量子コンピューターを理解するための量子力学入門
第4回 量子コンピューターはパラレルワールドを使って計算している?
–– 半死半生の猫と、量子力学の様々な解釈
ここまでの連載で、量子コンピューターの仕組みを理解するには、重ね合わせ状態についての理解が不可欠であり、重ね合わせ状態こそが量子力学の核心となる部分であることを述べてきた。しかし、「1つの電子が2つの場所に同時に存在できる(2つの状態を同時に取れる)」といった量子力学独特の考え方にまだ納得できないという方も多いだろう。それも無理のないことだ。事実、かのアインシュタイン、シュレーディンガーといった20世紀を代表する物理学者たちですら、量子力学の標準的な解釈には納得できなかったのである。
そこで今回は、量子力学についての有名な思考実験である「シュレーディンガーの猫」や、その派生型である「ウィグナーの友人」などを題材に、量子力学の複数の解釈を紹介していく。その中の1つ、「多世界解釈」は、量子コンピューターの生みの親、デイヴィッド・ドイッチュが支持していることでも知られている。多世界解釈は、SFでおなじみの「パラレルワールド(並行世界)」の存在を仮定する解釈だ。パラレルワールドが存在するとは、いったいどういうことなのだろうか?
執筆者プロフィール
科学ライター・編集者。大学では応用物理学を専攻。20年以上にわたり、科学全般について取材してきた。特に興味のある分野は物理学、宇宙、生命の起源、意識など。
目次
量子力学によって否定された決定論的な世界観
─未来は確率的にしか予言できない
─量子力学の創始者たちもコペンハーゲン解釈には反発した
量子力学の観測問題
─半分死んでいて、半分生きている猫は存在できるか?
─状態の収縮を起こすのは、人間の意識?
─人間は、重ね合わせ状態になれるか?
量子コンピューターの生みの親も支持した「多世界解釈」
─「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」が存在しつづける?
─多世界解釈は、宇宙誕生の研究と相性がいい
─量子コンピューターの生みの親は多世界解釈を支持
多数の解釈があっても実用の面では困らない
─Shut up and calculate!
量子力学によって否定された決定論的な世界観
未来は確率的にしか予言できない
量子力学を基礎としていない物理学は、一般に「古典物理学(classical physics)」と呼ばれる。古典物理学と量子力学の最大の違いは、古典物理学が基本的に「決定論」であるのに対し、量子力学はそうではない、ということだ。決定論とは、仮に現在のあらゆる物体の状態を正確に知ることができれば、未来は正確に予測可能だとする考えのことである。つまり「未来は決定している」という考え方だ。
例えば、サイコロを振ることを考えよう。どの目が出るかは基本的には予測不能だが、それは私たちがサイコロの状態を完全には知らないからである。サイコロの大きさ、重さ(質量)、投げ出される角度や速度、空気抵抗の大きさ、サイコロが落ちた台から受ける力など、すべての情報が正確に分かっていれば、どの目が出るかは、力学の法則に基づいて原理的に予測可能なのだ。
一方、量子力学によると、例えば、電子が「領域Aに存在する状態」と「領域Bに存在する状態」、「領域Cに存在する状態」が重ね合わさっていた場合、電子は領域Aで発見される確率が50%、領域Bで発見される可能性が30%、領域Cで発見される可能性が20%といったように、どこで発見されるかは確率的にしか予測できない。これは私たちがもっている電子についての情報が不足しているからではない。電子について知りうるすべての情報を知っていたとしても、原理的に予測不能なのだ。このような量子力学の標準的な解釈は「コペンハーゲン解釈」*1と呼ばれる。
*1:この解釈を取った代表的な人物は、量子力学の創始者の1人、ニールス・ボーア(1885〜1962)である。コペンハーゲン解釈という名称は、ボーアがデンマークの首都コペンハーゲンに研究所を設立したことに由来する。
複数の状態が重ね合わせ状態になっていた場合、観測を行うと、その中の1つの状態だけが観測される(例えば、領域Bで発見される)。そして観測前にあったその他の状態(例えば、領域Aに存在する状態と、領域Cに存在する状態)は消えさってしまう。これを「状態の収縮」と呼ぶ。状態の収縮は、前回紹介した「波の収縮」と同じ意味で、より一般的な呼び方だと言える。
