空想科学対談2025年のIT批評④ 『ゲーミフィケーション』が言われなくなる世界で

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牛邊「それはそうですが、それをどうにかしていくしかないでしょう。事業者としては、可能な限りうまい状態へもっていくことを考えるしかないです」

池上「牛邊くんの努力自体はすばらしいと思います。しかし、『良い状況』の定義をすることは、常に部分的にしか不可能なわけだから、多様な状況に対応していこうとするならば、やはりケースバイケースで、利用者自身がコントロールする一般的手法を構築する必要があると思うけどね」

牛邊「池上さんのおっしゃることは、繰り返しになりますが、問題意識はわかりますし、ご批判もわかりますが、代案そのものがエリート主義的にすぎるんです。

RTTが特に求められているのは、実は低学歴・低収入の層だったりするわけで、児童虐待のあるような、ご家庭の子どもさんの勉強や生活なんかにも使っていただいている。池上さんの発想だと、虐待をするような親に対してパスワードを預けなけりゃいけない。それは無理でしょうと申し上げてるんです」

池上「虐待の疑いがあるような場合は、学校の先生や、その地域の児童相談所のスタッフなどが緊急措置として動けるようにするという手段があるんじゃないかな」

牛邊「それは、地域によっては有効かもしれませんけれども、本当にひどい地域だとどうでしょうね。日本国内はまだしも、南アフリカに展開しているサービスなどでは、中間的な社会コミュニティに期待できないケースが本当に多い。

実を言うと、私が2019年から一番、労力をかけてやってるプロジェクトは企業のブランディングとかじゃなくて、差別問題と民族問題です。黒人差別をする白人のリアリティをどうチューニングするか。戦争後の軍人のリアリティをどうチューニングするか。自己決定は重要だけど、未だに素朴な黒人差別してるような地域で『自己決定』原則だけじゃ無理ですよ。先進国での、外国人差別問題とかだと、比較的効果があがりやすいRTTも教育レベルが低い地域でやっても、かなり効果が出にくいし、素朴な民族紛争地域にやってる地域のみなさんの『自己コントロール』って何なんですかね、と」

池上「それは、そうだろうけど、それは社会の側を、うまく機能する状態へと変えていくしかないんじゃない? RTT側で全て解決しようという問題ではない」

牛邊「なるほど。池上先生の立場としてはそれで結構なんでしょう。一般論としては賛同します。ただ、事業者の立場としては、それは何の問題解決でもないご意見ですね。残念ながら。スピヴァクの『サバルタンは語ることができるのか』みたいな批判にも、答えられない」

――サバルタンというのは、要するに他人が代弁して語ることが難しいタイプの話というのがある、ということですね。

池上「確かに、自殺志願者の『自己のリアリティの権利』をどう考えるか、みたいな話は難しい問題をはらんでいる。しかし、それは社会的な価値の議論としてまずあるべきだと思うんだよね。

事業者としての責任の臨界点が、社会的にどこまであるのか、ということを定義すればいい。社会の責任は社会の責任で持ちましょう。個人の責任は、個人の責任で持ちましょう。私が本で今まで書いてきたのは、RTTに関わる個人の責任と、社会の責任がそれぞれあって、それをきちんとみんなが責任範囲を認識しましょう、と。そうじゃないと、議論がすすみませんよ、ということなんだよ」

牛邊「なるほど。わかりました。池上先生の本がもっと売れればいいわけですね。そうすれば、私もRTT事業者は社会的責任を放棄した守銭奴だとか、プロパガンダ事業者だとかなんだとか、言われないで済む」

池上「いや、売れなくてもいいが、政策決定や、世論に反映されるようになれば、牛邊くんの議論に実践的に応答できるのではないかと思う」

牛邊「では、そうなるまでは、同意できませんね。

ちなみに、私はもう、外国人差別をやってる連中に『プロパガンダ事業者』と言われるのは、しょうがないというか、実際、それでいいと思ってます。私は、明確に、ネット右翼の連中の自己リアリティのコントロール権なんかは保護しようと思ってないです。

