AI時代に求められるSTEAM人材とは
ーーアートで養われる「問う力」

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テキスト 林 信行
ITジャーナリスト

目次 AI時代に求められるSTEAM人材とはーーアートで養われる「問う力」

コロナ禍、AIが英論文やプログラムを書く時代が到来

STEMの学びは、テクノロジー社会到来が招いた必然

半歩先のAI時代に備えるのであれば、Aを加えたSTEAMこそが重要

AIの広がりで、人にはより人間らしさが求められる時代に

 

 

 

コロナ禍、AIが英論文やプログラムを書く時代が到来

 

COVID-19の感染が世界に広がりつつあった2020年の夏、GPT-3(Generative Pre-trained Transformer 3)と呼ばれる英文を正確に理解するAI技術(正確には機械学習モデル)が大きな注目を集めていた。

「ユニコーンの群れを発見した」という荒唐無稽の文を読ませ、続きを書かせるテストでも、そのユニコーンは別の次元からやってきたであるとか、インカ族がこのユニコーンを自らの祖先と信じているといった荒唐無稽ながらも辻褄の合う物語を書き上げて世界を驚かせた。

教育系WebサイトのEduRef.netは、この技術が人間の学生に勝てるかを検証。人間の学生とGPT-3にジャンルの異なる4つの論文を書かせ、4人の教員に執筆者を隠して採点させた。

GPT-3は創作文では落第したが、他の論文では人間の学生に負けない及第点を取った。特筆すべきは人間の学生は論文を書くのに3日かけていたのに対して、GPT-3は、わずか20分未満で文章を生成したことだろう。

同じGPT-3を使って、Web作成サービスを試作した技術者もいる(現在、debuild.coとして公開されている)。プログラムに「Googleのロゴマーク。その下に検索ボックス。そしてGoogle検索、I’m Feeling Luckyと書かれた2つのボタン」とグーグルの検索ページのデザインを英語で説明すると、瞬時に言葉通りのページができあがり、Webページのコード(HTML)も生成される。アプリの画面デザインを言葉で説明すると、そのプログラムコードを生成してくれるサービスも登場した。

日本で学習指導要領を改訂し「プログラミング教育」の必修化が始まった2020年だが、一方でプログラマーを不要にする未来の技術が頭角を現し始めていたのだ(プログラミング教育が無意味というつもりはない。解決の手順を論理的に分析、整理する技術が身に付くプログラミング教育の考え方は、プログラミング以外にも役立つ)。

GPT-3に限らず、ここ数年のAI/機械学習の進歩にはめざましいものがある。

英語圏では95%の精度で話し言葉を文字起こししてくれるAIのサービスが実用化している。翻訳用AIも、ここ数年で格段に進歩した。

20世紀末には、電子計算機が小型低価格化し、生徒が学校で計算機を使うことの是非が大きな議論を呼んだ。今、同様の議論が、もっと幅広い教科に広がろうとしている。

学習で使うかは意見が別れるところだが、今後、仕事の現場では、こうしたAI技術を用いた道具が当たり前に使われることになる。

そんな時代、我々はどんな教育をし、どんな人材を育てるべきなのだろう。

 

 

STEMの学びは、テクノロジー社会到来が招いた必然

 

300年前、人類は風力や川の流れ、馬や牛の力などの動力に頼っていた。しかし、19世紀はじめになると、それらは次第に蒸気機関に置き換えられ、20世紀はじめには電力に置き換えられていった。

2000年以降には動力ではなく、情報の革命が起き、スマートフォンやソーシャルメディア、さらには情報を物体化できる3Dプリンターといった技術が、社会の無視できない要素として広がった。こうした世の中の変化に合わせて、世界規模で教育カリキュラムの見直しが始まった。特に米国では不足するハイテク人材の育成と増え続ける移民を国力に生かそうという2つの観点での見直しが進んだ。

2001年、アメリカ国立科学財団(NSF)が、これから必要な人材を育てる重要な4教科、Science Technology Engineering Mathematics(科学・技術・工学・数学)の頭文字を取った「STEM教育」への傾注を提案すると、その流れが一気に世界にも広がった。STEM教育には、これまでバラバラに教えられてきた、これらの教科を統合的に教えようという狙いもある。

プログラミング教育などIT技術を連想する人が多いかもしれないが、NSFのガイドラインではSTEMにコンピュータ科学以外に化学、工学、社会科学(人類学・経済学・心理学・社会学)、数理科学、生命科学、地学、物理学および天文学なども挙げている。つまり、バイオテクノロジーや宇宙開発といった分野も視野に入れた提言で、これら新しい時代の要請がある分野に科学的な視点と思考法で対処できる人材を育てようという目論見がうかがえる。

