東京都市大学教授 大谷紀子氏に聞く
第4回 生物の行動に学び最適解を探る遺伝的アルゴリズム
私たちの日常は、試行錯誤しながら最適解を探る課題に満ちている。しかしビッグデータとコンピュータの計算速度を用いても、すべてのパターンを計算するには時間がかかる。この問題を解決するために生物の行動科学に範をとるのが進化計算アルゴリズムの考えかただ。大谷紀子氏へのインタビュー第4回では、進化計算アルゴリズムとその1種である遺伝的アルゴリズムのロジックを解説してもらうとともに、研究室の取り組みについても話を聞く。
取材:2024年8月7日 東京都市大学横浜キャンパス YC小ホールにて
大谷 紀子 (おおたに のりこ)
東京都市大学メディア情報学部情報システム学科教授。博士(情報理工学)。東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、キヤノン株式会社入社。2000年東京理科大学理工学部経営工学科助手、2002年武蔵工業大学環境情報学部情報メディア学科講師。2007年武蔵工業大学環境情報学部情報メディア学科准教授。2009年東京都市大学環境情報学部情報メディア学科 准教授 (校名変更)、2013年東京都市大学メディア情報学部情報システム学科准教授 (学部改組)。2014年より東京都市大学 メディア情報学部 情報システム学科教授。著書として『進化計算アルゴリズム入門』(オーム社)、『アルゴリズム入門』(志村正道氏と共著・コロナ社)、『アルゴリズム入門(改訂版)』(志村正道氏と共著・コロナ社)がある。
目次
DNAのロジックで最適解を探索する
都築 正明(以下――) 先生の業績の基本になっている遺伝的アルゴリズムについて、お話をお聞かせください。
大谷 紀子氏(以下大谷) 制約条件を満たして、与えられた目的関数の値が1番大きい、あるいは1番小さくなるような解を求める問題を最適化問題といいます。世の中にはこうした問題がたくさんあって、私たちは子どものころからこれを解いています。たとえば遠足に行くときに、おやつが300円までと決められていたら、これが制約条件になります。そして好きなお菓子をたくさん買いたいということが目的関数になります。制約条件を満たしながら目的関数の値を最大にする――ここでは300円以内で好きなお菓子をたくさん買う――ことが、最適化問題です。これをきちんと解こうと思ったら、すべて探すしかありません。
――すべてのパターンを残らず探索するわけですね。
大谷 これは、たとえコンピュータを使っても探しきるのに時間がかかります。1つの問題に解答するのに2週間もかかってしまうと困りますから、そこを工夫して手早く解決することが必要になります。こうした工夫の1つとして、生物の進化過程や生物の採餌行動などをヒントにして最適解を探すアルゴリズムを総称して進化計算アルゴリズムと呼んでいます。この進化計算アルゴリズムのなかで代表的なものが、遺伝的アルゴリズムというものです。
――これは、遺伝情報の交叉のアナロジーとして考えてよいのでしょうか。
大谷 遺伝的アルゴリズムというのは、まさにそういうことです。問題の解となる数字の列を染色体として表現します。この解を、進化の過程を模した処理によって探していきます。はじめは、どのような個体がよいのかわからないので、ランダムな数字を並べた染色体をたくさんつくり、そのなかから親を選んだ上で一定のルールで掛け合わせて子どもをつくるプロセスになります。自然界と同様に、環境に適応できるものほど自分の遺伝子を次の世代に残せるという論理で、よいものほど選ばれていくことになります。一方、ダメなものが一切選ばれないわけではないですし、突然変異によって親が持っていない遺伝子を持つことも想定します。このように次の世代の子どもをつくることを繰り返すと、よい親が持っている遺伝子が集団の中に広まっていくことになります。これが遺伝的アルゴリズムの考えかたですが、進化計算アルゴリズムには、ほかにもさまざまなバリエーションがあります(下図参照)。
――大規模言語モデルでは大量のデータが必要ですが、ご説明いただいたマージの方法をつかうと、データ量とプレートレーニングが省かれるということになりますね。
大谷 そうですね。ここでは、問題に応じてどのように目的関数を設計するかということが重要になります。明確に目的関数が決まっている場合もあれば、目的関数を決めなければならない場合もあります。また、染色体をどのように設計するかによって、まったく異なったアルゴリズムになってきます。問題が変わるとすべてやりなおすことになりますが、いまはこれらの設計を自動化する研究もなされています。
――具体物にも応用が効くのでしょうか。
大谷 できます。 身近なもので、遺伝的アルゴリズムでつくられたものは、N700系の新幹線の頭の形です。新幹線は高速なので、トンネルに入ると空気が圧縮されて、トンネルの外に出てくるときに、その空気が開放されて大きな音がして、沿線住民の迷惑になります。頭を尖らせれば空気は圧縮されませんから音は鳴らないですが、あまりに尖らせると天井が低くなって、機械や人の積載量が少なくなってしまいます。音が鳴らず、しかも天井が高い形状を目的関数として遺伝的アルゴリズムで探索して設計したのがこの形です。工業製品の設計としては、三菱が開発を進めたMRJの翼の形もそうですし、JAXAではさまざまな機器の開発や軌道計算に遺伝的アルゴリズムを用いています。ただ、目的が複数あってそれがトレードオフの関係になる場合には、応用が難しいようです。
――進化計算アルゴリズムの可能性は今後広がっていくのでしょうか。
大谷 ありとあらゆるところに使えますから、進化計算学会に行くと、さまざまな問題を解いているのを目にします。もっとも目的関数が定めづらいのは、人間の感性によって評価が変わるものです。下図は当研究室の卒業論文ですが、これはシンボルマークをつくる際に、ランダムに生成した図像をその都度人間が評価して、世代交代を繰り返すことで好みに合ったものをつくっていく仕組みになっています。
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桐原永叔(IT批評編集長)