マルティン・ルターからワエル・ゴニムへ

ARCHIVE

メディア論の基本思想─身体の拡張としてのメディア

 ソーシャルメディアをメディア論的な観点から捉えるために、まず入門的な意味も込めてメディア論の基本的発想を押さえておこう。
 現代のメディア論の立役者であるマーシャル・マクルーハン(1911〜1980)は、有名な著書の中でメディア論の基本思想を以下のように述べている。
「メディアはメッセージである」
 この一文は、マクルーハンの代名詞とも言うべき有名なものである。その意味は、メディアは、その内容としてのメッセージとは異なった、メディアそれ自体という形式の次元で独自の働きを持っているということである。その働きがどれほどのものかと言えば、以下のとおり。
「すべてのメディアは、われわれのすみからすみまで変えてしまう。それらのメディアは個人的、政治的、美的、心理的、道徳的、倫理的、社会的な出来事のすべてに深く浸透しているから、メディアはわれわれのどんな部分にも触れ、影響を及ぼし、変えてしまう。メディアはマッサージである。こうした環境としてのメディアの作用に関する知識なしには、社会と文化の変動を理解することはできない」
メディアは、日常的な語法では、情報を伝達するための便利な道具として扱われている。しかし、マクルーハンの切り開いたメディア論の発想から考えると、メディアは単なる便利な道具ではない。
 メディアは、主人である人間の目的に奉仕するのではない。メディアは、道具を使用する人々の知覚・行動様式・規範さえも変容させる。その結果、社会や文化をも変容させてしまうほどの影響力を持っている。いわばメディアは、人間の主人にもなりうる存在なのだ。
 では、そもそもメディアとは何だろうか。もちろんマクルーハンは、それに対するシンプルな解答を残している。
「すべてのメディアは人間のいずれかの能力─心的または肉体的能力の拡張である」
 例えば、車輪は足の拡張、本は目の拡張、衣服は皮膚の拡張である、といった具合である。
 ここでは、人間がこしらえた様々なテクノロジーと道具が人間の身体の働きを拡張するメディアとして捉えられている。こうやってみるとマクルーハンのメディア論が、とても大きな射程を持っていることが分かるはずだ。

1 2 3 4 5 6 7