またSTEMは単に技術を教えるだけの教育ではなく、それらを社会に役立つ形で応用する力を養おうと目指している。STEM教育の普及と同時期、ビジネスシーンでは「デザイン思考」が大きな注目を集めたが、この「デザイン思考」をSTEM教育の一環として取り入れる学校が少なくないのもそうした理由からだ。

一口に「デザイン思考」と言っても、さまざまな定義や方法論がある。だが、共通しているのはそこに顧客目線があること。ある目的を果たすに当たって、ただ技術を使って目的を果たすだけではなく、ちゃんと使う人が使いやすいかや、使っていて心地よさを感じてくれるかにも配慮し、仮説を立て、顧客視点に立って分析し、形にしていくことで価値があるものが生まれる。

例えば2000年代、IT業界では携帯型音楽プレーヤーという製品ジャンルがにわかに注目を集めた。MP3という音楽ファイル形式が登場し、多くの人々がパソコンに取り込んだMP3ファイルで音楽を楽しみ始めていたので、これを持ち出して外でも聞けるようにしようとするのは必然の流れだった。

ただ、多くの音楽プレーヤーは、曲を何曲収録できるかというメモリー容量と価格だけで差別化をしており、操作性や製品の見た目は二の次だった。

これに対して、Apple社が2001年に発売した音楽プレーヤーのiPodは、採用している技術の一つひとつは他社製品と大差がないにもかかわらず、「持っているすべての音楽をいつでもどこでも聞けるようにする」というコンセプトがしっかりと感じられる製品で、そのコンセプトに則って音楽ファイルの転送の容易さから曲選びの操作性の簡単さ、収録できる曲数と価格のバランスなど、あらゆる点で他製品とは一線を画す洗練が感じ取れる、まさに「デザイン思考」でつくられた製品だった。その製品としての完成度の素晴らしさから、この製品は、当時はまだ1マイナーパソコンメーカーに過ぎなかったAppleを、大きく飛躍させる大ヒット商品となった。

iPodの事例は、技術だけでは良い製品は生まれないこと。しっかりとした製品の思想の下で、それらをきちんと統合してこそ価値が生み出せるというSTEM教育/デザイン思考の究極の事例とも言えるが、一方でSTEMの次に訪れた教育トレンド、STEAMとのオーバーラップを感じさせる部分もある。

 

 

半歩先のAI時代に備えるのであれば、Aを加えたSTEAMこそが重要

 

STEM教育が世界に広がり始めていた2006年頃、STEMだけでは足りないとGeorgette Yakman(ジョルジェット・ヤクマン)が、ここにArtsの「A」を加えたSTEAM教育を提案する。Artsには身体的技能や美術、手芸・手工、さらにはリベラルアーツ(社会学、教育学、哲学、心理学、歴史)などが含まれる。

STEAM教育では、科学的な基礎を育成しながらも、生徒たちがそれらを批判的に考えたり、現代社会の課題に創造的アプローチで技術や工学を応用し問題解決したりすることなどを重視している。

脳科学者のDavid Sousa(デビッド・A・スーザ)と芸術教師のThomas Pilecki(トム・ピレッキ)は「STEMは収束思考に陥りがちだが、それにArts(人文科学や芸術を含めたリベラルアーツ)を加えると拡散思考が加わり創造的な発想が生まれる」としている。

STEM的なアプローチ、収束思考の物足りなさを、作家で研究者の山口周はベストセラー書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の中で「最適解のコモディティ化」という言葉で表している。論理的思考やビッグデータとAIによって導き出された「最適解」は、世界中のどこにいっても同じようなブランドが同じような順番で並んでいる現象だったり、ここ十年ほどでIT系企業のロゴマークがどの会社も似たり寄ったりになったりといった現象に見てとることができる。

参考サイト「最近のスタートアップのロゴのスタイルが似通ってきている問題について」 

 

これらは、いずれも短期視点で見れば、一定の効果は出しているのかも知れないが、地域だったりブランドだったりの独自性を消失させ、長期的には衰退を招く最適化でもある。

人々のキャリアパスという視点で見ると、STEM教育自体も、アプリやネットワークサービスを開発するソフトウェアエンジニア、仮説を立てAIが機械学習するデータを準備するデータサイエンティスト、AIに手足を与えるロボット工学者など、目の前にある課題を解決する「収束思考」が役に立つ、これから数年間で重要なキャリアに合った人材を生み出すのには最適化されているかも知れない。

しかし、数年後には人間よりもはるかに賢いAIがあらゆる物に組み込まれている時代が訪れる。その中で世の中にどういった価値を提供していけばいいのか、といった長期的視点に立った問いの答えはSTEMで養った能力だけからでは出てこない。

これからの時代を象徴する変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)の4つの頭文字を取った「VUCA(ヴーカ)」という言葉を最近、よく聞く。

