ソーシャルメディアを論じる前に〜「ソーシャル」と「メディア」を捉える視点①

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鈴木謙介

ソーシャルメディアの領域はあまりに広く、あまりに流動的である。それをいかに捉えるかは、個々人の社会観、メディア観に委ねられている。どういった視点からソーシャルメディアを考えるべきなのか?

継続的な変化

ソーシャルメディアへの注目は、Web2・0やユビキタス、その他のバズワードと同じく、一過性の流行で終わるものなのだろうか。それとも「今度こそ」革命的な変化をウェブとICTの世界にもたらしつつあるのだろうか。この点について考える際に忘れてはならないのは、ソーシャルメディアはあるとき突然登場し、大変化をもたらそうとしているのではなく、この十数年に起きた様々な変化と共振しながら、それ自身も少しずつ変化してきたということだ。

試みにそのスタート地点を1998年のグーグル誕生に求めるならば、一説によるとそれとほぼ同時期、遅くとも2000年前後には「ウェブログ」が話題になり始めている。そして2001年の米国同時多発テロを経て、2002年には「ブログ」は個人や公的機関が情報を発信する手段として本格的な普及を開始する。

おそらくそれは、インターネットをリスキーなものとして意識していた人びとにも、自分自身に関する情報を発信、公開させるひとつのきっかけではあった。だが本格的な変化は、2003年にグーグルが発表したorkut にはじまるSNSの流行以降のことだろう。2004年にはFacebook、日本ではmixi やGREE といった

SNSがサービスを開始させ、本格的なSNS時代の幕が開けたのだった。

また個人が情報発信するという点では、モバイル分野の変化も重要だ。現在では「ガラパゴス化」などと言われているが、1999年のiモード開始に次ぐ変化として、2000年以降に普及した「カメラ付き携帯電話」が、「何かあったらケータイのカメラで撮影」し、「ウェブにアップして公開」という一連の行為を促す要因になったことは間違いない。

2000年代の前半までに起きた変化が、ウェブに自分の情報を公開し、他者とつながるという出来事に関わるとすれば、2000年代後半に起きたのは、ウェブの情報のつながりや広がりの仕方に関わる変化だった。2005年頃からバズワード

になる「Web2・0」という概念はある意味では中身の乏しいものだったかもしれないが、この点をうまく捉えたキーワードと結びついていた。

たとえば2005年に公開され、衝撃を与えたGoogle Maps。Ajax を用いたリアルタイムな反応がその後のウェブ体験のデザインに大きな影響を与えたことは疑いようもないが、APIを公開することで数々のマッシュアップサービスを生み出したという点も重要だ。このほかにも「タギング(タグ付け)」「フォークソノミー」「メタデータ」など、Web2・0関連の用語には「情報同士の結びつきを促進する」「情報の再利用をしやすくする」技術に関わるものが目立つ(※1)。

さらに、2005年のYouTube、2007年のニコニコ動画、そしてUstream のサービス開始によって、ウェブにも本格的に動画配信の時代が到来する。ユーザーの自己表現の手段は、いまや文字と静止画にとどまらず、音楽や動画、リアルタイムの出来事の中継にまで広がっている。むろんこれらのサービス上のコンテンツもマッシュアップを通じて様々な形で再利用されている。現在では、2006年に登場したTwitter の影響もあって、ソーシャルメディア上に流れる情報は、よりリアルタイム性の高いものが主になりつつあるようにも見える。

ともあれこうした一連の変化は、それぞれ個別に生じたものではあるものの、その前に起きた出来事を受け継ぐ形で登場している。それらの変化を、1990年代頃のウェブと比較したとき、特に重要になるのは以下の三点だ。

①ウェブ上での人と人とのつながりを促進する、あるいはそのつながりを利用するサービスの拡大。これには以前よりもネット利用者の数が増えたことも関係している。

②サービス間の垣根を取り払う連携技術の発達。それ以前はユーザーのサービスへの囲い込みによって成り立っていたビジネスモデルが、検索連動広告などの登場もあって新しい戦略へとシフトした。

③PCとモバイルの融合。ユーザーがいつでもどこでもサービスにアクセスできるようになったことで、リアルタイム性やリアル空間の特性を活かしたサービスを展開することが可能になった。