量子力学の創始者たちもコペンハーゲン解釈には反発した
このような解釈に反発したのが、量子力学の創始者でもあるアルバート・アインシュタイン(1879〜1955)とエルヴィン・シュレーディンガー(1887〜1961)である。
コペンハーゲン解釈では、「ミクロな物体(電子など)の状態は、観測を行うことによって初めて決まる」と考える。アインシュタインはこの考え方に反発し、物理学者アブラハム・パイス(1918〜2000)に対し、「月は君が見ているときにしか存在しないと、本当に信じているかね?」と尋ねたという(『神は老獪にして…アインシュタインの人と学問』アブラハム・パイス著)。量子力学の考え方を推し進めれば、月のようなマクロな物体すら、見る(観測する)前には、そこに存在するとは言えなくなってしまう。そんなことはあり得ない。アインシュタインはそう考えたのだ。またアインシュタインは「神はサイコロを振らない」とも語ったという。物理法則がサイコロのように確率に支配されているということに、アインシュタインは納得しなかったのだ。
量子力学の観測問題
半分死んでいて、半分生きている猫は存在できるか?
量子力学の基礎方程式「シュレーディンガー方程式」にその名を残しているシュレーディンガーも、コペンハーゲン解釈に反発した1人だ。シュレーディンガーがコペンハーゲン解釈(正確には後述する、コペンハーゲン解釈をさらに推し進めた解釈)を批判するために用いた思考実験が、有名な「シュレーディンガーの猫」である。
なかの様子が見えない箱に、猫と毒ガス発生装置、そして放射性物質と放射線の検出器が入っている。放射性物質が放射線を出すと、それを検出して毒ガスが発生し、猫は死んでしまう。一般に放射性物質の原子核は不安定な状態になっており、時間が経つと放射線を出し、より安定な状態になろうとする。これを放射性崩壊と呼ぶ。放射性崩壊は量子力学に支配された現象であり、いつ起きるかは確率的にしか予測できない。つまり、放射性物質の原子核は、観測するまでは、「崩壊していない状態」と「崩壊した状態」の重ね合わせになっているのだ。
コペンハーゲン解釈に基づいて単純に考えると、放射性崩壊と毒ガスの発生、そして猫の生死は連動しているので、放射性物質の原子核が「崩壊していない状態」と「崩壊した状態」の重ね合わせになっているなら、猫も「生きた状態」と「死んだ状態」が重ね合わせになっていることになる。いわば半死半生の状態だ(図1)。そして観測者が箱を開けてなかの様子を確認(観測)したときに初めて、状態の収縮が起き、猫の生死が確定することになる。しかしシュレーディンガーは、猫が半死半生の状態になるなどあり得ず、このような誤った結論を導いてしまう解釈は誤りだと主張したのである。
図1. 「シュレーディンガーの猫」の思考実験
credit:Dhatfield(CC BY-SA 3.0)
コペンハーゲン解釈は、現在でも量子力学の標準的な解釈だとされているが、どの段階で、どのような仕組みで状態の収縮が起きるのかについては、研究者によって考え方に幅があるようだ。おそらく多くの物理学者は「半死半生の猫」があり得るとは考えていないだろう。通常は、マクロな物体である検出器が放射線を検出した時点(放射線と相互作用した時点)で、状態の収縮が起きるとみなされる。量子力学が適用されるのはミクロな物質に対してだけであって、マクロな物質と相互作用が起きた時点で状態の収縮が起きる、と考えるわけだ。しかしミクロとマクロには明確な境界線はない。実際、近年では、条件さえそろえば、比較的大きなサイズでも量子力学的な現象が顔を出すことが様々な実験で明らかにされている。
どういった条件が整えば、どのような仕組みで状態の収縮が起きるのか(観測と言えるのか)については、詳しくは分かっておらず、このような問題は量子力学の「観測問題」とよばれている。量子力学の解釈とは、基本的に観測問題に対する立場の違いだと言える。
連載の第1回でも言及したが、量子コンピューターでは、量子ビットの重ね合わせ状態を維持しながら計算を行っていく。その際、周囲の環境(装置や空気など)との相互作用ができる限り起きないようにする必要がある。量子ビットが周囲の物質と相互作用して量子ビットの重ね合わせ状態が崩れてしまうと(状態の収縮が起きてしまうと)、計算がそこでストップしてしまうからだ。そのため、状態の収縮は、量子コンピューターにおいても非常に重要な問題となっている。
状態の収縮を起こすのは、人間の意識?
