ソニー 蹉跌の系譜 プラットフォーム化に果敢に挑む「AV帝国」
メモリースティック:「ベータ」と同じ轍を踏んだ「高性能を誇る孤高」
フラッシュメモリーの急激な高性能化・低廉化を受けて、これをAV家電向けの次世代記憶メディアとして使おうという戦略から、ソニーは富士通などと共同で「メモリースティック」(MS)を開発、1997年に市場投入した。その狙い
はデジカメの画像・映像データの記憶媒体としてであり、取り外しが簡単でしかもPCなど他のAV機器とのデータのやり取りに供する、というのが基本コンセプトである。その後、ソニーグループが放った携帯型ゲーム機「PSP」や携帯音楽プレーヤー、携帯電話などモバイル機器への需要も期待されていた。
ところが翌99年に松下、東芝、サンディスクの3社連合による「SDカード」が出現。SDが着々とシェアを伸ばして行く一方で、MSはじわじわと勢力を失っていく。
こうして見るとかつての「ベータ対VHS戦争」の時と全く同じ軌跡といっていいだろう。
松下陣営の場合、SDの開発コンセプトは明快だった。それは「AV家電間で情報をやり取りするにはコストパフォーマンス、転送時間、使い勝手を考えれば〝物理的メディア〞としてのSDを使うのが一番いい」というものだ。そしてソ
ニーと同様、デジカメなどAV機器全般で共通して使える記憶媒体としてSDを強力に推し進めるのだが、その基本的コンセプトがソニーと松下とでは若干異なっていた。
当時のソニーはトップだった出井伸之氏が推進する「ネットワーク(NW)戦略」(後のコネクト戦略)一色だった。「コンテンツ(ソフト)とハードとの融合」に代表されるこの発想は、簡単に言えば、音声や画像・映像といったリッチコンテンツ・データはネットのブロードバンドやブルートゥース、Wi-Fiといった無線システムでやり取りする、という一大構想だ。ただこの考え方を忠実に踏襲するとすればMSは「大容量の記憶媒体」ではあるものの、「転送媒体」としての効果はあまり期待していない、ということになる。事実ソニーの首脳陣たちの中にMSの「転送媒体」としての重要性に着目する人間はいなかったように思える。
一方松下の場合、これとは全く正反対で、自らが手掛けるデジカメやビデオムービーはもちろん、DVDレコーダー、TV、携帯電話、ノートPCなどありとあらゆるAV機器に漏れなくSDスロットを設け、プラットフォーム=SDの使用場面の拡大に血道を上げた。
「NWによるデータ送受信」は次世代AV機器に必須のアイテムだが、転送速度の確保や転送の確実性を担保するにはかなり高度な技術が必要だ。またこれに対応する仕組みをAV機器全てに盛り込むとなれば、コストアップも覚悟しなければならない。取り扱いも複雑になりかねず、ごく普通の消費者にとってはややハードルが高いだろう。
一方SDが目指す「直接受け渡し」であれば誰でもが直感的に理解できる。AV家電を「先端情報端末」ととらえるソニーと、「あくまでも洗濯機や冷蔵庫と変わらない家電」と見る松下の違いが、ここでも如実に表れた。加えて松下の場合、SDのコアであるフラッシュメモリーの主要メーカー、東芝とサンディスクを陣営内に迎え入れた点も大きな利点だ。
またSD側はシェアアップの秘策として高機能化する携帯電話に目をつけ、記憶メディアとして一回り小ぶりの「miniSD」を提案(その後より小型の「microSD」へとシフト)、携帯メーカー各社の囲い込みに成功する。SD陣営は1億台に迫る国内携帯電話端末の大部分を押さえ、「MD対SD戦争」の勝利を確実にするのである。
「2000年の発売以来世界中で累計1億台を販売した、据え置き型ゲーム機『PS
2』にMSスロットを搭載する努力をソニーはしなかった。同機はDVD再生機としての機能も持つマルチAV端末としての顔もウリだったのだから、データの受け渡しのためのMSスロットを搭載すればSDカードの独走を許さなかったハズ」といった指摘も当然多い。現にその後に登場したPSPはMSに対応、PS3はMSとSDの両方対応となっている。
純粋に性能だけを見ると、例えば最大データ転送速度はSDの20MB/秒に対し、MSは最高位の「Pro系32GB」で60MB/秒と実に3倍を誇る。このためデジカメの連写での威力はいまだに絶大だ。
SDがデファクトスタンダードを握ったものの、MSが追求した「コンパクトな高速・大容量ストレージ」というコンセプトは間違っていない。SDも結局は、このポリシーの上で成功を収めている。だが、それだけに抱える問題が大きい。
ある意味、技術の現場と営業、経営の乖離が失敗の本質と見えるからだ。こうした問題はソニーだけでなく、技術の評価が高い企業全般によく起こる事例だ。