音楽業界の変容と技術に翻弄される著作権〜ソーシャルメディアとの幸福な出会いは実現するのか

ARCHIVE

荒川祐二

 

音楽ビジネスを取り巻く状況が大きな変化を迎えている。象徴的なのが数々のソーシャルメディアが舞台となった衝突や行き違い、そしてソーシャルに適応したビジネスを模索するアーティストたちの動きだ。

音楽ビジネスが大きな変動を迎えている

 

90年代の後半に、かつてないほどのメガヒットが多発して、音楽ビジネスはその規模を拡大し続けるかのような錯覚を覚えた。しかし、21世紀を迎える頃には音楽ソフトの売上げ下落が目に見えて明らかになった。その原因についての分析は本稿の対象ではないが、ユーザーによるコピーや無許可のダウンロードサイト、P2Pによるファイル交換など、多くのイリーガルな要因が業界によってやり玉に上げられた。違法なダウンロードサイト運営者の逮捕や、P2Pサービスの事業者が損害賠償で訴えられるなど、業界と当局による積極的な対策が続いている。

しかし一方では、そもそも人々が音楽を聴かなくなってきたのでは、という根本的かつ悲観的な意見も一部では見られる。ケータイやパソコンなどに向けた音楽配信サービスが順調に伸びているが、それを加味したとしても音楽ソフト全体の売上げ低下が止まらないためだ。

だが、人々は決して音楽を聴くこと自体を止めたわけではない。パッケージや配信による音楽ソフト販売の売上げは落ちているが、その周辺も含めた人々の音楽に対する需要は決して減ってはいない。そのひとつの証が、フェスなどの音楽イベントの増加だ。もちろん、すべての音楽フェスが満員御礼というわけではないが、老舗のフェスの10万円近いチケットの先行販売に行列ができるのは、人々が自ら求める音楽に対しては、きちんと対価を支払うことを端的に示している。

また、iPod やウォークマンなどのデジタル音楽プレイヤーの売上げも増え続けている。確かに、これらのデジタル音楽プレイヤーは多機能化が進み、単純に音楽を聴くためだけに購入しているわけではないかもしれない。しかし、同時にこれらの機器によって人々が気軽に音楽を聴けるようになったことは事実であり、これらのデバイスの周囲に音楽をより楽しむための周辺機器マーケットのエコシステムが確立している。レコード協会の調査によると、音楽ソフトの年齢別購入者調査でも、若年層ほど音楽コンテンツを購入していることが明らかになった。例えば若年層に大きく支持されているアーティストである西野カナなどは、CDの売上げ枚数と配信による売上げがともに大きい。

一方で音楽ソフトの「買い方」に変化が生じているのも事実だ。音楽ソフトのダウンロード販売が一般的になったことで、これまでアルバムという形でパッケージングされ、一括でしか買うことができなかったものが、ダウンロード販売ではユーザーが自身の選択によって、欲しい楽曲をピンポイントで購入できるようになった。このことは、ユーザーにとっては無駄がなくなった反面、全体での売上げ低下に繋がっていることは否定できない。さらに、経済状況や人口減少傾向などの、外部環境の変化によって、音楽ソフトの売上げにとって、今後ますます厳しくなることが予想される。

では、音楽ビジネスは、その規模を縮小し続けるしかないのだろうか。それに対して、海外の事例を見てみたい。

 

世界的な音楽産業の流れ

 

日本のみならず世界でもCDというパッケージでの販売からネット配信への流れがさらに進み、ユーザーがより使いやすいサービスが主流になりつつある。その中でも最も注目されているのがスウェーデン発の音楽配信サービス「Spotify」だ。

