任天堂はなぜ勝者となりえたのか〜ハードとソフトのシナジーなきプラットフォームはない
判りやすいアプローチと判りにくいアプローチ
それでは欧米的なモノ作りとはどういうことなのでしょうか。それは製品のセールスポイントが明快で判りやすいということで、最先端 、高性能、多機能などがまさにそれです。たとえば開発期間が1年、開発予算が1億円で、10の機能が搭載できるとしたら、そのすべてを盛り込む。そのほうが製品の発表会などでセールスポイントが判りやすい。しかし、それだけに他者との競争が激化するため、常に技術革新に邁進しなければならず、ユーザー視点を忘れて技術者の自己満足に陥りやすくなります。
また機能競争によってむやみな多機能化が進んでしまい、ここにもユーザー目線が抜け落ちてしまう。製品ニーズを探るべく広くワールドワイドにマーケティングを行っていくわけですが、広く大多数に意見を求めるということは均一化した製品になりやすいということでもあり、すべての製品がどこか見たようなものになってしまう。そこで差別化のためにさらなる多機能化に拍車をかけていくこととなり、結果として「使わない機能がたくさんある」というストレスに繋がっていくわけです。
かつての家電は生活必需品でしたから、多少使いにくくてもユーザーは使ってくれましたが、現在のように必要な家電がいきわたってしまった状況で、どれも似たようなものであり、かつ使い勝手の悪い製品など売れるはずもないのです。任天堂の場合、1年、1億で製品を開発して10の機能が盛り込めるとしても、まずユーザー目線で本当に必要と思われる機能5つに絞ります。そして、その5つの機能が心地よく使えることに半分の時間と予算を使うのです。できた製品は売りポイントが5つしかなく、その5つにしても体験として使い込んでみなければ良さは理解されません。要するに製品発表会などでは理解されにくいアプローチなのです。
このことが製品発表会などでマスコミを常に困惑させる理由ともなっています。しかし、それが自覚して行われていることは任天堂のCMをみれば明らかです。すべてのCMは製品の特徴や機能を押しだすものではなく、誰か(タレント)がその製品を触って楽しんでいるものしかありません。これは自社の製品は「使ってもらうことでしか、その良さはアピールできない」ということを知っているからです。
今はユーザーも賢くなっていて、製品の印象やカタログだけで商品を買うようなことはしません。ましてや機能自体がなんだかよくわからない物になっているのであればなおさら、インターネットによるユーザーの意見や口コミなどを参考にして製品購入を決めていることでしょう。そうなると重要なのは本当に必要な機能が快適に使えるかどうかなのです。触れるということ自体が心地よい、触っていて居心地がいいから何度も触りたい、言い換えればインタラクティブ(双方向)ということ自体が楽しい、ということがいまの製品に求められているのであり、それを実現するにはハードとソフトの徹底的なシナジーを追求しなければ不可能なのです。
現在の日本のIT、家電メーカーはそれができる体制になっておらず、これこそが任天堂が他社との連携に失敗してきた理由そのものなのです。