生成AIはメディア制作にどう影響を与えているのか
第1回 生成AIに頼り過ぎたコンテンツの行方

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テキスト 荻窪 圭

先日、とある大手企業の広告写真を見て「ああ、こういうところでも画像生成AIが使われるようになったか」と反射的に思ったのだが、いやちょっとまてよ、と。今や画像生成AIが作った絵を使った広告は頻繁に見るけど、それとはちょっと違う気がする。

調べてみるとそれは画像生成AIではなく、人物を撮った写真でありました。若い男性タレントの写真だったようで、その人を知っていればすぐわかったのだろうが、当方、ほぼテレビを観ないために芸能人に疎く、まったく分からなかったのだ。考えてみたら、広告の人物写真は以前からかなり強くレタッチされるのが普通なのだ。

プロのカメラマンがきちんとしたライティングで撮影し、プロの腕でレタッチした写真が完璧であるが故に生成AIが作りだしたものに見えるという現象がときどきあり、上手いほど人工的に見えるというのは皮肉なことであるなあと思う。

(本記事のサムネールはAdobe Fireflyにて作成)

 

荻窪 圭

フリーライター。東京農工大学工学部数理情報工学科卒。学生時代にパソコン誌のライターとしてデビューして約40年。現在はIT系の他、デジタルカメラの記事も手がけつつ、趣味が嵩じて街歩きのガイドも行う。近著に『古地図で訪ねるあの頃の東京』(実業之日本社)等。

 

 

 

目次

失礼がなくて粗のない文章を書かせたら生成AIは優秀

生成AIとコタツ記事は相性がいい

 

 

 

 

 

失礼がなくて粗のない文章を書かせたら生成AIは優秀

 

1980年代という大昔、わたしは大学の数理情報工学科というところで人工知能(自然言語処理)を扱うゼミにいたのだが、当時は「ナレッジベース」が主流で、知識をどうデータベース化するか、それをどう取りだして利用するかという時代だった。

研究室で勉強したりプログラムを書いたりしながら、SFで出てくる人工知能が実現するには知識を蓄えるだけで膨大な時間と労力が必要だな(インターネットはまだない時代だ)、ここから人間と会話できる人工知能が出てくるのか? と感じていたのが懐かしすぎて泣けるくらいだ。

今は単なる一消費者としてのライターでエンジニアでもなんでもなくなっているので知らなかったが、数年前にその後のAIがここまで爆発的に進化していると知って驚愕している次第である。

生成AIが吐き出すテキストは面白いほど模範的で読みやすくそつがない。人間が書いたよくできたまとまった文章ほどAIっぽく感じるという現象までおきそうである。

事実、面白みや個性はなくても失礼がなくて粗のない文章を書かせるなら(ビジネス文書とか)、生成AIの方がはるかに優秀だ。事務的な文書が苦手な人にはたまらなく便利である。

だが、それで読み物として面白いかといわれると話は別だ。必要な情報がしっかりはいっていても、書き手の個性や面白み、ノイズがない文章は頭に残りにくく、読んでいて面白くないし眠くなってくるので生成AIに「それ、要約して教えて」といいたくなるわけで、何をやってんだか。

書く側として生成AIとどう付き合うか、現在テキスト生成AIはコンテンツにどう影響を及ぼしているか。

大変気になるところだ。

 

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