出生と生産性をめぐるアポリア
第1回 プロナタリズムと出生論:20世紀政治哲学の再興

前回はシリコンバレーのテックエリートたちの奉じる長期主義について考えた。かれらは現下の出生率の低下が文明の維持と進歩だけでなく、人類存亡の危機だとさえ信じている。今回は出生をめぐる諸議論を紹介しつつ、生産性とテクノロジーのかかわりについて考えてみたい。
目次
プロナタリズム批判の前提:功利主義がもたらした政治哲学の危機
前回、長期的利他主義について書いた。ウィリアム・マッカスキルらの主張する総和主義は、人類全体の利得のために、将来世代のために寄附行為を行うことを称揚するものだった。
そこではジェレミ・ベンサムが『道徳および立法の諸原理序説』(中山元訳/ちくま学芸文庫)で論じた「最大多数の最大幸福」に時間軸を持ち込んだ象限にプロットした未来の快楽計算を行い、その総量を増大させることが謳われた。
ベンサムやジョン・スチュアート・ミル以降、功利重視を所与のものと想定されてきた20世紀中期までの思潮について、政治哲学者レオ・シュトラウスは『政治哲学とは何か』(1959 年)において、次のように述べている
「今日、政治哲学は、まったく消滅してしまったのではないにしても、荒廃した状態に、そしておそらくは腐敗した状態にある」
これは人口歴史学者としても知られるピーター・ラスレットが、トマス・ホッブズからバーナード・ボザンケに至るイギリス政治哲学が途絶えたことを嘆き「ともあれ当面,政治哲学は死んでいる」として1956年に発した、いわゆる「政治哲学死滅宣告」を受けての言葉である
シュトラウスは、ハンナ・アーレントとほぼ同時期にハイデッガーやフッサールの薫陶を受けたのちにナチスの迫害を受けてアメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人である。全体主義を嫌悪しつつ、第二次大戦後の政治レジームについても懐疑を抱くことには、実存に基づく動機があったのかもしれない。
哲学者アイザイア・バーリンは、のちに『自由論』(小川晃一他訳/みすず書房)に所収される「政治理論はまだ存在するのか」(“Does Political Theory still Exist?”)という論文を発表し、政治理論に疑問符をつけつつ擁護の姿勢をみせた。
『自由論』において、政治参加に結びつく積極的自由(freedom to)と、政治的束縛から逃れる消極的自由(freedom from)の相克について論じつつ、民主主義において多数者の積極的自由に基づく行為が少数者の消極的自由を抑圧することを危惧したバーリンは、帝政ロシア出身で1915年のロシア革命ののちにイギリスに移住して外務省に勤務したのちにオックスフォード大学で政治学を教授した人物でもある。
ジェレミー・ベンサム (著)
中山元 (著)
ちくま学芸文庫
レオ・シュトラウス (著),
飯島昇藏, 石崎嘉彦, 近藤和貴 (翻訳)
ちくま学芸文庫
アイザィア・バーリン (著)
小川 晃一, 小池 銈, 福田 歓一 (翻訳)
みすず書房
正義論から見たプロナタリズム:自由と正義の対立構造
アイザイア・バーリンが1962年刊行の『自由論』に「政治理論はまだ存在するか」と題したエッセイを所収した後、ハーバード大学の哲学教授ジョン・ロールズは1971年原著初版の『正義論』(川本隆史 他訳/紀伊國屋書店)において経済的自由と政治的自由を求めるリベラリズムの立場から普遍的な正義のモデルを演繹的に見つけようとした。
同書は功利主義における「最大多数の最大幸福」や「一般幸福」の総和主義において、多数者の便益のために少数者の権利が侵害されることを正当化しかねないことを危惧して著されたものである。
人びとが利己的な動機やバイアスに基づいた意思決定を行わないためには、自他の属性や社会的ポジションについて知らない“無知のヴェール”をまとった状態を想定したうえで議論に基づくことが必要であり、そこから普遍的な正義が導かれるとした。
ここでは利得の最大化を目指す総和主義でなく、想定しうる最悪の状況のなかで最も損失の少ないものを選択する「マクシミン・ルール」が適用される。個人がなにを倫理的な善とするか、なにをよいものとするかは多様であり、潜在的に対立を孕んでいる。『正義論』においてロールズは社会秩序を成立させるには、あらゆる善にたいして優位性を持つ規範的原理としての正義が打ち立てられるべきだとするリベラリズムを主張し、20世紀政治哲学の主潮をなした。
これに対し、徹底したロールズ批判『自由主義と正義の限界』(菊池理夫訳/三嶺書房)で1982にデビューしたマイケル・サンデルは、ロールズのいう“無知のヴェール”のもとの理性的な人間像の虚構性を指摘し、それは他者に配慮どころか負い目すらもっていない“負荷なき自己 (unencumbered self)”であるとして斥けた。
サンデルは、自己はその成立において共同体やその歴史・文化・伝統の影響を受けていることが不可避であるとともに、その共同体への互酬意識を持つ存在であるとして“位置ある自己(situated self)”を主張して“負荷なき自己 ”に対置した。また共同体を重視する立場から、アリストテレスの『政治学』(山本光雄訳/岩波文庫)の目的論に由来する共通善を主張した。
サンデルとともにロールズを批判したチャールズ・テイラー、アラスデア・マッキンタイア、そしてマイケル・ウォルツァーといった一連の論者は、ロールズ批判を通じてコミュニタリアン(共同体論者)と呼ばれることになる。
両者の主張は“リバタリアン=コミュニタリアン論争”として大きな注目を集めることとなったが、当事者間においてはロールズが著書『政治的リベラリズム』においてリベラリズムを形而上学的でなく政治的な公正としての正義として捉えたこと、またサンデルらがロールズに一定の評価を示したことから収束している。
NHK教育(現Eテレ)で2010年に放送されていた「ハーバード白熱教室」では、学生を相手に能力主義の恣意性をロールズに照らしつつ講義していた。
サンデルらのコミュニタリアニズムは、亡命ユダヤ人学者を中心としたフランクフルト学派の第二世代にあたるハーバーマスによって旧来の民族主義共同体論へのカウンターとして、アメリカからドイツへと輸入された。しかし、のちにサンデルは優生学をめぐるハーバーマスの見解を厳しく批判することとなる。
ジョン・ロールズ (著)
川本 隆史, 福間 聡, 神島 裕子 (翻訳)
紀伊國屋書店
マイケル・J. サンデル (著)
菊池 理夫 (翻訳)
三嶺書房
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