任天堂はなぜ勝者となりえたのか〜ハードとソフトのシナジーなきプラットフォームはない
ハード優先のモノ作りの限界
ここにブランド総合研究所の調査データがあります(2010/10/15プレスリリース。株式会社ブランド総合研究所・デジタル家電ストレス調査)。過去1年間(2009/10〜2010/9)に、購入したデジタル家電製品5製品(薄型テレビ、Blu-rayディスクレコーダー、PC、携帯電話、デジタルカメラ)について尋ねたところ、「不満・ストレスを感じる」と回答した割合は5製品合計で49・8%。具体的な不満点では、「電源起動・終了に時間がかかる」「使わない機能がたくさんある」が上位にあがりました。同研究所では「機能が多すぎるがゆえに、使わない機能がたくさんあるという多機能化の現状に対してのストレス・不満が高い傾向にあることが分かった」としています。
たしかに最近の家電製品の機能追加競争はいきすぎといっていいでしょう。本来は快適さを実現するはずの「機能」が、「使いこなせないというストレス」になっているのです。ましてやこの機能追加のために価格が高くなり、メーカーも苦しんでいるのですから、本末転倒もいいところです。こうなってしまった根本的な理由は2つ考えられます。ひとつは戦後、電子立国日本として成功してきた企業体質がいまだにあり、「ハード優先のモノ作り」が主流であること。もうひとつは「他社が追加した機能はわが社も追加しなければ」という呪縛にも似た考え方です。
江戸時代まで遡れば日本はソフトウェアの国でした。しかし開国以来の西洋からの文明開化の流れの中で、その技術格差を埋めるべくハード志向になり、終戦後の復興もその流れの中で邁進してきた経緯があります。しかし人件費等の理由でその優位性がアジアに奪われた今、いま一度ソフトウェア志向を見直す時にきているのではないでしょうか。
ソニーのプレイステーションは、当初スーパーファミコンに拡張機器として接続するCD-ROMシステムとしてスタートしたのですが、最終段階で両社は決裂しました。私はこれを、ソフトを重視する任天堂と、あくまでもハード志向のソニーとの決別であったと考えています。
プレイステーションの登場後、ハードの進化とゲームの面白さがシンクロしていた時代はソニーが市場を席巻しましたし、任天堂がソニーを追いかけていた時もありました。本稿のテーマとは異なるため詳細は次回に譲りますが、ハードの進化とゲームの面白さが飽和状態に陥った時、さらなるハードの進化でゲームの深度を深めていくソニーと、『驚き』の論理でおもちゃの基本に戻った任天堂とで、方向性が大きく分かれていくこととなります。
ファミコン、スーパーファミコンで急成長していた時、任天堂の山内社長は当時、以下のようなコメントをしています。「ユーザーはハードではなく、ソフトをもとめている。ソフトを遊ぶためにしかたなくハードを買う」「ソフトウェアに開発のコツはない。説明できないからソフトウェア。説明できるのはハードの世界」「意見や考え方は言ったがファミコンは私の号令一発で作ったのではない。それはハード志向の見本のような考え方。あえていえば、任天堂という企業の体質がファミコンを作った。ソフトウェア作りはシステムではない、体質である」と。