実はシュレーディンガーがこの思考実験を用いて批判したのは、コペンハーゲン解釈をさらに極端に推し進めたフォン・ノイマン*2(1903〜1957)とユージン・ウィグナー*3(1902〜1995)の解釈だった。ノイマンとウィグナーは、放射線の検出装置も、猫も、観測者も、究極的には電子のようなミクロな物質で構成されているのだから、マクロな物質と相互作用するだけでは状態の収縮は起きないと考えた。ではいつ状態の収縮が起きるのか? ノイマンとウィグナーは、実験結果が観測者の「意識」に上った段階で、状態の収縮が引き起こされる、と考えた。
*2:ノイマンはハンガリー生まれの数学者で、量子力学に関する研究のほか、コンピューター理論の創始者の1人としても有名だ。プログラムをメモリに記憶し、これを逐次読み込んで実行する「ノイマン型コンピューター」に名を残し、コンピューターの父とも言われる。
*3:ウィグナーはハンガリー生まれの物理学者で、原子核と素粒子の理論についての功績によって、1963年にノーベル物理学賞を受賞している。
この解釈にシュレーディンガーが反発したのも無理はない。ノイマンとウィグナーの解釈は、意識(心、精神)を物質とは異なるものとみなしており、多くの物理学者たちが嫌う、いわゆる二元論的な主張だったからだ。
意識(consciousness)がなぜ生じるのか、どのようにして生じるのかについては、現代科学においてもほとんど解明されていない。脳のニューロン(神経細胞)どうしが電気的な信号や化学的な信号(神経伝達物質の受け渡しによる信号)をやりとりする結果として意識が生じる、という大枠は分かっているが、詳細は分かっていないのだ。
DNAの二重らせん構造を発見した1人として著名なフランシス・クリック(1916〜2004)が、1990年頃から意識の研究に取り組み始めた影響もあって、近年になってようやく研究が活発になってきてはいる。しかし、そもそも意識の問題が科学で解明できるのかすら、よく分かっていない。近年は「AI(人工知能)に意識は生じるのか」が議論されることも多くなってきたが、そもそも自分以外の他人に意識があるかどうかを確認する手段すら確立していないのだ。ノイマンとウィグナーが量子力学の解釈に意識を持ち出したのは、ある意味で現代科学における“禁じ手”とも言えるものだったのである。
人間は、重ね合わせ状態になれるか?
シュレーディンガーの猫の発展版である「ウィグナーの友人」という思考実験は、私たちをさらに混乱させる。実験室の中には、シュレーディンガーの猫の実験のセット一式と、ウィグナーの友人がいる。ウィグナーの友人は実験開始から1時間後、箱を開けて猫の生死を確かめる。その後、ウィグナーの友人はウィグナーに電話し、猫の生死を伝える、という思考実験だ(この思考実験には様々なバリエーションがある)。
ウィグナーの友人の立場からすれば、箱を開けた時点で重ね合わせ状態は崩れているだろう。しかし、ウィグナーの立場からすれば、友人から実験結果を聞くまでは「生きている猫を見た友人」と「死んだ猫を見た友人」の重ね合わせ状態になっているとも考えることができる。果たして人間の重ね合わせ状態などあり得るのだろうか? このように観測者が2人登場すると、問題はさらに複雑化する。
量子コンピューターの生みの親も支持した「多世界解釈」
「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」が存在しつづける?
