空想科学対談2025年のIT批評② 『ゲーミフィケーション』が言われなくなる世界で

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■『葬式』に集まる必要なんてない

 

池上「そろそろ、牛邊くんのお父様の通夜の時間を気にしたほうがいいんじゃない」

牛邊「いえ、だからですね。大丈夫だと先ほどから申し上げているのもですね。父の葬式、これも、要するにRTTでもって、もう、たぶん、池上さんにご心配していただているような昔の葬式とはちょっと別のものになってるんです。

2020年ぐらいからはじまったやり方なんですが、うちの父が生前に自分で遺言に残してまして、けっこう独自のやり方で葬式をやりたい、と。親戚のなかにももちろん驚いている人もいるんですが……」

池上「どういう形式なの」

牛邊「具体的に言うとですね、葬式の機能とは何か、ということを考えていただきたいのですが、『死者を供養する』という言い方がされるわけですが、実際にはこれには『死者』本人のためのイベントというよりは、『今まだ生きている死者の友人・知人・親戚が満足するためのイベント』なんですね。

で、あの、なんていうですかね、昔の日本の葬式って素人がわざとらしくクサい追悼文とかよく読み上げるじゃないですか。あれ、一部の人にとっては、馬鹿にしてんのかっていう、逆効果でしかない。葬儀屋さんも、妙にクサい所作になれてる人間がたたらと多かった。あれが耐えられない。特にうちの父は、非常にそれが辛かったらしい」

池上「なるほど。確かにそういう方はいるだろうね」

牛邊「で、うちの父の葬儀はどういうことになっているかというと、通夜とか本葬は、最低限の希望者だけ出席してもらって非常に小規模にとり行います。一応、USTREAM と、ニコニコ生中継では中継します。

で、葬儀のコアとなるのは、各個人の父の思い出についての語ってもらう部分のビデオ撮影なんですね。葬儀希望参加者には、決まった日時に葬儀社に来てもらって、1時間〜2時間ほど、故人の思い出を語ってもらう。その部分をビデオ撮影するんですね。

思い出を語ってもらう過程そのものが、死者に対するさまざまな思いを発散させる禊になるわけです。どうしても来られない人は、Skype 経由で話してもらいます」

池上「なるほど、昔の京都あたりでは、実際にそれに近い葬儀はやっていたようだね。1日、2日集まって通夜、本葬とやるのではなくて、数週間かけて故人の思い出を親族の人と語っていくことで、故人への思いを昇華していく」

牛邊「そうですね。確かに、ベースはそこからとってきました。

ただ、変わっているのはそこから先で、いろいろな人に語ってもらった思い出を、ドキュメンタリー作家に編集して15分ぐらいのビデオにしてもらうんですね。そして、それを故人の希望次第でYoutube にアップする。

で、うちの父は、実はこのドキュメンタリー作家を、アマチュアから5人、プロから3人ぐらい、生前から目星をつけた人を別途に雇っていて、合計で別々の編集がなされたビデオが8本『お前ら、Youtube で、10万再生を狙え!』と。『死後、半年でもっとも再生数が多かった奴には、報酬を倍やろう!』と言っているんですね。

まあ、言ってみれば、自分の死を使ったRTTですが……」

池上「宗教的にはどういうことになってるの? 一般的な仏教のお寺さんのほうで、それは対応可能なの?」

牛邊「そこはですね、葬儀社のほうで、葬儀をカスタマイズできるように宗教を立ちあげてるところがあるんです。葬式のためにわざわざ宗教を作ってしまってるんです。一部の無宗教の人間にとっては、宗教の機能なんて葬式とか、あと数えるぐらいしかないわけで、葬儀にまつわる部分だけなんとかなればいい。うちの父はそういう人間だったので」

池上「ちなみに、ご親族からの反発はなかった?」

牛邊「まぁ、それは親族からしたら、『死』というまさしく一回しかないものを使って、ゲームみたいなことを仕掛けるわけですから、詳しく聞いたら、よく思わない人もいますよね。でも、まあドキュメンタリー作家へのゲーム設計の部分を抜きにしたら、単に故人の思い出に関するビデオがパブリックにさせるというだけですから。まあ、あとウチの父はもともとそういうエキセントリックなタイプだというのは、親族もみんな知ってますんで。父は昔から、『俺が死んだら、葬式なんてどうでもいいから、業績をわかりやすくまとめておいてくれるほうが嬉しい』ということで。そこは実は私も個人的に同意です。あ、ここは、編集のとき、カットでお願いします」

池上「なるほど。故人の思い出に関するクオリティの高い一般資料がきちんとパブリック・ドメインで公開されるというのは、遺族にとっても悪いことではないかもしれないね」

牛邊「そうは言っても、事前準備にはかなり気を使いました。父には、父本人が望んでそういうことをやるんだ、ということを予め親族には確実に伝わるように、生前からちゃんと手を打っておいてくれ、と父にはしつこく言ってありました。たぶん、それは非常に重要です。『不謹慎』と思われたら、このイベントは成立しなくなります。

あと、重要なのは、ここでたとえば親族に対して『ゲーミフィケーション』とか言ったら大変ですよね。『USTREAMと、Youtube とSkype を使って葬式やります』とか言ったらぜんぶ台無しです。『ゲーミフィケーション』と言わないことによって、はじめて成立するゲーミフィケーションって実は、すごく多い。だから、ゲーミフィケーションみたいな考え方は、一般概念としては、わかっておいたほうがいいけれども、現場では、声高に言わないほうがよかったりする。だからこそ、言葉としてはあえて使われてないということも多い。それが『ゲーミフィケーション』という言葉の消えていった理由の一つですね。

個人的感覚だけで言えば、使ってるツールは斬新でも何でもない葬式なんですけどね」

※この記事は『IT批評 VOL.3 乱反射するインターネットと消費社会』(2013/3/20)に掲載された記事をもとに構成しています。

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