私の敵……というか、ネット右翼のなかにも、RTTデザインのセンスのいい奴もいるんです。だから、現代は、リアルの戦争に変わって、RTTによる闘争をする社会にシフトしたんだ、というのが私の認識ですよ。鋭い議論をする奴なんかより、面白いゲームつくる奴のほうが、手強いアジテーターなんですよ」

池上「確かに、その側面はある。『この考え方はどうだろう』ということが、旧来は『論争』で決まっていたわけですが、いまや身体に訴えかけて『この感覚で考えるのはどうだろうか』というタイプの説得こそが、イデオロギー闘争の主領域にはなってるね。しかし、闘争のリアリティだけで全てを捉えてしまうべきだろうか。イデオロギーにかかわらないゲームへの依存などは、切り分けていいはずじゃないだろうか」

牛邊「確かに、闘争のリアリティが全てだ、とは言いませんよ。『闘争しかない』というのはちょっと言い方が悪かったです。すみません。ただ、かつては、反省的な知性の領域が担っていた領域が、身体的な知性の戦いとなれば、必然的に、身体的な戦いと、反省的な知性による戦いの境界は曖昧な形にならざるをえないわけですよ。だからこそ、闘争のリアリティが合理的な範囲と、そうでないものの切り分けを、クリアに提示してほしいですね。繰り返しになりますが、池上先生の問題意識は理解してます。ただ、解決策に同意できないというか、弱すぎます」

池上「その批判はわかった。もっと、具体的なアクションと連結させていくための方法を、ぜひ今後、牛邊くんにも、相談させてください」

 

■リアリティの変化は、世界をどこまで幸せにするか

 

池上「今までの話をまとめてみようか。ゲーミフィケーションがRTTという言葉に取って代わられた理由は何か。

一つは、ゲーミフィケーションという言葉が極端に捉えられたことです。『ゲーム』という言葉自体が強いバイアスをもっていた、ということだね。

もう一つは、多様なユーザーデータがとれるようになり、非常に幅のひろいユーザーのリアリティに対応できるようになったこと。技術の連結範囲がかわったということだろうね」

牛邊「そうですね。さらに言うと、もう一つはゲーミフィケーションの頃から言われていたことですが、各種の『現実』と『仮想』を重ね合わせる仕組みの進化という話もあります。ARの技術が、普及レベルにまできたことも大きいです。未だに、完璧にうまく活かしたアプリケーションが出てきていませんが、その萌芽のようなものは出てきています」

池上「さらに、今後、期待される技術分野などはある?」

牛邊「一つは、物語の自動生成だとか、笑いの自動生成だとか、そこらへんに人間の認知処理に関わる情報技術ですね。人間が、ある状況を『物語的だ』と感じる状況というのは、実はけっこう決まっているので、そこに対して情報技術でアプローチする方法が、今までゲームでやられてきたことなんかよりも、実はもっと幅が広く考えられる。

ちなみに、池上さんから、『社会として、RTTに期待されること』ってどういう部分なんですか」

池上「最後の差別問題の話は、すばらしい取り組みだと思った。リアリティをうまく変える技術で、戦争とか、差別とか、労働観とか、世界の不幸な問題の50%ぐらいは解決可能だ、と私は本気で考えてるわけ。正確には、問題の構成が変わるだけという側面もあるだろうけど、それでも世界はトータルで20%ぐらい幸せになると思う」

牛邊「お、評価してもらえたようでよかったです。まあ、問題の構成が変われば、世界のいろいろなもののバランスも変わるわけですからね。そのバランスのハンドリングは難しいですけどね。

私のやりたいことのバランスも極端だと思う人も多いと思いますしね」

池上「……だろうね」

――牛邊先生、池上先生、本日は有意義な議論をありがとうございました。

牛邊「あ、はい。じゃあ、通夜行ってきます。喪主なんで」

※この記事は『IT批評 VOL.3 乱反射するインターネットと消費社会』(2013/3/20)に掲載された記事をもとに構成しています。

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