出生と生産性をめぐるアポリア 第4回
反出生主義というアンチテーゼ
出生を言祝ぐ出生促進主義にたいして、デイヴィッド・ベネターという哲学者が“反出生主義”という立場を表明し、大きな話題を呼んだ。「生まれてこないほうが良かった」という思想は、分析哲学においてどのように正当化されるのか。
目次
存在をめぐる4つのテーゼと2つのシナリオ
出生促進主義に対して反出生主義(Antinatalism)を主張するのが、南アフリカ共和国ケープタウン大学哲学科教授のデイヴィッド・ベネターの著書『生まれてこないほうが良かった:存在してしまうことの害悪』(小島和男・田村宜義訳/すずさわ書店)である。原著が2006年に刊行されて毀誉褒貶を浴びたベネターは、イタリアの詩人・哲学者ジャコモ・レオパルディやドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーやノルウェーの哲学者ピーター・ウェッセル・ザプフェに連なるペシミズムの潮流に位置づけられることも多い。実際にかれは2017年にはオックスフォード大学出版局から出版された“The Human Predicament: A Candid Guide to Life’s Biggest Questions(人生の苦境――人生最大の問いに対する率直なガイド)”において、生きることの無意味さについて――同時に死の無意味さや自死の無意味さ、不死の無意味さやQOLの無意味さとともに――論じる悲観主義を深めている。ベネターは、孤独ゆえに悩みに陥る人たちにとっては、書店にならぶポジティブな自己啓発書やインチキ心理学本ではなく、現実の虚無性を分かち持つことが、ときに現実を否定することなく対処する途をひらくだろうという動機から虚無を論じるのだという。
ベネターは『生まれてこないほうが良かった』において、存在することと存在しないことを比較するために、まず4つのテーゼを立てる。①苦の存在は悪い、②快の存在はよい、③(そのよさを享受している人がいなくても)苦の不在はよい、④快の不在は、こうした不在がその人にとって剥奪を意味する人がいない場合に限り悪くはない、というものである。そのうえで、ある人Xが存在するシナリオAと存在しないシナリオBとを比較しつつ、さきに示した4つのテーゼをそこにプロットする。シナリオAには①苦の存在(悪い)と②快の存在(よい)とが考えうる。一方シナリオBには③苦の不在(よい)④快の不在(悪くはない)とが考えられる。いうまでもなく③は①よりも勝っている。しかし②はシナリオAのXにとってはよいかもしれないが、シナリオBの④よりも勝っているわけではない。したがって、ある人Xが存在するシナリオAが、存在しないシナリオBに比べて利得が生じることはありえないことになる。ベネターはここにXの存在と非存在を比較して、生まれることよりも生まれないほうがよいとする。