ITが「政治と金」を定義する日

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21世紀型選挙のインフラ整備

大賀真吉

インターネットと政治については、長い間、議論の対象になってきた。前回のアメリカ大統領選に果たしたインターネットの役割の大きさと革新性は、日本の政治家たちに早急な対応を迫っているようだ。ITによって政治が再定義されるならば、古くからの命題である「政治と金」の問題がまず変革されるだろう。

ようやく解禁されたネット選挙

今夏の参議院選挙で、ようやくネット選挙の一部が解禁されるようになった。日常的な政治活動では、しばしばTwitter での発言が話題にのぼるように、ホームページやブログをはじめ、ネットが当然のように利用されている。

しかし、政治への関心がピークを迎える選挙では、ネットの利用が制限されてきた。公職選挙法(公選法)による、ネットがない時代の「紙媒体」への規制を流用してまで、長く規制されてきたのだ。政治の情報が、もっとも需要が高まる時期に供給が規制される、市場原理から見ればまるでバカにしたような歪な状況が、若干ではあるがようやく改善される。

政治、とくに選挙のネット解禁は長く議論されてきたテーマであるが、なかなか解禁されなかった。一転、解禁の流れが進んだのは、昨秋の政権交代の成果と評価したいところだが、実際は野党時代に積極的に取り組んでいた民主党の動きは意外と遅く、与党時代にいくらでも解禁できたはずの自民党のほうが、野党になると精力的に進めたように見える。

中国などでは一目瞭然だが、一定の匿名性があり、ユーザーの生の声を反映しやすいネットは、潜在的に反体制的な要素を持っている。厳密にはむしろ、反体制勢力が利用しやすい特徴を持っていると言ったほうがよいかもしれない。

このあたりは、自由であるはずの日本でも、政治への不満を訴えるメディアとして有効なため、政権与党になるとネット選挙の解禁に、一歩足を踏みとどまらせるのかもしれない。

そうしたネットの政治利用に今回、踏み切らせたきっかけの一つに、08年のアメリカ大統領選が挙げられるだろう。地滑り的なオバマ大統領の誕生である。

大統領選本選は民主党有利という下馬評どおりだったが、その民主党の予備選では当初、かつてのファーストレディ、ヒラリー・クリントンの有利な情勢が伝えられていた。それが予備選中盤あたりから、オバマがヒラリーを急追し、そして一気に抜き去る劇的な逆転劇が起きた。その原動力といわれているのが、ネットを介したオバマへの献金であり、そのネット献金と巧妙にリンクしたネット戦略である。

 

オバマが知らしめたネット献金

ネット献金は08年のアメリカ大統領選で、大々的に注目されるようになったが、取り組み自体は10年前、2000年予備選にさかのぼる。意外に思われるかもしれないが、リベラルの民主党ではなく、保守である共和党の予備選でマケイン陣営が取り組んだものだ。

ネット献金を含むネットの選挙利用は、その次の04年の大統領選で本格化し、共和党、民主党ともに取り組んだ。前大統領のブッシュ陣営も600万人分のメールアドレスを収集し、それを活用したメール戦略が勝因のひとつといわれている。

そして08年のオバマ陣営が、今度はネット献金に軸を置いて、ネット選挙の潜在力を発揮したのだった。

オバマ陣営の民主党予備選は、ヒラリー・クリントンを相手に追いかける展開から始まった。オバマ陣営は総献金額で大きく水を空けられていた。それが07年末に追いつき、08年1月には月額ではヒラリー陣営の倍額の献金を集めた。

オバマ陣営が大統領選を通して集めた献金は、およそ7億5000万ドルに及び、陣営によれば「93%が小口献金」であり、その多くがネットを介したものといわれている。このネット献金の存在が、オバマ陣営の選挙プロパガンダの一環として周知されたものだったとしても、少額の献金がネットを介して膨大な支援者から提供され、大きな資金の流れになる様子が、世間の注目を集めたのだ。

 