Spotify は、iTunes ライクなインターフェイスをもった専用アプリケーションから利用するクラウド型の音楽配信サービスだ。既にサービスが開始されている国(北欧各国、英、仏など欧州各国)のユーザーならば、1000万を超す楽曲を自由にストリーミングで聴くことができ、すべての楽曲はメジャー、インディーズ問わず幅広いレコード会社と正規に契約したものだ。5〜10ユーロ程度の月額課金によるサブスクリプションコースのほか、広告と引き替えに無料で利用できるコースもある。有料会員はスマートフォンからも利用できることから、サービス提供国では個人が音楽を聴くための新たなインフラとして、デファクトスタンダードとなりつつある。もちろん無料コースであっても、配信される広告からSpotify 社が得る収入によって楽曲の使用料はきちんと支払われている。しかし、自分が聴きたい楽曲をいつでも検索して、無料で聴けるという体験は、人々の音楽コンテンツに対する「値ごろ感」を大きく変えてしまったのかもしれない。

かつて、コンテンツホルダーにとってインターネットは敵とも言える存在だった。ネット上には違法なコンテンツが溢れていたからだ。象徴的な事例が、MTVやパラマウント映画を傘下に持つバイアコムによる、YouTube(グーグル)の提訴だ。2007年3月に訴訟が提起されてから、一度はグーグル側に有利な判決が出たものの、バイアコム側が控訴したことによってまだ最終的な決着は見ていない。

だが、4年前に比べるとコンテンツホルダー側の認識は大きく変わってきている。例えば、現在では多くのレコードメーカーやアーティスト自身によって、YouTube 上に「オフィシャルチャンネル」が開設され、多くのアーティストがプロモーションビデオ(PV)をフルサイズで公開している。最新の楽曲だけでなく過去の代表作も公開していることが多く、そのアーティストの作品に触れたいと思った視聴者がアクセスすれば、すぐに見られる環境が整っている。その背景には、日本のみならず世界でも単純に音楽ソフトをパッケージ販売するだけでは利益を生み出しにくくなってきているという事情がある。それを補うため、アーティストのビジネスモデルを模索する新たな動きが活発化している。

代表的な動きがマドンナだ。2007年にレコード会社との契約を終了し、コンサート運営会社であるライブネーションと「360度契約」を締結した。これは、マドンナのアーティスト活動による収益源の核をCDの販売ではなくライブ活動へと明確に転換させ、そしてさらにその周辺へとビジネスを拡張する意図だと言われている。

同じく2007年にはプリンスが、コンサートの告知と同時に発売直前の最新アルバムを「新聞のおまけ」として配布した。この行為はレコード会社などの反発を招いたものの、公演とその後のビジネスにおいて大きな成功を収めた。また、ナイン・インチ・ネイルズやレディオヘッドは、アルバムをネットで無償配信したり、CDよりも先行してダウンロード販売を行ったりするなど、既存のレコード会社によらない音楽ソフト販売を模索し続けている。

さらにそれを推し進めているのがレディ・ガガだ。彼女はライブにおいて観客による撮影を許すのみならず、YouTube やFacebook での公開を推奨している。さらには、自らのファッションやスタイル、パフォーマンスのすべてにおいて、アーティストとしてのキャラクターを全面に押し出し、それによってパッケージの販売のみならず、周辺領域全体で売上げを得るという方策を採っている。

これらの戦略の背後には、ソーシャルメディアの台頭という新しい状況がある。かつてメディアチャネルが限られていた頃は、人々はそのチャネルを共有することでコンテンツを同時に体験していた。しかし、メディアチャネルが細分化した現在では、そのような形でのコンテンツ体験の共有は難しい。また、細分化されたメディアチャネルを、ひとりのアーティストがすべてカバーすることも困難だ。

そこで、ソーシャルメディアにおいて、できるだけ人々がアーティストに対して言及しやすい環境を作ることが重要になってくる。ある程度の知名度を持ったアーティストならば、人々の会話の中で名前や楽曲が登場する機会は少なくない。その際に、話題となっている作品を簡単に参照できれば、多くの人がアーティストやコンテンツに興味を持つ可能性が高くなる。つまり、有償のパッケージ販売にこだわって、コンテンツ自体へのユーザーのアクセスしやすさを制限するよりも、ソーシャルメディアの中でユーザーがコンテンツに接触する機会を増やすという新しいビジネスモデルへの転換を、レコード会社やアーティストマネージメントらが模索しつつある。

しかし、このようなアーティストの販売戦略がすべての国で可能なわけではない。先述のSpotify も現在はEU圏を中心とする数カ国を対象にしたサービス提供に留まっている。

