マルティン・ルターからワエル・ゴニムへ

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コミュニケーションを媒介するメディア

 現代のインターネットに代表されるオンライン上の電子メディアは、身体のいかなる部位の働きを拡張するのであろうか。
 マクルーハンによれば、電信・電話・ラジオ・ファックス・TVなどの電子メディアは、人間の「中枢神経系」を拡張するものである。すなわち脳と脊髄を中枢とする神経系を構成するシナプスやニューロン、刺激に反応する感覚細胞と結び付いた視覚や聴覚などの知覚を拡張する。より単純に言えば、思考や感情などの意識過程の拡張である。
 それらの電子メディアは、声や身ぶりという身体に制約されたコミュニケーションの範囲を遥かに飛び越えたかたちで、人々のコミュニケーションを結び付けている。インターネットというメディアもまた、それ以前の電子メディアとは異なった論理で人々の神経系を結び付けている。
 マクルーハンは、「誰が水を発見したのかは知らないが、それは魚でないのは確かだ」と述べている。これは、ある特定のメディア環境(ここでは水)に浸りきった場合、それから距離をとり対象化することが困難になることの指摘である。だからこそ、ソーシャルメディアを生み出した現代の電子メディアの変化を捉えるために、それ以前のメディア環境を理解することで、現代のメディア環境からの視差をつくり出さねばならない。
 身体の条件に制約されたコミュニケーションは、それに対応した文化や社会秩序を生み出す。例えば、文字というメディア以前のメディア環境を考えるならば、声や身ぶりなどを通じて維持される無文字社会とその文化を考えねばなるまい。
 無文字社会では、身体が移動でき、声の届く範囲でコミュニケーションが行われ、それを基礎とした文化と社会秩序が生じていた。そこでは、長老の語りや神話劇の際に口伝えで語られる神話を共有する宗教共同体の秩序がかたちづくられていた。無文字社会の口承文化では、韻律の整えられた詩歌や舞踊などの身体技術が、人々の記憶を留める働きをしていた。
 マクルーハンが指摘するように、文字の発明は、声や身ぶりという身体的制約を超えたコミュニケーションを可能にするものであった。というのも直ぐに消えてしまう音声と異なり、「書かれた文字」は、時間と空間の変化を超えて持続するからである。
 声をメディアにした「話し言葉」は、聴覚に働きかけるものであった。新たなテクノロジーである「書かれた文字」は、いわば目に話しかける。この視覚への働きかけによって、文字は人間の視覚を強化した。だが、それは同時に聴覚を衰退させるものでもあった。
 晩年のマクルーハンと息子のエリックは、メディアが人々に働きかける際の法則を四つの組み合わせを意味する「テトラッド(tetrad)」として表現している。テトラッドとは、「拡張(extension)」「衰退(obsolescence)」「反転(reversal)」「回復(retrieval)」の四つである。
 テトラッドを適用して考えると、文字というメディアを介したコミュニケーションは、視覚を「拡張」すると同時に、「話し言葉」で優位であった聴覚を「衰退」させてしまう。というのも感覚は全体のバランスを保とうとするので、ある知覚が強められると他の部分は弱められ麻痺状態になるからである。テトラッドの残り二つ、「反転」と「回復」については後で触れよう。

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