グーグルはネットとTVをつなぐか?〜10年 前から言われていたネットとTVの融合

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田所永世

TVにとってネットが仮想敵であれば、融合や協力などは絵に描いた餅でしかない。だが、TVにはネットと手をつながずにいられるほどの余裕があるのだろうか。

いよいよ登場したG o o g l e T V

2010年10月16日、Google TVプラットフォームが採用された「Sony Internet TV」が、アメリカで発売された。市場想定価格は40型で約1000ドル(8万円)。同時に日本で発売されたソニーの「ブラビア」エントリーモデルが、同サイズで17万円とされたことを考えれば、驚異的に安い。

「Sony Internet TV」は、グーグルのChromeブラウザ、インテルのAtomプロセッサ、QWERTYキーパッド付のリモコンを備えている。さらに、Qriocity というVODサービス、Android Marketというアプリストアも予定されている。

ネットとの連携を強化したTVと説明されているが、TVと同等の機能を持つネット端末と見ることもできる。どちらでも行き着く先は同じだ。そもそも、ネットでVODした映画と、TVで録画した映画と、中身が同じなのに異なる画面で見ることのほうが不合理だったのだ。

だが、11月頭の時点で、「Sony Internet TV」の日本販売は未定となっている。放送済みの人気番組をウェブサイトで公開しているアメリカのTV局に対し、日本のTV局はネットでの番組公開に積極的でないからか。ネットとTVの融合が進まない日本では、Google TVのメリットは薄い。アメリカでも、ネットに対するTV業界の反発がないわけではない。ウォールストリート・ジャーナルによると、4大TV網のうち3社(ABC、CBS、NBC)は自社サイトで提供する番組の一部を「Sony Internet TV」では視聴不能にしたという。ブルームバーグによると、テレビ局側は配信料をグーグルに求めているそうだ。だが、ネットで無料公開しているものに対して配信料を要求するのはいかにも解せない。

とはいえ個人的には、Google TVのニュースには「いまさら」感が強い。現在、日本市場で展開されている薄型TVのほとんどにはHDMI端子が搭載されている。つまりPCを接続することでネットのモニタとして使うことができる。ワイヤレスのキーボードとマウスがあれば、誰にでもGoogle TVは可能だ。

実はわざわざPCをつながずとも、最近のTVはすでにネット対応になっている。LAN回線を差し込んでリモコンをちょっといじればユーチューブやヤフー・ジャパンの慣れ親しんだ画面が独自ブラウザとともに出てくるはずだ。アクトビラというVODサービスも定番化したし、「ブラビア」にはアプリキャストというウィジェットもあった。

もちろん、これまでの「インターネット対応TV」には問題もあった。たとえばアンドロイドというプラットフォームを持たないために、ブラウザもアプリも独自規格でガラパゴス化していることだ。テレビに表示されるヤフー・ジャパンはiモードのような独自サイトでしかなく、ブラウジングの動作は重く、キーボードのないリモコンで快適なネット環境はとうてい望めなかった。逆に、PCにチューナーを搭載した「TV対応PC」は、10年以上前から販売されている。こちらはPCを操作しながらTV画面をモニタの隅に表示できる機能が便利で、若い人を中心に一定のマーケットが形成されている。合理的に考えれば、一人暮らしの狭い部屋にモニタは2つもいらない。

ネットとTVの融合なんて技術的に難しくはなかったはずなのに、Google TVの登場はなぜここまで遅れてしまったのか。おそらくは、技術以上に文化の問題があったのだ。

 

TVにとってネットは仮想敵か

TVは、TV放送に他のものが混ざることを快く思わない。情報発信の責任が不明確になるからだ。たとえば社団法人電波産業会(ARIB)には「放送番組及びコンテンツの提示中に、それと全く関係がないコンテンツ等を意図的に混合、または混在提示しないこと」という規定がある。簡単に言えば、日本ではTV番組の画面内に、ブラウザや検索窓を表示することができない。そのため、日本のTVでは検索などのウィジェットを表示するとTV画面が小さくなる。これは音楽を聴きながらPCを操作していて、テキスト入力のたびに音量が下がってしまうようなものだ。ながら視聴や並行操

作に慣れたユーザからすると不便このうえない。

もう一つ、既得権益を守ろうとするTV業界の抵抗もあるだろう。TV局の主な収益が広告であることはよく知られているが、実はネット業界も同じ構造を持っている。グーグルもユーチューブもユーザに直接課金する体制は築けず、その売上の大半は広告収入によるものだ。そして企業がこれまでTVに払っていた広告費を、桁違いに安いネットへと移転していることもたびたびニュースになっている。日本でも、2009年3月期の決算で民放各局は軒並み70年代以来の赤字に転落した。同じ2009年、イギリスではネット広告費がTV広告費を上回ったという調査結果もある。

ライブドアや楽天がそれぞれフジテレビとTBSを買収しようとしたとき、TV局側からは激しい反発が起きた。買われることへの感情的な反感もあったろうが、それ以上に既得権益を侵されることが怖かったのではないだろうか。