アーティストやレコード会社によるYouTube のオフィシャルチャンネルも、EUや米国からは見ることができても、日本からは見られない公式コンテンツも多い。

なぜなら著作権制度は国ごとに異なり、それに紐づいて音楽コンテンツ産業の構造も国ごとに異なるためだ。このため四大メジャー(ヴィヴェンディ・ユニバーサル、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ワーナー・ミュージック・グループ、EMI)と称される大手レコード会社に所属する国際的なアーティストであっても、国ごとに契約内容が異なっている場合が多い。

その背景には、音楽を楽しみたいユーザーと、そのユーザーに対してさまざまな手段でコンテンツを届けることで収益を最大化しようとするレコード会社の間に、国ごとの制度や産業構造が制約条件となって立ちはだかるという現実が横たわっている。

 

日本の音楽産業はどうなるのか

 

世界的には、パッケージによる収益のみに頼らず、ネットなどをプロモーションツールとして活用し、周辺領域によって売上げを確保するという流れが強くなってきており、四大メジャーは明確にそちらへの方針転換を打ち出している。これによりユーザーにとっては気軽に音楽を楽しめる環境が整いつつある。実際にSpotify やYouTube などのユーザー自身が直接対価を払わずとも、品質の高いコンテンツを楽しめるサービスが普及しつつある。ではその流れの中で日本の現状はどうなっているのだろうか。

日本のアーティストやレコード会社もYouTube でオフィシャルチャンネルを開設したり、アーティスト自身のオフィシャルサイトでPVを公開したりする例は増えてきている。しかし、それらは期間限定であったり、一部分のみであったりなど、制限を加えた状態で、かつ自分たちのコントロールが可能な範囲での公開に留まっていることが多い。

だが、ネットやソーシャルメディアを独自に活用することで、マスマーケティングに匹敵するセールスを記録する例も出てきている。ラッドウィンプスという4人組のロックバンドは、2001年からインディーズで活動を始め、2005年にEMIミュージック・ジャパンからメジャーデビューを果たしている。2009年3月に発売された5thアルバム『アルトコロニーの定理』は、タイアップや

TV番組出演、雑誌広告といったマスメディアを利用したプロモーションを一切しなかったにもかかわらず、初動で20万枚を超えた。その背景にはいくつか要素があるが、大きなこととして、彼らがブログやSNSなどで地道にファンとのコミュニケーションを続けてきたことが挙げられるだろう。

その一方で、現在の自分たちのビジネスモデル、商流を守ろうとしているレコード会社が多いのも事実だ。パッケージの売上げが下がればその原因を違法コピーやYouTube、P2Pなどに求めた。もちろん、違法流通が与える負の影響は無視できないほど大きいことも事実ではあるが、それらにどんなに対策を講じても、現実としてパッケージ全体の売上げ低下は止まっていない。その原因が、

そもそもの業界構造や、人々のコンテンツに対する態度変容といったものだとしたら、ビジネスモデルや業界構造の転換といった自己変革が必要になってくるはずであろうし、実際にそういった意識を持つ人々も出始めてきている。しかし、業界全体として見た場合、動きが鈍いことは(残念ながら)否定できない。

 

ユーザーと権利者のコンフリクトを解決する

 

ソーシャル時代を見据えたアーティストの新しいビジネスモデルは、現時点ではまだモデルとして確立したものとはなっていない。しかし、技術の発達による新しいサービスの登場や、環境の変化は日々進んでいる。そのため、音楽を楽しみたいユーザーの行動が、旧来の制度やビジネスモデルとコンフリクトを起こす場面が散見されるようになってきた。典型的な例が、音源や再生機器のデジタル化、書き込み可能な光学式ドライブを搭載したパソコンの普及によって、家族や友人間でのCDの貸し借りが、デジタルデータでの劣化のないコピーに繋がってしまうというものだろう。

