“ポスト・トゥルース”時代のナラティブとハルシネーション
第2回 非常時に投下される悪しきナラティブ
物語は人々の想像力を補強する。人に進歩をもたらしたこの事実が、ときに人から理性的な思考や判断力を奪い、極端な行動にはしらせる動機となる。それが進歩の所産である科学とテクノロジーの手を借りて人為的になされたときに、わたしたちはそれに抗うことができるのか。ナラティブの負の側面と、それに対峙する知について考える。
目次
ネットの“脊髄反射“が積み上げる情報の壁
前回、述べたソーカル事件やソーカル2乗事件は、イタズラの要素を持っていたとはいえ動機としては既存の権威を批判することで合理的・批判的精神としての啓蒙主義的な考えかたやリベラリズムを鋳直そうという試みだった。
一方、恣意的な誤情報や偽情報そのものは、むしろアテンションを刺激することで、論理的な思考の積み重ねではなく、直観的な判断によるヒューリスティックな思考に訴える。
2002年にエイモス・トヴェルスキーとともにノーベル経済学賞を受賞して行動経済学の発展に大きく寄与した心理学者ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー』上下(村井章子訳/ハヤカワ文庫)において人の意思決定には直観的な判断を行うプロセス“システム1”と、熟考して判断を行うプロセス“システム2”とがあることを指摘し、前者には認知バイアスが大きく影響を与えるとした。誤情報や偽情報は、前者である“システム1”に訴求するとともに、確証バイアスにより反対意見を退けるよう作用する。
自分の意見に賛同する情報ばかりを選択して自分の考えの正しさを補強するエコーチェンバーやフィルターバブルなどの傾向については、SNSが隆盛をきわめる昨今とくに人口に膾炙するようになった。
同じようなデマに振り回されるわたしたち
2024年5月掲載の本コラム「戦争と政治における心理・情報戦略は私たちを誘引する」でも触れたとおり、2016年の大統領選では共和党サイドが民主党へのネガティブ・キャンペーンを繰り広げつつ、自陣に不利な情報を掲載するメディアを“フェイク・ニュース”として切り捨てることで、ドナルド・トランプ政権が到来した。
現在は2024年11月の大統領選に向けて選挙運動が繰り広げられ、すでに民主党ジョー・バイデンの選挙戦撤退やトランプの銃撃など大きな波乱を迎えている。バイデンに次いで民主党が大統領候補とするカマラ・ハリスは有色人女性であり、すでに一部の共和党支持者からは彼女のジェンダーとエスニシティを誹謗する声が挙がっている。
東日本大震災直後の2011年5月に刊行された「IT批評 Vol.2」では荻上チキが「インターネットに広がるデマのメカニズム」を緊急寄稿しており、非常時において拡散された流言蜚語が分析された。このテーマについては『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)において、より詳細に記されている。
非常時というと、新型コロナウイルス感染症が猛威をふるったことが記憶に新しいところだが、いま読んでみると放射性物質におびえた10年前の記憶がすっかり忘れ去られたかのように、似たような内容が繰り返されていることに驚きを禁じ得ない。