これらの変化の集約点として、現在の「ソーシャルメディア」ブームというものがあるのだ、というのが私の見立てだ。言い換えれば、ソーシャルメディアは個別のサービスのトレンドだけを見ていても理解できないのであって、長期的なトレンドを串刺しにしながら考察されなければならないものなのだ。

たとえばこの論考ではMySpace についてほとんど触れないが、それはMySpace がソーシャルメディアでないということを意味しない。むろん他のサービスについても同様だ。ソーシャルメディアを代表するのは何かといった論点ではなく、そこで起きている変化の本質は何かということにこそ注目する必要があるのだ。

※1 SE編集部編『Web2・0キーワードブック』翔泳社、2006年

 

ソーシャルメディアとは何か

 

とはいえ、この論考で採り上げて分析するサービスを選ぶための基準、つまり「ソーシャルメディアとは何か」という定義について考えなければ、話は始められない。しかしながらこれは難儀な作業でもある。というのも、「ソーシャルメディア」は定義のはっきりした学術用語ではなく、ビジネスの分野で用いられる言葉であり、しかもバズワード化しているからだ。

一般的に言ってビジネスにおいては、そのときどきのトレンドに合わせていくことと、競合他社に対して差異化していくことの両方が求められる。ということは、ある企業が「これこそがソーシャルメディアです」と発表したとしても、それは「いままでのものと似ている部分もあるけれど、どこか微妙に違う」という特徴を持つものになっているはずだ。

バズワードの定義がはっきりしないのは、中身がないからではない。多くのプレーヤーがその中身(多くは先行するサービス)に共感しつつ、そこから差異化しようとするため、必然的に定義が拡大せざるを得ないのだ。

それゆえ、本稿で私が定義する「ソーシャルメディア」も、暫定的な意味づけしか持たないかもしれない。ただ、既に述べた十数年にわたる傾向を加味すれば、ある程度までは時代の変化に耐えうる定義を導くことができるのではないかと思う。その定義とは、「ユーザーの発信した情報が他の情報と結びつき、新たな価値を生成するメディア」というものだ。

ユーザーが情報を発信するというときには、ユーザー自身が主体的に公開する文字や音声、動画などに限らず、サービスの運営主体にしか公開されないメールアドレスやサービスの利用履歴なども含んでいる。私がこうした広いケースを想定しているのは、ソーシャルメディアの持つ「情報の再利用による付加価値化」という特性に注目したいからだ。

たとえばDigg やはてなブックマークなどのソーシャルブックマークにおいては、ウェブページをブックマークしたユーザーの数が表示されることが一般的になっている。そのとき、「ページをブックマークする」という行為は、必ずしも他のユーザーに公開されるとは限らないが、そのページをブックマークした人の総数にはカウントされている。つまり非公開の行動であってもそれはサービスの運営者によって「発信」されているということなのだ。

こうしたことを踏まえるなら、ソーシャルメディアの中には、一般的に考えられている「ユーザー同士のコミュニケーションを主軸にしたもの」の他にも、「ユーザーの発信情報を利用するもの」があることが分かる。そこで「サービスが新たな価値を生成する」という点に着目し、それがユーザーの手動によって行われるのか、サービス側によって自動的に行われるのかという基準で分けると、次のような分類が可能になる。

 

(A)手動型ソーシャルメディア 

個人がサービス上で日記を書いたり、他者の発言にコメントしたり、それを引用し、まとめたりすることで新たな価値を生み出すもの。現在ではFacebook やTwitter などが代表的。

(B)自動型ソーシャルメディア 

サービスの行動履歴やプロフィール情報などを数量的に処理し、新たな付加価値を持った情報に加工するもの。グーグルの検索結果の表示順やAmazonのレコメンデーション機能などで見られる。

 

両者の違いは、単なる特性や機能の差異にとどまらない。私の考えではそれは、インターネットという技術の根幹の思想に関わる価値観の違いに由来している。ここでその点について説明する余裕はないが(※2)、少なくともこれらがどういう社会を実現するメディアなのかについては触れておきたい。

 

※2 この点については拙著『ウェブ社会の思想』(NHK出版、2007年)、『サブカル・ニッポンの新自由主義』(ちくま新書、2008年)などで論じている。 

□この記事は『IT批評 VOL.2 ソーシャルメディアの銀河系』(2011/5/20)に掲載されたものです。