また、YouTube やニコニコ動画などを使って、既存の楽曲の音源に合わせて歌ったり踊ったりしている動画をアップロードしてみんなで楽しむという行為が、新しいエンターテインメントとして定着しつつある。これも家庭内や友人とだけで行っているならば問題ないが、動画共有サイトを利用して不特定多数(特定多数)に公開するような場合は権利侵害となる可能性が極めて高い。つまり、新しいサービスが出現し、それを利用してユーザーが単純に音楽を楽しむ行為が、旧来の枠組みでは意図せずとも著作権侵害=違法行為となってしまうということだ。このように技術の発達による環境の変化が、旧来の制度との間に大きなギャップを生じさせている。ひとことで言えば制度疲労を起こしているのである。

しかし、世界的な流れは、ソーシャルメディアの中で人々が音楽をより気軽に楽しむことで、パッケージの販売ではなく周辺領域全体で利益を得る方向へと向かっている。

それこそがユーザーと著作権者の両方にとってハッピーだからだ。

私が代表を務める株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス(以下、JRC)では、2008年3月にグーグル株式会社との間で、日本における音楽著作権の包括的利用許諾契約を結んだ。これによって、JRCが管理する楽曲ならば、ユーザーは自ら演奏しYouTube にアップロードしても違法行為ではなくなった。この契約が先鞭となって、同年10月には日本最大の音楽著作権管理事業者である日本

音楽著作権協会(JASRAC)もグーグルと包括的利用許諾契約を結んだ。

さらに我々JRCは、2009年6月にニコニコ動画を運営するニワンゴと、2010年3月にはUstreamとも包括的利用許諾契約を結び、日本でのユーザー数が多い動画共有サービスをほぼ網羅できた。なかでもUstream との契約においては実験的な試みとして、一部の楽曲は原盤権をも対象にした許諾を含んでおり、ネット上でのDJプレイなどにも道を開くものとしてさらに画期的な契約となっている。

これら動画共有サービスとJRCが契約を結んだのは、単にユーザーの利便性を考えてのことだけではない。こういった技術の発達によって登場した新しいサービス、新しい楽しみ方は加速する一方であり、その動きは止められない。仮に止めようとしたときに、そこで起きかねないコンフリクトを避けるために絶対に必要であろう、という考えに基づくものであった。ソーシャルメディアの中でユーザーが純粋に楽しみとして行った行為が、その意図がなかったとしても権利者の利益を損なう結果となることがある。一方で、視点を変えればユーザーの同じ行為が著作権者の利益になる場合もある。そしてソーシャルメディアの重要な役割のひとつである「参加する人々の間での相互のレコメンデーション」は、既にアーティストとしても無視できないものとなっている。

しかし、著作権はユーザーにとって非常にわかりづらい部分があることも確かだ。例えばCDには、作曲家と作詞家の著作権に加えて、演奏家やレコード製作者の著作隣接権も生じるが、多くのユーザーは著作権のことまではなんとなく知っていても、それ以上の細かな権利の区別までは知らないのが実状だ。そこでルールを整備し、ユーザーに対してきちんとした道を示してあげることは、著作権者の権利を保護するだけでなく、ユーザーにとってもネット上で音楽を楽しむという行為を担保することになる。そこで、JRCとしてこの動きを推進していくことに全力を注ぐことにしたのだ。

自らの判断で踏み切るアーティストの登場

 

日本においても、ネットのサービスを活用して作品をネット上で積極的に楽しめるようにすることに、明確な意義を見出すアーティストが登場している。単純なプロモーション手段としてだけではなく、アーティストが自らの作品を世に問うためにいかにしてネットを使うかという、次のステージへと踏み出しつつあるのだ。

2010年秋、坂本龍一の北米でのコンサートツアーのうち4公演が、坂本の友人である古川享氏(元Microsoft副会長、現在は慶應義塾大学教授)らによってUstream を使って全世界に中継された。これはTwitter での坂本のつぶやきから始まったものであり、大きく告知されなかったにもかかわらず、ソーシャルメディアで情報が駆け巡ったことから、1公演あたり数万人が視聴するという大きな成果を上げた。

