スペクタクル、東京、近代個人主義
東京は誰のものか
極めて多作な吉見俊哉の著作に、わたしが初めてふれたのは30代の初め頃、カルチュラルスタディーズに関心をもって、その入門書を手にとったときだ。『思考のフロンティア カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店)という2000年に刊行された書籍である。
カルチュラル・スタディーズは、これまでの学問領域にとらわれない知の探求を行う。旧植民地側からの視点による政治経済史の再検討であったり、メインカルチャーではなく大衆文化としてのサブカルチャーの視点から現代史を見直したり、歴史ではなく日常生活の視点から社会を捉えようとしたり、それまではオルタナティブであった領域から社会文化を論じなおそうという動きだ。
カルチュラル・スタディーズは先に挙げたドゥボールのシチュアショニスムの影響下にある。そのイデオロギーも左翼側に根ざしており、移民や貧困層によって構成される労働者たちの視点と論点による知の奪還といった企てもあるのだ。そういえばドゥボールは『スペクタクルの社会』で都市を論じながら、そこに居住する労働者たちの在り方にページを割いている。思考のフレームもほとんどカルチュラルスタディーズに先んじている。
ともあれ、カルチュラルスタディーズが思想状況に与えた影響は決して小さくない。発祥の地イギリスでカルチュラルスタディーズの研究者たちはロックやポップミュージック、ファッションを研究の対象にした。今では信じ難いが、当時は奇異に映るほど新しいことであった。代表的な理論家であるスチュアート・ホールはレゲエ音楽についての研究をしていた。レゲエ音楽は2重の意味で、大衆文化と旧植民地文化という意味でオルタナティブなものだ。
日本でも1990年後半以降、盛んになっていくサブカルチャー言論の源はこのカルチュラルスタディーズにあるだろう。それまで、アニメ、漫画、ポップミュージックは大学などの高等教育機関での研究対象にはなりえなかった。現在において考えてみれば、こうしたサブカルチャーを論じずして、戦後の日本の何が論じえるのかという気さえするのだが、カルチュラルスタディーズがなければアニメ、漫画、ポップミュージックの研究は好事家(オタク)の趣味と実用の範囲を脱することはなかったのではないか。
吉見俊哉のデビュー作となった『都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史』(河出文庫)が弘文堂より出版されたのは1987年だったと、文庫版のあとがきにある。この当時、カルチュラルスタディーズはまだ輸入されていなかったようだ。1990年代に入り「カルチュラルスタディーズ」と出会った吉見は同時代の海外で同世代の研究者たちが同じような問題意識で現代文化、文化史を扱っていることを知る。
『都市のドラマトゥルギー』こそは、日本における本格的なカルチュラルスタディーズ研究の嚆矢だったといえる。東京という都市をひとつの劇場──スペクタクル!──ととらえ、その盛り場の変遷を開化/モダン/ポストモダンの三つの区分で追いながら大衆文化を分析していく。東京の盛り場は、浅草に始まり関東大震災を経て銀座へうつり、それが戦後、新宿にとってかわられ、いずれそれも渋谷へとうつっていく。
現在の東京はどうだろうか。2000年頃は、東京の中心は渋谷から秋葉原に移行しているという議論が喧しかった。『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(森川嘉一郎 著/幻冬舎)といった本がベストセラーになっていた。これなどからも、カルチュラルスタディーズがもたらしたサブカルチャー研究がメインストリームに入り込みはじめたことを見てとれる。知事選でもそうだったが、秋葉原はいまや街頭演説で若者層へのアピールの場として定番化している。
ドゥボールは『スペクタクルの社会』のなかで都市を論じたが、ドゥボール自身はコルビジェの「輝く都市」をもとにする都市再開発に強く反対しており、この点でもシチュアショニスムに通底する思想らしきものがわかる。わたしも#15「都市にイノベーションは戻るのか? アフターコロナの都市論を想像する」で、コルビジェの整備された都市よりもジェイン・ジェイコブズのいう多様性を維持する都市に対するシンパシーを語ったことがある。この多様性を維持するのは市井の人々のそれぞれの暮らしだ。
都市とは誰のものか? 東京は誰のものか? 今回の都知事選ほど、それを思わずにいられなかったことはない。小池氏は兵庫県、石丸氏は広島県、田母神氏は福島県、蓮舫氏は東京出身なのだが国籍が明確でないという。それをもって東京人ではないというのは乱暴な議論なのはよくわかっている。しかし、どこか候補者たちの議論が、東京に住まう大衆の生活世界とかけ離れた点で空回りしているような気がした。どこかわたしたちの目に見えないところに政治都市の東京というのがあるかのようだった。生活の場としてではなく、政治の場としての東京だけが議論されていた。
東京という都市はいかにあるべきなのか。わたしは、築地市場移転を実行したことも神宮外苑再開発を推進することも、政治的な意味以上のものを感じられずにいる。コルビジェ的な都市機能の整備という意味さえ感じづらい。