知恵あるAIが導く「人間らしい社会」の再構築
マスメディアは何に負けたのか?
インテリジェンス・トラップとメリトクラシーの地獄 第5回

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

近代がもたらした技術革新と能力主義の行き着く先に、多くの人々が疎外感や孤独感に苦しんでいる。暗黙知や倫理に基づく「知恵」をAIが学ぶことで、人間関係を再構築し、傷ついた心を癒す社会が実現できるのではないか。

 

 

 

目次

AIは何によって人を救うか?

AIが学習するのは知恵でなければならない

 

 

 

 

AIは何によって人を救うか?

 

経済学者としてのマイケル・ポランニーは、兄カールと同様に自由主義を問題視した。それは自由主義の行き着くところが価値の多様性や意味の相対性の許容によってニヒリズムに陥るからだ。事実、本田由紀のハイパー・メリトクラシーのように、人の能力を極限まで多様化すれば、能力が人の何を示すものかさえわからなくなってしまう。これほどのニヒリズムのなかで働けば、わたしたちは苦しみしか得られなくなる。なぜならば、どこにも答えがないからだ。
前回、述べたように兄のカール・ポランニーは人間性の商品化を非難した。同様に弟マイケルは価値の多様性や意味の相対性を批判する。とはいえ、この二人は経済思想的に鋭く対立した。弟マイケルが重要視するのは「自生的秩序」、つまり個々人の暗黙知に基づく自由な経済活動だ。人々には言葉にできない暗黙知があり、それを形式によって管理すれば、市場の柔軟性が失われてしまう。兄のカールはソビエトの体制を擁護したように、計画的に管理された秩序を重要視していたのだから、大きな対立が生まれた。
ここまで読んで、今後、「暗黙知」がAIや情報科学に取り込まれ“商品化”されうることに思い当たる人もいるかもしれない。事実、国内企業各社は熟練技術者の暗黙知のデータ化を進めている。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっている。
“知っているが言葉にできない”知識とは、熟練技術者本人でさえ潜在的にしか認識していないからだ。まず情報科学の対象にするのにかなりの手間と知恵がかかると想像される。倫理となりうる知識であり知恵が暗黙知の根幹にあると考えている。だからこそ、マイケル・ポランニーは信仰や伝統を重んじた。熟練技術者の暗黙知としてのスキルは、おそらく彼らの職業倫理と密接に関係している。
そのうえで付記しておけば、日本のビジネス界でいわれる場合の「暗黙知」は必ずしもマイケル・ポランニーが定義したものとは一致しない。経済学者の佐藤光は『マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学』(講談社選書メチエ)で、日本の著名な経営学者・野中郁次郎が暗黙知の理論を世俗化しすぎているという批判があることを紹介している。経営学でのこうした用い方を鋭く批判する声もあるという。

 

マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学
佐藤 光 (著)
講談社選書メチエ
ISBN978-4062584579

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