東京外国語大学大学院教授・中山智香子氏に聞く 第3回
仮想通貨が示唆する貨幣の正体
貨幣とはなにか――自明のようにみえるこの問いに答えることは、じつは難しい。中山氏は、ビットコインをはじめとする仮想通貨をめぐる議論から、貨幣と市場との矛盾や国家が通貨発行権を独占しようとする意図がみえてくると指摘する。
取材:2024年9月4日 東京外国語大学中山智香子研究室にて
中山 智香子(なかやま ちかこ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。早稲田大学大学院経済学研究科理論経済学・経済史専攻博士後期課程単位取得退学。ウィーン大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(社会・経済学)。専門は思想史および経済学説、経済思想。近年は貨幣論と生態学経済の考察に注力。著書に『経済戦争の理論 大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房)、『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)、『経済学の堕落を撃つ 「自由」vs「正義」の経済思想史』(講談社現代新書)、『大人のためのお金学』(NHK出版)、『ブラック・ライヴズ・マターから学ぶ アメリカからグローバル世界へ』(共編、東京外国語大学出版会)など。
目次
ビットコインの包含していた可能性
都築 正明(以下――) 『経済ジェノサイド』では、アイスランドの国家破産について、貨幣と金融市場との矛盾を示す典型例として記されています。
中山智香子氏(以下中山) 投機それ自体は悪いことではありませんが、多くの場合、度を越してしまいます。お金が1人歩きしてしまうことを懸念して、戦後の金融システムは1国1貨幣という制度を堅持してきました。しかし金融家たちは、稼ぐ余地が少ないので不満を抱くわけです。そこではユーロダラー――アメリカ国外で流通するドル――という、事実上は異なる貨幣が密かな賛同を得て増大し、人々が固定相場制のロジックを逸脱していきます。それがブレトン・ウッズ体制が終結した一因だともいわれていることを書きました。すると友人――成城学園高校時代の国語の教師の周辺にいた友人の1人です――が、『経済ジェノサイド』を読んでくれたという人を紹介してくれました。それがデジタル通貨の研究をされている斉藤賢爾さんだったのです。
――初期からデジタル通貨とP2Pの研究をされていた方ですね。
中山 そうなんです。「ビットコインを知っていますか」と尋ねられて、知らないと答えたら「これはテーマとして面白いから、絶対に知っておいたほうがいい」と、レクチャーしてくれました。かれ自身も仮想通貨を構想して設計をしていたそうですが、自分を利するような開発をしてはいけないと考えていたそうです。そしてビットコインが登場したときに、人々の儲けたいという心理を組み込まなければ仮想通貨は広く流通しなかったということに気づいたそうです。私もその話を聞いて、腑に落ちるものがありました。
――マイニングができるというゲーム性もありますしね。
中山 そうですね。古くはユーロダラーに手を出していたような投資家が、規制を逃れるべくタックスヘイブンを活用するのですが、タックスヘイブンに対する規制は次第に強くなり、そのリスクを避けるには、物理的な場所ではなく、ビットコインのようなかたちで仮想空間に貯蔵をするほうが合理的だということになったのでしょう。実際、ビットコインが実現した後に広く普及したきっかけは、タックスヘイブンであったキプロスに規制の手が及びそうになったときであったといわれています。ビットコインはお金の持ついくつかの側面を持ったことで、多くの人が飛びつくことになりました。投機のメカニズムでテクニカルに儲けて価値貯蔵することができますし、支払手段としては、当事者間の暗号認証だけで行うことで、取引手数料を省くこともできます。ビットコインが考案された当時、不正な取引を防ぐための規制をかけることで取引手数料は膨大にふくれあがっていましたから。また、匿名性が確保されるということも大きかったのだと思います。取引履歴を確認することはできるものの、取引当事者である個人や組織について瞬時に特定することは困難です。そのあたりは開発者であるサトシ・ナカモトがこだわった部分だと思いますし、多くの人々が利用した理由だと思います。そこからインターネット上の取引については、取引のアリーナの一部がビットコインに移動するわけです。
――外形的にはオンライン市場取引のオルタナティブが形成されるわけですね。
中山 国境を越えることに制約がなくなるわけですから、むしろメインになる可能性もあります。東京都内の杉並区に住んでいる人と世田谷区にいる人とがオンラインを介して国外で取引することも可能ですし、それが海外の人と国内の人であっても変わりません。そのように貨幣や国家の規制から自由な取引が、サトシ・ナカモトや斉藤さんのような方々が構想した、テクノロジーを用いて実現するアナーキーなオンライン市場取引だったわけです。
――ネットカルチャーの黎明期からある、脱中央集権的なマインドですね。
中山 DAO(Decentralized Autonomous Organization:分散型自律組織)による分散型民主主義のような統合的なものとして大上段に構えるのではなく、シンプルに権威への信託をなしで済ませる1対1のフラットな形態の誕生を期待していたように思います。