための楽曲制作という新しいロジックとインターネット上での公開という文化がなければ登場し得ない才能だったはずだ。
それが誰の発言だったかは忘れてしまったのだが、当時、ネット上に名を馳せていたボカロPの一人が雑誌のインタビューに答えて、「メジャーには行きたくない。メジャーのミュージシャンが幸せそうに見えない」と言ったのが強く印象に残っている。既存のロジックが壊されていくような衝撃だった。

 

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