パサージュからネットへ〜資本主義の構造転換と消費社会の変容 第2回

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フォーディズムからポスト・フォーディズムのテクノロジーへ

 

ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」の中で、比較的注目されていない「第一の技術」と「第二の技術」という概念がある。この二つの概念は、現代において極めてアクチュアルなものになっている。

ベンヤミンの「第一の技術」とは、人間による自然の制御をもっぱらとする技術である。それは人間社会の必要性から生じる。ベンヤミンは、その特徴として、「やたらと人間を投入するもの」であることを指摘している。例えば、ピラミッドや万里の長城の建築などを想起すればよいだろう。また太古の宗教における神々への生け贄や太平洋戦争における零戦の特攻などは、生命を投入する自己犠牲的行為の極として考えられる。それらは、実のところ礼拝的価値によって権威

づけられ、魔術的なアウラに取り巻かれた権力と結びついた

ものである。

もう一つの「第二の技術」は、人間による自然の制御ではなく、人々を労働の苦役から解放し、人間と自然との遊戯へと向かうものである。「第二の技術」は、自然と人間との遊戯が、たゆまず多様化していくものであるとベンヤミンは言う。それは労働者を解放し、遊戯へと向かう。例えば、対象の遠隔操作やロボット技術などが典型といえよう。

実のところ、ポスト・フォーディズムと呼ばれる資本主義の蓄積体制は、この第二の技術のポテンシャルを高めている。

1970年代初頭まで支配的であったフォーディズムという資本蓄積体制は、「大量生産─大量消費」を特徴とする。フォーディズムは、生産過程を細部まで分解し、ベルトコンベア式の単純な流れ作業へと組み立て直した生産ラインを構築することで商品を大量生産した。

しかしながら、生産過程に組み込まれた労働者達は、熟練工のような創意工夫を発揮する機会を奪われる。それとともに、機械的な単純作業の与えるストレスに耐えることが困難となり、沢山の離職者が生じる。フォーディズムでは、労働者を引き留めるために、高賃金を与えることでこの問題を切り抜けようとした。

こうしたフォーディズムのテクノロジーは、高賃金を労働者に支払うといえども単純な苦役を強いるという意味で、ベンヤミンのいうところの「第一の技術」の系譜に属すると言える。

労働者は、高賃金を得ることによって、フォーディズムのテクノロジーが大量生産した商品を大量消費することができた。第二次大戦後の先進諸国における福祉政策にも支えられ、商品を作れば作るほど売れる「規模の経済」が成立し、未曾有の好景気をもたらした。

だが1970年前後にフォーディズムのテクノロジーによって先進諸国の経済は成熟飽和となり、世界経済の景気は後退局面に入る。成熟飽和経済とは、フォーディズムのテクノロジーによって大量生産された自動車、テレビ、冷蔵庫などの耐久消費財が各家庭に行き渡ってしまい、その販路を失ってしまうほど経済が成熟した状態を指す。

このフォーディズムがもたらした資本主義の危機からポスト・フォーディズムという資本蓄積体制の模索が生じてくる。

ポスト・フォーディズムは、「多品種少量生産」を特徴とする。多品種少量生産は、フォーディズムによって成熟飽和した経済において、商品の微細な差異を競うことで、商品を売り続けようとする戦略に基づいている。車や家電などを流行遅れの洋服のように古びたものに見せるため、マーケティングや広告に費用をかけて演出することが必要となったのだ。マーケティングや広告業の隆盛は、生産と消費の次元を、たんに安くて良い物を作ることではなく、消費者との一種のコミュニケーションの次元へと押し上げていく。それは経済と美的なものの交わる領域を拡大させるものであった。

反生産的となったフォーディズムの乗り越えを目指して、ポスト・フォーディズムのテクノロジーは、資本主義経済における生産と消費の在り方を、言語コミュニケーションへと接近させ、記号的消費を特徴とする消費社会を現出せしめたのである。この消費社会を生み出したポスト・フォーディズムのテクノロジーは、ベンヤミンの言う「第二の技術」の在り方に接近している。というのも生産と消費が、生産者と消費者の「遊戯」の領域に近づいているのだ。日本では80年代からバブル崩壊にかけて、記号消費が花盛りであった。

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