O2Oと、情報産業からコミュニケーション産業へ進むビジネス

IT批評
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コミュニケーション産業の時代
マネタイズしにくいものの価格

故・梅棹忠夫が世界でも最も早く「情報産業」を論じたのは1963年、今からちょうど50年前である。現在、情報産業は梅棹が予測した段階から次のフェーズに移行しはじめている。情報産業の第2フェーズとしての「コミュニケーション産業」の萌芽の時期なのだ。ITをICT(Information and Communication Technology) と呼び換える動きがあることも、その一部であり、海外ではICTのほうが定着しはじめていることをみても、情報産業はコミュニケーション産業へ移行しているようだ。

そして、企業の関心は情報パッケージとしてのコンテンツをマネタイズすることから、コンテンツをとりまくコミュニケーションをいかにマネタイズするかに向かっている。しかし、それは容易なことではない。

かつて、最も情報産業化が進んだ業界にあり、コンテンツビジネスの雄であったレコード会社の衰退から考えてみればよい。レコード会社は、コンテンツをマネタイズするためにレコードやCDという商品を売っていた。消費者のニーズはコンテンツにありながら、価格はCDなどの製品によって定められていた。コンテンツは価格がつきにくいものだからだ。そのうえ、日本独特の定価という商習慣がコンテンツごとの価値を隠蔽さえしていた。

コンテンツがそうであったように、コミュニケーションにも価格はつけづらい。製品がコンテンツのマネタイズを代替したように、コミュニケーションのマネタイズを代替するものは何か。それは、場所か、時間か、催事か。そこで発生するコミュニケーションから対価を得る方法をどの企業も模索しはじめている(その意味でアイドルグループの握手券、投票券へのビジネス界からの批判は的外れで、試行錯誤に対する怠惰だと言いたくなる)。これまで、商品を売るために場所も時間も催事も企業が無料で提供していた場合が多いだけに、難しい課題だ。

課題はそれだけではない。その価格をどのように決めるのかも重要だ。梅棹は、情報のような値段のつきにくいものへの価格設定のヒントとして「お布施」という考えを示している。宗教家へのお布施や寄進の値段を決めるのは出し手と受け手の社会的な地位だと言う。それは、コミュニティなどの集団内における関係が、価格の基準になるということとも言えるだろう。

世代やジェンダーを消費者の属性としてセグメントしマーケティングしてきた多くの日本企業は、ここに至って消費者との関係(コアファンとの関係と、たとえばアンチといわれるような相手とでは関係がまったく違う)に対するセグメントに取り組まざるをえなくなっているのではないか。しかし、そのセグメンテーションから価格設定のロジックを導くことはできるだろうか。ある程度はできるだろうが、これまでのように定価という商習慣はまったく通用しなくなるだろう。価格は、消費者とのコミュニケーションの濃度や距離によって、個々に決定されるものになっていくだろうからだ。もはや価格設定のロジックはB2Cというより、B2Bのそれに近くなっていくのではないか。B2CビジネスとB2Bビジネスの接近・融合さえ、ここに見えてくる。

B2CのB2Bの比ではない決済数を考えれば、価格設定のオペレーションを技術的に支援しうるのはO2Oしかない。

O2Oは、今後、アーキテクチャとしてバーチャルとリアルのコンフリクトの解消に集中するだろう。その先に、スマートフォンという個人のアイデンティティを拡張するツールを手にした消費者を、ビッグデータという巨大なシステムが呑み込み、より強固な融合を生むだろうか。それは、システムが個人に支配的にふるまった、これまでの歴史の繰り返しのようでもある。いや、それとも消費者個々がシステムそのものを内側からポリフォニックに改変しうるような新たな連帯を生むのだろうか。

すくなくともこの数年間は、ビジネスモデルと消費者の関係、システムと個人の関係はかつてないほどに変化しやすいものとなるだろう。お互いに計り知れない影響を与え合い、同時多発的で自由な反射をくりかえし、さまざまに光と影を生みながら、まったく予期せぬ喪失と獲得を経験し、オンラインとオフラインは大きな変化を遂げていくであろう。

【出典】梅棹忠夫『情報の文明学』

※『IT批評 3号 特集:020――乱反射するインターネットと消費社会』(2013年3月刊行)より「乱反射し合い、姿を変えるインターネットと消費社会」を転載。

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