ネット献金の虚と実

ただ、オバマ陣営のネット献金について、集めた金額や資金の流れだけに注目するのは表面的すぎる。

アメリカの大統領選では献金の上限額が、予備選、本選ともに2300ドルと決まっている。08年の予備選では、ヒラリー陣営が早い段階から組織的に動き、有力支持者から上限額いっぱいに献金を受けていたため、200ドル以下の小口献金で猛追するオバマ陣営に対抗するには、より困難な新規の献金者を集めなければならなかった。こうした点で、広く浅く集金できるネット献金は、たしかに威力を発揮した。

しかし、オバマがヒラリーのような伝統的な有力支持者による資金力に頼らなかったわけではない。ニューヨーク・タイムズ紙の調査によれば、自分の人的ネットワークを駆使して5万ドル以上の個人献金を取りまとめる「バンドラー」が、オバマ陣営にも500人おり、事実上、有力者による献金を上限規制から迂回させる、党全国委員会への献金を促す「ジョイント・ファンド・レイジング」にも取り組んでいた。また、大統領就任式に際しては20万人以上からの献金があったが、集金額のおよそ半分は献金上限額を献金した富裕層からで占められている。

そういった意味で、ネット献金がアメリカ社会を動かしたのは事実であるが、ネット献金の高い評価をそのまま額面どおりに受け取れないのがわかるだろう。オバマ陣営の特筆すべき取り組みはむしろ、小口のネット献金が草の根運動、勝手連とも呼べる動員を促すことに、深くリンクしていたことである。

 

ネット献金はWOM戦略のツール

オバマ陣営では「My Barack Obama(マイ・バラク・オバマ)」と呼ばれたサイトを中心に、従来の組織から命令が下る動員形式でなく、支援者の自由な運動を喚起した。

そして、そのボトムアップ式の運動により、ネットワークの輪が連鎖的に大きく広がったといわれている。こうした支持の広がる仕組みは、インターネットマーケティングで再び注目されるようになったWOM、つまりクチコミのマーケティングと近似している。

そのWOMでいう、創出のトリガーとなる「顧客経験」はオバマの演説である。そしてカリスマ的ともいわれるオバマの演説を聞き、心酔した者が知人にオバマのすばらしさを次々に伝える。これが言葉どおりのWOMだ。

これと同様に、オバマの演説を聞き、献金する。そして集まった献金で次なる宣伝活動を行い、さらに人気と献金につなげる。これはまさしく、情報の流れをお金の流れに置き換えたWOMである。オバマ陣営のネット献金への取り組みは、このふたつのWOMを同時並行で促す仕組みといえるだろう。

そして、このように献金をWOMと捉えたとき、献金額、これは一般のWOMにおける商品やサービスの価格に相当するが、これが高くては顧客層が限られる。顧客層が限られては、WOMは広がらない。

つまり、ネットによる幅広い小口献金をアメリカ民衆の政治意識の高さと評価する、ある種の美談もあるが、WOMと見るならば、オバマ陣営にとって献金の単価が高くては困る、単価の安い小口献金でなければならない。小口献金はオバマ陣営にとって不可欠なマーケティングツールと言っても、あながちうがった見方ではないだろう。

そして、小口献金という少額決済に適した決済手段、現代のWOMに適したメディアを考えたとき、ツールは電子決済に集約される。つまり、ネット献金はオバマ陣営にとって必然的なツールだったと言えるのではないだろうか。

とくに日本では政治資金の問題が政権を揺るがしがちなだけに、クリーンな政治資金を求める声が強い。そこで、個人献金=純粋な献金、小口献金=善意の寄付といった情緒的な解釈(これはアメリカも変わらないが)で、ネット献金が希望的に語られがちだが、ネット社会に対応した緻密なマーケティング手法であることをまず認めるべきだろう。

オバマの選挙戦略はネットマーケティング

また、オバマ陣営がネットを活用した手法には、「マッチング」と呼ばれる手法もある。ある献金に対して、それと同額の献金を第三者が同時に行うというものである。この手法自体は政治献金に限らず、従来からさまざまな寄付行為に用いられてきた。

