“ポスト・トゥルース”時代のナラティブとハルシネーション
第2回 非常時に投下される悪しきナラティブ
米国国防総省がすすめたナラティブ研究
本コラム「戦争と政治における心理・情報戦略は私たちを誘引する」で米国国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)におけるF16戦闘機の自動操縦について触れたが、DARPAではナラティブの軍事利用についても研究されている。
公開されているDARPAの研究概要を遡ってみると、「STORyNET」というカンファレンスにおいて、スマートフォンやスマートTVを経由して利用者の心的状態を把握し、個別に最適なナラティブを生成して各人の思考をコントロールする方法について論じられたことがわかる。
このカンファレンスでは神経科学者やコンピュータ・サイエンティスト、心理学者やストーリーテリングの研究者が参加しており、選択型アドベンチャーゲームのように対象者の心理状態を先読みして個別最適化したナラティブを生成し、メッセージの効果を最大化させるテクノロジーについて意見が交わされたという。
こうした研究がなされる端緒となったのは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件だといわれている。事件を首謀した国際テロ組織アルカイダは、西側諸国への憎悪をあおるナラティブをインターネット上に拡散させ、これに呼応してアイデンティティを鋳直した工作員がテロを引き起こしたとされる。このことを憂慮したDARPAが、ナラティブの上書きによる対抗言説の形成を意図したらしい。
こうした動きが明確に公表されているのは、2005年に当時の海軍少佐だったウィリアム・ケースビーアー博士によるテクニカルレポート「ストーリーテリングとテロリズム: 包括的な“対抗ナラティブ戦略”に向けて(Storytelling and Terrorism: Towards a Comprehensive ‘Counter-Narrative Strategy’:Casebeer, W. D.; Russell, J. A.)」である。
内容を読んでみると、同時多発テロ事件の鮮烈な記憶にたいし、ワシントン行きのユナイテッド航空93便に搭乗していたニューヨーク市の消防士と乗客が機を墜落させた英雄的な行為や、アフガニスタンの山や谷を馬に乗って部隊を編成して空爆を先導したアメリカ軍人の勇敢さをたたえる正義の言説を想起させるといった、いかにもアメリカらしい内容が記されている。
またチュニジアの焼身自殺の報に端を発した“ジャスミン革命”を契機とした中東の民主化運動“アラブの春”がSNSを背景に拡大したこともアメリカ国防総省の大きな関心をよび、2011年には“ナラティブ・ネットワークス(通称:N2)”といわれる研究プロジェクトが発足している。
ローンチにあたって発表された文章は、以下のURLからみることができる(https://www.darpa.mil/program/narrative-networks)。ここではナラティブの認知機能への影響を解明するために、ナラティブの理論、安全保障の文脈でナラティブが果たす役割、ナラティブとその心理学的・神経生物学的影響を体系的に分析して安全保障に役立てることが表明され、次の3つの研究指針が示されている。
- 安全保障におけるナラティブと、それが人の行動にどう影響するのかを研究するための定量的な分析ツールを開発する(Develop quantitative analytic tools to study narratives and their effects on human behavior in security contexts)
- ナラティブがホルモンや神経伝達物質、報酬系、感情と認知の相互作用におよぼす神経生物学的影響を分析する(Analyze the neurobiological impact of narratives on hormones and neurotransmitters, reward processing, and emotion-cognition interaction)
- 社会的・環境的文脈におけるナラティブの影響についてのモデルやシミュレーションを開発するとともに、その個人や集団への影響を割り出すセンサーを開発し、信条の修正を促す(Develop models and simulations of narrative influence in social and environmental contexts, develop sensors to determine their impact on individuals and groups, and suggest doctrinal modifications)
インターネット以降、情報はより加速しより広範囲に拡散されるようになっている。それはナラティブが短期間で社会を変える機会が拡大したということなのかもしれない。