実は量子力学の解釈の中には、状態の収縮(波の収縮)を考えないものもある。そのような解釈として有名なのが、いわゆるパラレルワールド(並行世界)の存在を仮定する「多世界解釈」である。多世界解釈の原型は、1957年にヒュー・エベレットIII世(1930〜1982)が提唱した。
多世界解釈に基づいてシュレーディンガーの猫の思考実験を考えてみよう。通常の解釈では、放射線が観測された瞬間に、原子核の重ね合わせ状態が崩れ、「原子核が崩壊していない状態」は消え去ってしまう。一方、多世界解釈では、観測前は「原子核が崩壊していない世界」と「原子核が崩壊した世界」が重ね合わさっていると考える。世界とは、観測者や実験室の外まで含めた、文字通り世界全体のことだ。重ね合わせ状態になっている世界どうしは互いに影響を及ぼし合う(干渉を起こす)ことができる。
しかし、一方の世界で観測が行われると(放射線がマクロな物体である検出器と相互作用を起こすと)、「原子核が崩壊していない世界」と「原子核が崩壊した世界」が断絶し(干渉を起こさなくなり)、独立した二つの世界(パラレルワールド)に枝分かれする。観測前の2つの可能性が、観測後も消えてしまうことなく存続しつづける、と考えるのが、通常の解釈とは異なるところだ。つまり、半死半生の猫といった状態を考えるのではなく、「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」が枝分かれして、ともに存在し続ける、と考えるわけだ(図2)。
図2. 多世界解釈に基づいた「シュレーディンガーの猫」
credit:Christian Schirm(CC0)
コペンハーゲン解釈では、量子力学に支配されたミクロな世界(「シュレーディンガーの猫」の思考実験における放射性物質の原子核)とは独立した存在として、「外部の観測者」を考えた。外部の観測者が行う観測によって、ミクロな世界で状態の収縮が起きる、と考えるわけだ。一方、多世界解釈では、観測者もミクロな世界と一体のものだとして、観測者も量子力学に支配されていると考える。多世界解釈では、状態の収縮を考えないので、ミクロな世界から独立した外部の観測者なるものを想定する必要がないのだ。
多世界解釈によると、可能性の数だけ世界が枝分かれして増えていくので、事実上、無限とも言える数のパラレルワールドが今この瞬間にも、同じ場所に共存していることになる。しかもそれぞれのパラレルワールドには、“別のあなた”が存在することになるのだ。私たちの人生がどこまで量子力学に支配されているのかは不明だが、全く違う人生を歩んでいるあなたも、そこには存在しているかもしれない。
枝分かれしたパラレルワールドどうしは完全に断絶してしまう。そのため、SFのようにパラレルワールドを行き来するといったことは残念ながらできない。パラレルワールドどうしは互いに影響を及ぼすことは一切ないし、パラレルワールドに情報を伝えるなんてこともできないのだ。
多世界解釈は、宇宙誕生の研究と相性がいい
あまりにも突飛な考え方なので、多世界解釈の支持者は当初は少数派だった。しかし、1980年代以降、物理学に基づいて宇宙の誕生などを解き明かす、宇宙論(cosmology)という分野の研究が活発になってくると、多世界解釈を支持する研究者も増えてきた。
現在の宇宙は膨張していることが天文観測から分かっているが、逆に言えば、過去の宇宙ほど小さかったことになる。時間を遡っていけば、宇宙が原子や原子核よりも小さかった時代があったことになるのだ。そのようなミクロな宇宙を理論的に扱うには、量子論*4の考え方が必要になってくる。つまりミクロな宇宙自体の重ね合わせ状態を考える必要が出てくるわけだ。しかし宇宙に「外」はないので、宇宙から独立した外部の観測者は想定できない。しかし多世界解釈なら外部の観測者を必要としないので、ミクロな宇宙を量子論に基づいて扱うことができるのである。
*4:量子力学の考え方を基にした様々な理論を総称して「量子論」と呼ぶ。
物理学者に限らず、科学者たちが理論の善し悪しを判断する指針の一つに「オッカムの剃刀(かみそり)」がある。オッカムの剃刀とは、ある現象を説明するときに「仮定が少ない説明の方が優れている」という考え方だ。多世界解釈の支持者からすると、「状態の収縮」という仮定を必要としない分、多世界解釈は他の解釈より優れているということになる。一方で、状態の収縮を必要としない代わりに、無数の世界の存在を仮定するわけなので、多世界解釈に批判的な研究者からは不自然な解釈だとみなされている。