たとえば、ある自然保護団体を支援する企業が社員に寄付を募る。そのとき、社員が1万円を寄付すれば、それに連動して会社も1万円の寄付をする。こうした仕組みがマッチングである。

寄付者にとっては、マッチングにより自分の寄付額の倍が寄付されることで、より貢献することができる。連動する支援者にとっては、単に一定額を寄付するより、団体に寄付を依頼する活動(営業活動)のモチベーションを持たせられる。また、団体にとっても営業活動の成果が倍になって返ってくる。三者三様にメリットのある仕組みといえる。

従来のマッチングは、例に挙げたように特定の支援者、支援団体がマッチングの財源を担う、1(とは限らないが特定の数社)対多数の枠組みだった。

しかし、ネットを利用すれば、多数対多数のマッチングが容易に行える。そして、両方が多数であることから、マッチングへの参加者を乗算的に増やすことができる。また、マッチングに応える支援者の財力規模に縛られることもない。オバマ人気が維持される限り、そして大統領選に定める献金上限額にほど遠い小口献金で終始している限り、この運動体はほぼ無制限に動き続けることができるということだ。

このようにして見るとオバマ陣営の選挙戦略は、ネットが普遍化した社会において、ネットマーケティングの手法を駆使し、21世紀における新しい集金方法と動員方法を打ち立てたことこそ評価されるべきではないだろうか。

日本のネット献金事情

翻って日本の状況を見ると、こうした21世紀型選挙のインフラ整備の端緒が開かれたに過ぎない段階だ。ネット選挙自体、解禁されたばかりであるし、ネット献金も一部のサービスはあるがほとんど開放されていない。新しい選挙戦略の重要な要素である、ネットを介した情報とお金の流れが、実質的に日本にはまだないのである。

ネット献金では現在、政治家が導入しているサービスの多くは、アメリカ生まれの電子決済PayPal(ペイパル)と楽天が提供する「楽天政治 LOVE JAPAN」の2つに絞られる。また、参議院選直前にヤフーが提供しはじめた「Yahoo! みんなの政治」の献金サービスが、ヤフーブランドを背景に今後、広がっていくことが見込まれている。

ただ、汎用的な電子決済であるペイパルを別にして、昨年7月に立ち上がった楽天の献金サービスでも、受け入れ元である政治家のサービス利用状況は200人をわずかに超えた程度である(2010年5月末時点)。利用できる政治家が、国会議員、知事、政令指定都市市長および、一定条件を満たしたそれらの元職、候補者に限られているとはいえ、現職の衆議院議員が480人、参議院議員が242人であることを考えれば、政治家側が積極的に参加していると言える段階ではない。また、利用できる決済手段も今のところ、3つに限られており、ユーザー側から見てもいまだ発展途上と言える。しかし、そのような限定的な要因があるとはいえ、楽天のサービスが現時点で、ほぼ唯一のネット献金専業のサービスである。しかし、それにもかかわらず献金申込数はいまだ600件を超えたばかりだ(2010年4月末時点)。これではネット献金の仕組みもさることながら、ユーザー側の政治献金に対する意識にも、課題があると考えざるを得ない。

 

日本にはない献金という概念

まず個人献金自体は、従来から当然に存在する。そして、その多くは政治家によって開かれる、政治資金パーティーのパーティー券である。ただ、これらは果たして献金といえるのだろうか。

もちろん、法制上は献金であり、政治家を支える篤志のお金も多く含まれている。しかし、パーティー券の多くは日頃から付き合いのある政治家の秘書や後援会から、購入を依頼されるものである。いわば、対面販売で「買ってくれ」とお願いされる代物であり、聞こえは悪いが「押し売り」である。これでは、券を買う側から見れば「献金」とはいえど、実質は「交際費」のようなものだ。日本の個人献金に「献金」の意識はない。