TVは、国の許認可のもとで電波帯の独占利用(放送)を許可された権益事業だが、ネットは無法地帯とも言われるように、その気になれば誰でも何でも配信できてしまう。

TV番組がネットでも見られるようになれば、放送時間に人々を集結させてきたTVの求心力低下は避けられない。

だが、時間の制約という意味では、ビデオデッキの登場時点ですでにTVは力を失っていたのではないだろうか。さらにレンタルビデオはコンテンツを制約する力を、ワンセグとケータイは場所を制約する力をTVから奪った。

そもそも視聴者の立場から見ると、コンテンツとしてTVとネット動画を区別するメリットはない。TVもユーチューブもニコニコ動画も、同じように消費するだけだ。

前述のように、アメリカではコンテンツのネット配信はすでに当たり前となっている。たとえば、NetflixというオンラインDVDレンタルの会社がある。業界の定番となった定額レンタルの仕組みを考案し、特許も取得している業界最大手だ。DVDの郵送しか配信手段を持たなかった設立当初から、社名でネットをうたっていたこのベンチャー企業が、満を持して始めたオンラインでのストリーミングサービスは大成功をおさめた。

カナダSandvineの調査によると、現在アメリカのネット回線におけるダウンストリームの2割はネットフリックスによるものだ。これはユーチューブの2倍で、ブラウザによるウェブ閲覧とほぼ同じデータ量にあたる。またアメリカArbitron Incは、全米で毎年「どちらかを捨てねばならないとしたら、TVとネットのどちらにしますか?」

という調査を行っているが、今年初めて、TV不要派がネット不要派を上回った。ネットのコンテンツがTVのコンテンツを包摂して余りあると理解されてきたのだ。

現在はまだ放送局の意向でほとんど実現されていない、日本のTVのネット放送だが、将来的にはアメリカと同じ事態が日本にも訪れるだろう。

 

ネットは新しいビジネスチャンス

アメリカのTV局も、ネットに対する反感がなかったわけではない。TV視聴率が下がる一方で、若者の時間がユーチューブやSNSに奪われていることは十分すぎるほど

に理解していた。しかし日本のTV局と異なったのは、規制によってTVコンテンツを守ろうとするのではなく、むしろTV局自体がネットに進出することでビジネスを広げたことだ。

そのためにNBC、ABC、FOXの3社が共同出資して作ったのがTVで見逃した放送を無料で視聴できる動画サイトHuluだ。TVと同じく広告動画を配信するビジネスモデルのHuluは、2008年のサービス開始から順調に利用者数を伸ばし、視聴数でユーチューブに次ぐ2位の動画サイトに成長した。

ちなみに1位のユーチューブの視聴数はHuluの10倍もある。一見、その差は大きいようだが、ビジネスとして考えると見え方が違ってくる。違法動画もアップロードされているユーチューブに対して、TV局の公認動画のみで構成されるHuluは広告収入で肩を並べているからだ。コストをかけずに売上があがるのだから、ビジネスとしては成功だ。ちな

みに日本にも各局が独自に行っている見逃し放送のネット配信があるが、そのほとんどが有料であるために利用者は伸びていない。

Huluにはもうひとつ新しい特徴がある。番組で面白いと感じた部分を切り取って、友人に送ることができるのだ。この機能は、テキストの一部をコピペしてメールで送ったり、ソーシャル・ブックマークで周囲に知らしめたりする行為を思い起こさせる。インターネットはコンテンツ配信の流動化も招いたが、何よりもまずコミュニケーションの道具として一般に受け入れられたことを忘れてはいけない。

数多くある個人放送サイトのひとつであったユーストリームが、ツイッターとの連携で大きく勢力を伸ばしたことを引き合いに出すまでもなく、コンテンツはコミュニケーションの道具として広がる傾向が強い。ネットが存在しなかった時代でも、子どもがTVを見たがる理由は、翌日にクラスの話題についていきたいからだと言われていた。

そう考えると、アメリカのTV局の戦略は理解できる。

コンテンツを囲い込むことよりも、視聴者をできるだけ多く集めることのほうが、広告ビジネスには有利だからだ。事実、CBSのレスリー・ムーンベス

CEOは「重要なのは番組のまわりにできるコミュニティだ」と語っている。

好むと好まざるにかかわらず、コンテンツそのものが無料化する時代は到来している。なぜならば、有料コンテンツよりも無料コンテンツのほうがより多くの人を集められるからだ。そもそもTVが現在のような力を持ちえたのは、広告収入による無料配信モデルがあったからではなかろうか。

そしてコンテンツ無料化の時代に、クリエイターの収入は投げ銭制度に立ち返るだろう。消費者の「愛」を集めるほどに卓越したコンテンツのみがビジネスとして成立するのだ。

たとえば現状でも、TVで放送されたアニメはDVDの売上によって利益をあげるようになっている。高画質デジタル録画ができる現状でパッケージが売れるのは、作品に対する「愛」ではないだろうか。あるいはニコニコ動画やミクシィといった無料でも使えるフリーミアム・サービスで、わざわざ有料会員に登録する理由として「応援したいから」があることを例に出してもよい。

無料を前提にしたコンテンツビジネスは、情報格差や規制を利用して金を稼ぐよりも健全な気がする。