あまりに大きな反響を受けて、坂本は翌2011年1月9日の韓国・ソウル公演を公式にUstream 中継することを決めた。このときはコンサートを無料で中継するだけでなく、ユーザーに対して「パブリックヴューイング」を呼びかけた点が前年とは異なっていた。ユーザーに対して、個々にパソコンを通して視聴するだけでなく、周囲に呼びかけてみんなで見ようという「小さな手間」を要請した。これはソーシャルメディアの可能性を見た坂本の、その次のステージとしてネットを越え肉体をともなった経験を共有して欲しい、という願いによるものだ。それに加えて、コンサートの2日後にはiTunes でライブアルバムを配信したり、パブリックヴューイングプロジェクトのオリジナルグッズを販売したりすることで、無料コンサートを聴いたユーザーに対して「対価を支払う」手段を用意した。

ソーシャルメディアが発達した時代において、ネット上で自らの作品を世に問いつつ、さらにアーティスト自身がコミュニケーションを図りながら、ファンとアーティストの両方にメリットがある試みとして、この事例はエポックメイキングなものだったと言えよう。

 

著作権に対してどう向かい合うか

 

これまで挙げてきた多くの事例を見ると、技術の発達やソーシャルメディアの浸透によって著作権そのものが変容しているのではなく、それらによる環境の変化によって著作権が翻弄されていることがわかる。そして変容している(変容を迫られている)のは音楽業界のビジネスモデルの方なのだ。

したがって現在必要なのは、新しいビジネスモデルを見据えた上で、作り手側と受け手側が改めてどのように著作権に向き合うのか、ということではないだろうか。これまで作り手は、著作権を盾にして作品を囲い込むことでビジネスを行ってきたが、今となってはそれだけでは収益を得られなくなりつつある。受け手は、技術的に可能だからといって、自由に、できるだけ障壁がない状態でコンテンツを使う状態を享受してきたが、その行為がコンテンツの源泉を毀損してしまっている。これからは、この作り手と受け手の間のギャップをすり合わせていくことが必要だ。

その好例が、先述の坂本龍一のコンサートなのだと思う。Ustream での配信であっても機材や手間を惜しまず、非常に高音質なネット中継を実現すれば、それに対して自らお金を払ってもよいというユーザーが少なからず存在した(前年秋の北米ツアー中継時にもソーシャルメディア上では「配信に対してお金を払いたいのに払えない『振り込めない詐欺』だ!」とまでの言葉が見られたくらいである)。

それを受けて、2011年1月のソウルからの中継では、オリジナルグッズの販売などで「対価を払いたい」という視聴者の思いに応えた。もちろん、すべてのアーティストが、坂本と同じモデルでビジネスが成り立つわけではない。アーティストの特性やファン層のボリュームに応じてモデルが変わっていくが、このように多様なモデルを選びうるような状況こそが、今の音楽ビジネスの現実であり、今後のヒントでもあるのだと思う。

そして、このアーティストの活動を支えるものとして著作権の重要性は変わらない。誤解を恐れず言えば、著作権とは、第三者に使って貰わないことには何の意味もない権利だとも言える。そこにアーティストが存在し、作り出す作品によって楽しむ人々がいる限り、アーティストの活動を支えるものとしての著作権の重要性は変わらないだろう。

ただ、さまざまな周辺環境の変化によって音楽業界のビジネスモデルが変化し、アーティストの収益源が多様化していくことによって、著作権のうち財産権の部分の重要度は相対的に下がっていく恐れはある。しかし、アーティストの活動を支える礎となる著作者人格権の重要性は変わらない。これらは、あくまでもアーティストの活動における著作権というものの位置づけであって、著作権そのものの要不要ではない。そして、著作権そのものが変化していく可能性を否定するものでもない。

今でもネット上では国境をたやすく越えて音楽が流通していく。技術的にネット上にある程度の〝国境〞のような制限を加えることは可能だが、完全なものではない。それに、今後、日本の経済的な市場規模の縮小が避けられない中、より広いマーケットを目指すためには、世界を対象にしたサービスへアプローチしていく必要がある。

そういった事情は日本のみならず海外でも同様だ。その萌芽のひとつがスウェーデンで見られる。先に触れたSpotify はスウェーデン発だが、そのアドバンテージを活かして、スウェーデンのアーティストが積極的にSpotifyを利用することで、国境を越えて人気を広げていく例が相次いでいる。

