テクノロジーはイデオロギーから遠く離れて ポストモダンからポストヒューマンの時代へ
第1回 AIと能力主義社会の狭間で

能力主義(メリトクラシー)が私たちを苦しめ社会の分断を生んでいる状況において、テクノロジーの使い方によっては、分断を埋める道筋もあるのではないか。AIの活用で格差を緩和し、新たな知識と幸福を追求する未来の可能性を探る。
目次
能力主義社会に取り残されかけている人のためのAI
前回(#51 マスメディアは何に負けたのか? インテリジェンス・トラップとメリトクラシーの地獄)、トランプが勝ったアメリカ大統領選と齋藤元彦氏が再選を果たした兵庫県知事選をみながら、事実を受け入れきれない敗戦側のアメリカの民主党と日本のマスコミがどちらも世間をリードするインテリ層であると自認したがために陥ったインテリジェンス・トラップの視点から読み解き、彼らのバイアスにまみれた意識と思想を生みだした背景としての能力主義(メリトクラシー)社会の問題を探った。
メリトクラシー社会で勝ちあがった者たちの“正義”感は、みずからの努力と苦難によって身につけた実力を根拠としている。そのため、それ以外の人たちとの格差を根深く広げてしまう。数値化、形式化が容易ではないはずのアイデンティティまで能力として測定するに及んで、わたしたちはますます働きづらさ、生きづらさを感じるようになっている。アイデンティティはみずから身につけるもの、経験で得るものであり、努力にかかわる能力になっているのだ。このメリトクラシーを生みだした自由市場経済の浸透をみつつ、市場の自由化が社会の不安定を引き起こすとしたカール・ポランニーとその弟であるマイケル・ポランニーの考えに触れた。
この兄弟は、ソヴィエト式──生物学者・ルイセンコが指導した、イデオロギーに奉仕する──科学理論に基づく管理社会の是非について決裂しており、思想的には決して一致しない。だが、弟ポランニーを有名にした「暗黙知」の考え方は、市場で商品として取引できない擬制商品として「人間」を挙げていた兄ポランニーのそれと通底するものがある。
現在の状況をみれば、さらに顕著で「人間」が擬制商品だとしても、「人材」としては市場で取引されるために能力値、経験値の札がつく。そうした能力値、経験値を高い精度で測定するため、暗黙知の形式知化やデータ化が進められている。
わたしはこの暗黙知の形式知化やデータ化に別の側面をみている。それはメリトクラシーがもたらしている格差を埋めうる可能性である。現在の測定方法では把握することができない人々の多様な能力をデータ化して、人材評価、組織構成を刷新する可能性を秘めていると考えているのだ。
テクノロジーは悪でも脅威でもない。現在の能力主義社会に取り残されかけている人たちを、たとえばAIの活用によってエンパワーして、埋もれていた新しい能力を組織や社会にもたらすとき、わたしたちはこれまでにない知識や道徳を手にして幸福を実現できるかもしれない。
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