マルティン・ルターからワエル・ゴニムへ
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2013.04.16
グーテンベルク系の形成
マクルーハンは、『グーテンベルクの銀河系』(1962)でグーテンベルク(1400頃〜1468)の活版印刷術によって形成されてきた文化や社会の在り方を描いた。その在り方こそが急速に過去のものへとなりつつあるメディア環境のパラダイムである。その在り方を象徴的に「グーテンベルク系」と呼んでおこう。
グーテンベルク以前、紙の製法が伝わっていなかった西洋社会では、書物はとても高価なものであった。例えば聖書は、修道院などの筆写工房で、神への奉仕作業として、高価な羊皮紙などに手書きで写本されていた。時には、一冊の聖書に一つの城の価値があるとされるくらい貴重なものであった。そのような写筆文化によって伝承された知識は、教会や貴族などの独占物であった。
13世紀以降に西欧社会に徐々に伝達されていった製紙法と、ストラスブルクの印刷工であったグーテンベルクの活版印刷術の発明が結び付くことによって、知の独占が破られる。1450年頃に開発されたグーテンベルクの活版印刷術が、出版資本主義を生み出し、最初の複製された文化商品としての書物を大量生産していくのだ。活字の印刷された書物という文化商品は、近代という時代の基本的枠組みをつくることになる。
出版資本主義は、知識階級が使用していたラテン語の書籍市場をすぐに飽和させてしまう。ただちに出版資本主義は、それまで使用されていなかった俗語の書籍市場を開拓することによって、さらなる販路をつくり出していった。
出版資本主義が生み出した最初のベストセラー作家は、革命家マルティン・ルター(1483〜1546)にほかならない。ルターのドイツ語訳聖書は、1522年から1546年の間に430版を数えた。ルターは、大衆的読者を手に入れた最初の作家だったのである。ルターが使った言葉は、その後デファクト・スタンダードとなり、現代ドイツ語の原型となる。そのような国民的作家と活字の印刷された書物が、国語と方言を分かつことになる。
教会から離れた孤独な読書は、人々の意識過程に内面の広がりを生じさせる。同時に、それは、書かれた文字に対する反省の過程を生じさせることで、自律的な個人が誕生することになる。
こうして「俗語の活字を読む個人」が、出版資本主義によって生み出される。「俗語の活字を読む個人」は、身体の制約を超えて活字に印刷された出来事を共有する。個人の身体の制約を超えた情報の共有によって、「同時代性」という時間意識が成立する。
そして、なんといっても新聞というメディアの誕生が、「国民」と「同時代性」という意識を生じさせる重要な鍵であった。
初期の新聞は、商人向けの商業情報を掲載するものであった。後に、それが国家によって行政目的の官報へと転用される。官報をメディアにした行政府による告知が、それを受け取る公衆を成立させた。
さらに官報の機能が民間に転用されることによって、公論を扱う新聞というメディアが成立する。国家もまた、軍事活動や経済活動を効率化させるために言語の統一を試みるようになる。
その結果、国語によって書かれた新聞という文化商品を消費する、「国民」という想像的意識が刷り出されてくる。活字の印刷物の効果によって、近代という時代の枠組みの基礎となる「国民」というアイデンティティが成立したのである。
さらに1811年にケーニッヒが熱力学を応用した高速輪転機を発明する。その装置は、印刷のスピードを大幅に上げることによって、一夜にして数十万部の新聞の発行を可能にした。その結果、大量の読者を持つ大衆新聞が成立する。このような大衆新聞というマスメディアの誕生によって、国民的イベントを共有する国民意識が強化されるのである。
エリック・ホブズボウムも指摘するように、19世紀後半から20世紀初頭にかけて国歌や国旗などが制定され、国民的儀礼が整えられていく。このような国民というアイデンティティを成立させるテクノロジーの要に新聞というメディアが君臨していたのである。
活版印刷術によって刷り出された俗語の書物や新聞という文化商品を消費する「活字人間」こそが、近代文化の骨格をなす国民国家の担い手であったのだ。