量子コンピューターの生みの親は多世界解釈を支持
量子コンピューターの概念の提唱者であるデイヴィッド・ドイッチュ(1953〜)は、多世界解釈の支持者として有名だ。ドイッチュに言わせれば、量子コンピューターが超高速で計算を行える理由は、たくさんのパラレルワールドで分担して計算を行っているから、ということになる(日本物理学会誌 Vol.59, No.8, 2004「二人の悪魔と多数の宇宙––量子コンピュータの起源––」古田 彩)。
量子コンピューターの量子ビットは計算の間、0と1の重ね合わせ状態になっている。例えば2個の量子ビットなら、「00の情報を表現している世界」「01の情報を表現している世界」「10の情報を表現している世界」「11の情報を表現している世界」が重ね合わせになっており、それぞれの世界で計算が進む。n個の量子ビットなら2n個の世界で同時並行で計算が進むので、計算が高速になる、というわけだ。
ただし、第1回「量子コンピューターを巡る誤解──量子コンピューターはなぜ『計算が速い』と言えるのか?」でも説明したように、量子コンピューターでは、多数の量子ビットの重ね合わせ状態を保ったままで計算を行った後、最終的に観測を行うので、得られる答え(多数の量子ビットによって0と1で表現された情報)は1つだけである。「パラレルワールドで行われた多数の計算結果がすべて同時に得られる」というわけではないことには注意してほしい。また、量子コンピューターの概念の提唱者であるドイッチュは多世界解釈の支持者だが、「量子コンピューターは多世界解釈でないと説明できない」というわけでもないので、そこも誤解のないようにしたい。
多数の解釈があっても実用の面では困らない
Shut up and calculate!
量子力学は誕生から100年ほどの歴史がある。また、パソコンやスマホなどのIT機器に使われる半導体の性質は、量子力学に基づいて理解されており、量子力学は現代社会を支えていると言っても過言ではない。そんな量子力学に複数の解釈がある、と聞いて驚かれた読者の方もいるかもしれない。今回紹介した解釈以外にも多数の解釈があり、哲学者をも巻き込んで、今も議論が続いているのだ。
ただし、量子力学に複数の解釈があるといっても、研究者が使っている方程式などの数式は、基本的には同じだ。それらの数式が何を意味するのかについての解釈が、研究者によって異なっているのである。そのため、支持する解釈が異なっていても、問題の解き方は基本的には同じであり、実用的な面では量子力学に複数の解釈があっても別に困ることはない。
また、数式上は基本的に同じなので、どの解釈が正しいのかを実験によって検証することは難しい。そのため、量子力学の解釈は物理学の問題ではなく、哲学の問題だと考える人も多い。研究者人生をかけても答えが出ない可能性が高い、量子力学の解釈の問題には深入りすべきではないという意見も根強く、量子力学を学ぶ際の心構えとして、「Shut up and calculate!(黙って計算せよ!)」といったフレーズもよく使われる。実際、そのような姿勢の研究者が多かったからこそ、半導体をはじめとする量子力学のテクノロジーへの応用が急速に進んだのだとも言えるだろう。
自身がどのような解釈を支持しているのかを明確に主張する研究者は、特に日本ではそれほど多くない。シュレーディンガーの猫やウィグナーの友人の思考実験において、どの段階で、どのようにして状態の収縮が起きるのか、その説明の仕方は研究者によって異なる可能性があるのだ。
最終回の次回は、量子力学の解釈についての論争から生まれた概念「量子もつれ」(量子絡み合い、量子エンタングルメントなどとも呼ばれる)について紹介する。量子もつれは、量子コンピュターの高速計算にも関わる、量子情報技術の要の1つとなっている概念である。
→第1回 量子コンピューターを巡る誤解──量子コンピューターはなぜ「計算が速い」と言えるのか?
→第2回 量子力学とは何か?──量子コンピューターは「ミクロな世界を忠実にシミュレーションしうる計算機」
→第3回 量子力学で書き換えられた「実在」の概念──「1つの電子は複数の場所に同時に存在できる」そう考えざるを得ない驚きの実験