出生と生産性をめぐるアポリア 第5回
テクノロジーが投げかける実存への問い
悲劇は人間の実存に疑問を投げかけるものとして捉えられてきた。また出生と生産性は人間が担うもので、テクノロジーはそれを拡張するものとして考えられてきた。しかし直近の科学技術は、機械がそれら人間主体に並ぶ可能性を示唆している。
目次
ハムレットの苦悩と正義のジレンマ
ニーチェは『悲劇の誕生』について古代ギリシャにおいて悲劇が生まれたプロセスを次のように論じている。ギリシャ人は強い厭世観を持っていて、鬼神シレノスが「人にとって1番よいのは生まれてこないこと、次によいのがすぐに死ぬこと」と言ったという伝承も残されている。しかしこの厭世観は反転して、苦痛に満ちた生を美化するアポロン的芸術を育んだ。その後、神格化された生を破壊するディオニュソス的な芸術が現れ、両者が一体化して悲劇が誕生したのだという。ユク・ホイは『芸術と宇宙技芸』(伊勢康平訳/春秋社)の冒頭で、悲劇はヒロイズムに裏打ちされたヨーロッパに限定的なものであることを指摘したうえで、ポスト・ヨーロッパの芸術と技術の多様化を論じている。
ジャック・デリダは『マルクスの亡霊たち』(増田一夫訳/藤原書店)のなかでシェイクスピアの「ハムレット」を次のように解釈している。ハムレットは父親を叔父に殺されるが、ある晩ハムレットの枕元に父親の亡霊が現れて、自分の無念を晴らすために叔父を殺すよう命じられる。ハムレットは父の命令を運命として受け入れ、叔父への復讐を果たそうとするものの、良心の呵責と運命との間で苦悩する。その苦悩をハムレットは「世の中の関節が外れてしまった」と評し、オフィーリアという女性には「いますぐ尼になり、結婚せず子どもも生むな。私もこんなに罪深い人間であるならば生まれてこなければよかった」という。デリダはこのハムレットの姿に、正義のジレンマを看取する。ハムレットにとっての運命は、叔父を殺すという復讐によって“脱臼した世の中”の全体性を恢復することであるが、かれはそのような運命のもとにある自分自身を、生まれてこないほうがよかったと嫌悪する。デリダはハムレットの運命における正義とは国家や共同体のシステムを維持するための正義であり、かれの苦悩における正義とはそのシステムを外部から破壊しようとする他者を是認しようとする正義であると分類したうえで、脱臼した全体性を脱臼したものとして受け入れる後者の正義が他者を受容する正義の条件だと主張する。
有名な“To be or not to be, that is the question.”は、このハムレットの苦悩のもとに発せられる台詞である。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」としてハムレット自身の生死についての苦悩として解されることが多いが、文法的な正確さを求めるなら<不定詞+be>は状態ではなく存在として解釈するほうが正しい。坪内逍遥の日本語訳では「世にある、世にあらぬ、それが疑問じゃ」となっている。しかし、ここで俎上に載せられているのは父の弟クローディアスの生死である。「復讐者になるべきか、ならざるべきか、それが問題だ」のように訳出するほうが妥当だろう。どうにもインパクトに欠けることは否めないが。