これまでの常識を大きく塗り替えるAIやバイオテクノロジーが進展するVUCAな時代、本当に大事なのは既に確立された論理から「最適解」を導きだす収束思考ではなく、前人未到の荒野に、「この挑戦には価値があるのか」、「これは倫理的に受け入れられるのか」と問うて形にする力の方だ。

そして、まさにこうした「問う力」を我々に与えてくれるのが、社会通念の外側で物ごとを見て作品を作り出す、コンテンポラリーアーティスト(同時代のアーティスト)達の作品だ。

AIを使ったアート作品を数多く手掛けるDJ/プロデューサーの徳井直生は2017年、自身の会社Qosmoの同僚、堂園翔矢と共に《The Latent Future――潜在する未来》というアート作品をつくっているが、これはTwitterなどから取得したニュース情報を元に「ありえた/ありえる」を生成して表示するという作品。ちょうどドナルド・トランプ政権が発足し、フェイクニュースが時代のキーワードになったという時代背景がある一方で、その後のGPT-3登場を予見させるような作品でもあった(ある調査で、GPT-3にメソジスト教会に関するフェイクニュースを書かせて人間に読ませたところ、それが偽ニュースだと見破れたのはたったの12%だったという調査報告もある)。

20世紀初頭の文明批評家、マーシャル・マクルーハンは「アートは危機発見装置」という言葉を残しているが、まさにそれを感じさせる。

 

 

AIの広がりで、人にはより人間らしさが求められる時代に

 

テクノロジーによる「最適解」のコモディティ化が進む世の中で、人々が求めるのは最適化ではなく、多少の不自由さや非効率性がありながらも、しっかりとそこに価値が感じられるものだ。

私は学校などでAI関連の講義をする際、ある思考実験の話をする。和菓子の職人が、AIに和菓子作りの極意を伝授したとする。やがてAIはロボットアームを使って正確に職人の和菓子を再現できるようになる。ある時点で職人とAI/ロボットがつくった和菓子がまったく区別がつかないレベルで横並びになったとする。両者がつくる和菓子は味も大きさも形もまったく同じで区別がつかない。作った職人ですらどっちがどっちかわかってはいないが、客人を前に「こちらは私が十数年修行を積んでつくった和菓子ですが、こちらはAI/ロボットがつくった和菓子です」と語る。するとその瞬間、(実際は逆かも知れないが)2つの和菓子の間に大きな価値の差が生まれる。機械がつくった和菓子は、あくまでも人を真似てつくったものに過ぎない。おまけに機械が作る以上、再現性が高いので、疲れ知らずで、まったく同じものをいくつでも大量生産できるイメージがつきまとい安い印象が漂う。

それに対して、もう片方は、人が限られた人生の大事な時間を費やしてたどり着いた和菓子ということで、その職人の人生のストーリーとも結びつき、再現性が低い希少性がある価値が高いものというイメージがつく。

AIという、人々から仕事を奪い人類への脅威となり得る可能性を秘めた究極のデジタルテクノロジーは、一方で我々、人がより人らしくあることを促す装置でもある。

いずれは人と同様に意識を持ち、統合的に考えられる汎用AIが登場するかも知れない。しかし、それまでしばらくの間は、AIは人が仕事をこなす上での道具にすぎない。ただし、それぞれの用途専用につくられたAIは、同じ作業をする人をはるかに凌ぐ能力を発揮する。

そんな中、そのAIをうまく活用して、どのような価値をつくりだすかを考え、議論し、実現方法を練って形にし、どこまでブラシュアップを重ねたことで完成と認めるか、こうした部分こそがこれからの人の働き方で重要な部分になるはずだ。

そのためには技術に精通してその裏側を知っていることも大事だが、それ以上に利用者への共感を伴うデザイン思考や批判的思考、そしてストーリーテリングの力といったものが重要になるはずだ。そうした能力を高めてくれるのがSTEAMの学びであり、既にIT分野で活躍を始めており、STEMの能力を身につけている人たちは、改めてSTEAMでいうところのArtsに触れる機会を増やすことが自身の長期でのキャリアパスを有意義なものにする上でも重要なのではないかと提言したい。

参考文献:『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(山口周著・光文社新書)

 

 

林 信行

1990年からフリーのテクノロジー系ジャーナリストとして取材・執筆活動を開始。パソコン創世記の偉人やアップルやグーグルを含む大手IT企業のキーパーソンの取材で知られる。著書多数。2007年以降は、国内企業に最新テクノロジートレンドを伝える講演活動を開始。その中で技術トレンドを表層で捉える傾向が強いことに危機感を感じ、良いデザインを伴った技術の大事さを説くことに力を入れ始める。同時にデザインの取材やグッドデザイン賞審査員、デザイン教育を支援するダイソン財団理事などの仕事に傾注。昨今は多くのアートイベントも取材している。