このように容易に国境を越えるようなサービスを積極的に利用していくためには課題も多い。人口900万人のスウェーデンのように、自国の音楽市場が小さいところでは、他国の市場へとアプローチしていくインセンティブがそもそも強い。日本のように音楽市場の規模が大きいと、そこで現状、売上げを立てているプレイヤーの一部が、既存のビジネスモデルを優先してしまうことは想像に難くない。しかし、日本のアーティストもこの国際化の流れを意識せずにビジネスを展開することは徐々に難しくなってくるのではないかと考えている。

 

著作権を変える必要はあるのか?

 

現在の技術的環境とビジネス状況を考えると、根本的な解決は(極論かもしれないが)著作権法をゼロから組み直すしかないと思われる。多国間で整合性をとりつつ、さまざまな利用方法が考えられる技術的、社会的な環境を考えると、現在の著作権法ではあまりにも不整合な点が多い。

実際に著作権についての議論が産官学を交えて盛んに行われている。その中でひとつの意見として、著作者人格権の撤廃を求める声がある。著作者人格権は強力な権利であるため、利用者側が大きく制限を受ける事態は多い。しかし、著作者人格権はアーティストの創作活動の根幹をなすものであり、活動を支えるものとしての重要性は今後も減じることはないものだ。単純に、利用者にとって不便だからということでなくすという意見には、首肯できない。したがって、現行の著作権法の一部を修正して対応していくしかないが、修正するにしても、その方向性が問題だ。例えば著作権の保護期間は、日本の場合は著作者が死亡してから50年を経過するまでの間だが、EUの多くの国やアメリカでは死後70年となっている。そこで「日本の保護期間も欧米に合わせよう」という声が権利者を中心にある。

対して利用者は「保護期間が短いほうが二次創作などの土台になるので延長反対」という声をあげる人が多い。

この議論において、私が重要だと考えているのが「多様性」だ。著作物には多様な種類があるし、著作者ごとに考え方も異なっていると思われるが、それを一律の保護規定、保護期間に押し込める必要は、必ずしもない。欧米各国と同様に死後70年の保護を求める著作者もいれば、自らの作品を一定の条件下で他人に自由に使って貰いたいと考える人もいる。そういった著作物の保護のレベルに関して、すべての著作権者の望むままにするのでは、さまざまな保護レベルが入り乱れてしまい、かえって混乱が生じてしまう。

保護する必要のない著作物や、自由な二次利用を推奨する人の著作物まで一律に死後何十年としてしまうことに、著作権をとりまく混乱の一因があるのかもしれない。ならば保護レベルに応じたいくつかのパターンを用意し、権利

者がそこから選択するというのが現実的な解ではないだろうか。その保護レベルも、諸外国との整合性、現在の著作権法、そして二次利用者の利便性を考慮する必要がある。

そして、権利者ごとに保護のレベルが変わるとなると、それを統一的に管理するための膨大なデータベースの構築が必要となる。コンテンツとアーティストと管理者、そして権利の詳細がデータベースになっていて、利用したい人がすぐに権利者と、その保護レベルがわかるようでなければならない。今の技術であれば、それだけのデータベースの構築と運用をコストとメリットのバランスを十分に取った形で実現できるはずだ。また、著作物と著作者に関する緻密なデータベースは二次利用者のみならず、今後のコンテンツビジネスにおいて大きな財産となる。データベースは非常に大規模なものとなるだろうが、現在の私たちはそれを実現できるだけの技術を既に持っている。

音楽ビジネスは技術とソーシャルメディアによって大きな変革を迫られている。そして、その中で著作権も翻弄されており、時代に合わせて変化すべき点も多い。しかし、ソーシャルメディアは音楽の楽しみ方を広げこそすれ、音楽の楽しみを損なうものではない。そして、技術は著作権を翻弄するだけでなく、技術によって解決できる課題も多い。ならばこそ、アーティストを支えるものとしての著作権の重要性は今後も決して変わらないだろう。