パサージュからネットへ〜資本主義の構造転換と消費社会の変容 第3回
この変革の時代で気をつけねばならぬことは、ベンヤミンの指摘した「技術の叛乱」であろう。ベンヤミンによれば「生産力の自然な利用が所有の秩序によって邪魔されると、増大する一方の技術的補助手段や、テンポや、動力源は、不自然な利用に駆り立てられてゆく」。その結果、「技術は、その要求に対して社会が自然な資源をあてがわなかったために、叛乱を起こし、いわゆる人的資源を取り立てる」のだ。ベンヤミンの時代には、「技術の叛乱」は、大恐慌とそれに続く世界大戦を引き起こした。
現代のメディア革命によってもたらされた電子的〈共有地(コモンズ)〉を、特権者に壟断されるのではなく、圧倒的多数の人々が享受するためには、「第二の技術が開拓した新しい生産力に、人類の心性がまずすっかり適応することが先決問題」となろう。
IT技術の革新は、フォーディズムとポスト・フォーディズムの基盤である流れ式の単純作業の領域でオートメーション化とロボット化を高度かつ安価なものへと劇的に転換させている。IT技術によって強化された生産ラインは、単純生産を行う未熟練な労働者の力さえも急速に必要としなくなっている。物質生産の技術も、人間の労働力を極力必要としない「第二の技術」と化しつつあるのだ。我々は、資本主義がもたらしたフォーディズムとポスト・フォーディズムに由来する生産性の過剰をもてあましている。
実のところ我々は、物質的財における生産性の過剰とデジタル化した複製技術による非物質的富の過剰にまだ十分に馴染んでいない。遊戯空間と結びついた「第二の技術」を社会的に使いこなせていないのだ。
だが我々の知覚が新たなテクノロジーに馴れはじめている兆候は存在する。書籍のタイトルにもなっているが「フリー」「シェア」「パブリック」などの観念が、実際に大きな社会的求心力を持ち始めている。それは窮乏化時代における集団の知恵から来るだけでなく、我々の集団的知覚が、インターネットに媒介されることでユートピア的な電子的〈共有地(コモンズ)〉に接続したことと深く結びついている。
ネグリが主張するように、IT革命によって変貌する社会は、ジョン・ロック以降に支配的になった近代的な「私的所有」の観念に牽引されてきた経済社会を大きく変貌させるであろう。けれどもその変貌を肯定的なものに転じるチャンスを捉えるためにも、ベンヤミンが言うように、まず私達は、ニューメディアによってもたらされる新たな集団的知覚を「触覚的受容=慣れ」によって鍛え上げていかねばならない。