では、売る政治家側に問題があって、日本国民に問題がないかというと、そういうわけでもない。献金はいわゆる政治を志す人物への寄付である。政治献金に限らない寄付の実態を見たとき、日本人一人が1年間に寄付する金額は2000円。それに対し、アメリカでは8万5000円、イギリスでは3万4000円。多寡の問題以前に、金額の桁が違う。それほど日本人にとって、寄付という行為は馴染みが薄い。

この大きな違いには宗教観の相違もあるが、一般人が寄付に積極的なキリスト教圏と比べ、日本や中国などアジア圏では寄付を含む社会貢献は、社会的に地位の高い人の責務とする価値観がある。もちろん個々には、ボランティアの精神を持って活動する人が多くいるが、ボランティアといえば奉仕活動と一義的に考え、金銭提供より行動提供を尊く見る傾向がある。この日本人の常識こそ、すなわち寄付行為が一般人のするものではない、特別な行為とされていることの証左だろう。

この日本人の「寄付」観を踏まえずに、欧米型の寄付行為の延長にある政治献金、個人献金をいくら論じても、所詮は机上の空論である。政治はネットを流れるアイテムの一つ

そもそも日本や中国をはじめアジア圏にとって、政治は「お上」であり、特権階級である。政治は、功成り名を遂げた人がすべき社会貢献であるとともに、彼らが得たであろう財産や名声に付随する権威という意識もある。ただでさえ「寄付」の意識が薄い日本人にとって、たとえ実際は経済的に恵まれていなかろうと、自分より恵まれた特権階級にあると感じる政治家に、「政治献金」という名の寄付を行うはずはない。今までの政治観の延長線上に個人献金はあり得ないだろう。

しかし、オバマの成功は、その日本に一つの示唆を与えた。普通なら数十年はかかる政治観の改革を一気にブレークスルーする可能性を見せてくれたのだ。

それはまず、洋の東西を問わず、政治もしくは政治家がある種の商品、アイテムであるという冷徹な事実を知らしめたことだ。たとえ「日本の常識」どおりに政治家が特権階級であろうとも、現実には選挙というユーザーの投票=購買という行為によって取捨選択されている。政治の特権性に象徴される「貴重性」にとらわれず、ネット時代に対応した商品として自分をプロデュースすることで、オバマは成功した。

次に、オバマの与える影響だ。勝つことでしか生き残れない政治の世界で、一つの新しい時代の成功例を示したオバマに追随者が現れるのは当然だ。おそらく日本でも多くの追随する政治家が現れるだろう。その結果、政治の商品化と言うと聞こえが悪いが、一部の政治家が自己を商品と認めることで、競争と多様化が進む。つまり、政治への市場原理の導入である。市場競争のなか、想像もしていなかった速さで政治の変革が進む可能性がある。

このように見ると、まるで政治のデフレのようだが、ITが導入された分野では、ほとんどデフレが起きている。おそらく政治も例外ではないだろう。このデフレが政治の質の劣化に向かうのか、良品安価で身近な存在になるのかは、まさしくこれからの取り組み次第だ。私たち国民も、生活に直結する政治なだけに、傍観することなく、賢い消費者として関わっていく意識を持つ必要があるだろう。

 

追記(6月2日)

5月下旬に原稿を書き上げた後、突如として6月2日、鳩山総理が辞意を表明した。この後は民主党代表選を受け、新しい総理の所信表明などの日程が追加されることが予想される。そのため、通常国会の会期末(6月16日)が迫っている現時点では会期が延長されなければ、ネット選挙の一部解禁は手続きのうえで、その他の法案ともども国会通過が非常に厳しい局面となってしまった。もし、時間切れのために廃案になるようであれば、与野党が合意していただけに、非常に残念である。

ただ、与野党がネット選挙解禁について真剣に論じあったことは事実として残り、現実に各候補者が公示日までネットを駆使した選挙戦を戦うことも間違いない。次回の国政選挙

が、3年後の衆参ダブル選挙となるか否かはわからないが、時間の余裕が生まれるならば、今回想定されていたHPやブログだけでなく、より広範なITによって生まれたメディアについても十分に論議を尽くしてもらいたいと思う。