「第三のムラ」として出現したネットコミュニティ―オンラインゲーム依存は何を示唆するのか

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芦﨑 治

 

SNS は多様なコミュニティを形成している。そのコミュニティはリアルのそれを凌駕しはじめている。若者たちはネットのコミュニティに何を求めているのか。『ネトゲ廃人』の著者がオンラインゲームの事例からみていく。

オンラインゲームの衝撃

 

はじめに日本のオンラインゲーム(ネットゲーム)の推移をざっと概観してみたい。

米国の画期的なオンラインゲーム『ウルティマオンライン』(通称UO)が日本サーバで運用になったのは、1998年9月のことであった。初めてオンラインゲームに接した時の驚きを、あるヘビーユーザーがこのように回顧した。

「ガーン! と鈍器で殴られたような衝撃があった」という。

MMORPG(多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム)では、同時に数千人が参加し、50種類以上のスキルがある。出会いの数といい、画像の容量といい既存のゲームを完全に凌駕し、しかも24時間フル稼働でゲームクリアという概念がない。オンラインゲームは終りのない旅だった。

『ウルティマオンライン』日本サーバ運用後、家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」や「プレイステーション2」が発売になる。それまでオンラインゲームはPCのキーボードで操作をしていた。

ところが簡便なコントローラーで楽しめるようになり、キーボードの苦手な女性層がゲームに参入するようになる。

そして02年5月に国産の代表的なオンラインゲーム『ファイナルファンタジーⅪ』(以下、FFⅪ)の運用が始まった。ライトユーザーや若年層を市場に取り込み、オンラインゲーム大衆化の幕開けになったといえるだろう。

 

ネットの中の人間関係、その行方

 

拙書『ネトゲ廃人』(リーダーズノート)では、MMORPGにハマった25人

をインタビューした。実際に登場するのは19人だが、その中の一人、都内の金融機関で働く栗原千里(仮名)のケースを紹介しよう。

地方都市の高専を卒業し、その地方で知られた印刷会社に入社した。不況で右を見ても左を見ても社内に将来性がない。失望感で打ちのめされていた時に、オンラインゲームFFⅪと出会った。

一時的にせよ、ゲームは救いだった。それからライフスタイルは劇的に変わる。定時にわき目も振らずさっさと帰った。午後6時過ぎに、ワンルームマンションへ。

FFⅪは、6人1組でその夜の旅に出かける。人気があった頃、オンラインゲーマーの6〜7割がログインしていたともいわれ、午後7時までに必死で5人を探さなければならなかった。6人1組から脱落者が出ると、ゲーム効率が落ちる設計になっている。日本人特有の横並び意識と連帯責任で、ついつい明け方まで付き合うのが常だった。

普通、ゲームでは、キャラクター1人に付き1つのグループにしか入れない。このグループとは相互に助け合うコミュニティのようなものだ。ところが、FFⅪではリンクシェルという貝のアイテムを付け替えることで1人のキャラクターで複数のコミュニティに所属できる。遠くにいる人でも最大64人と交信可能になる。

新しい人々と出会うことのワクワク感がある一方で、ゲーム内といえども人間

関係ができることで拘束も生じる。6人1組が長時間狩りを続けることで、「君を守りたい」「ぼくのアイテム(武器)をあげるね」というチャットが飛び交い、お互いの好意を感じ合ってネット恋愛に発展するカップルも多かった。ゲームは遊びでも、ネット恋愛はゲーム内の遊びで終わらない。特に男性のほうが「リアルで会いたい」という欲求が強い。

ネット恋愛からリアル恋愛へ進行し、リアル恋愛で炎上した時に、失恋、不倫、離婚という生々しい社会現象をもたらした。オンラインゲームはバーチャルで終わらないのだ。

 

消えたリアルの人生?

 

ゲーム世界にも組織ができる。組織ができれば葛藤が生まれる。ムラビトの遺伝子を持った複数の日本人が集まれば、そこに疑似共同体の〈ムラ〉ができた。

リンクシェルごとにオフ会が開かれ、栗原は好奇心のままに上京し、〈ムラ祭り〉のようなオフ会に参加して処女を喪失したという。FFⅪに異常なほどのめり込んだのは、03年から06年までの約4年間、ゲームの経験値が高くなり、戦闘シーンで他の5人を守った夜は、「今日もいい仕事をしたな」と満ち足りた気分で眠りについたという。

彼女は会社への失望感からFFⅪに傾倒した。会社は利益を得るための共同体だが、実生活を支える共同体にはアイデンティティを持てず、オンライゲームに疑似共同体としてのコミュニティを求めたのではないだろうか。

オンラインゲームにハマった人々に共通の質問をした。それは「ゲームで得たもの、失ったもの?」だ。誰もが「得たものは友人、失ったものは膨大な時間」と答えた。なかでも「失ったものは、真っ当な人生」と答えたのが、札幌に住む金沢雅彦(仮名)だった。学生時代は釧路の公立大学で過ごした。

彼がハマったのは韓国製オンラインゲーム『リネージュ』の「攻城戦」だった。城を舞台に味方200人VS敵200人で攻防する戦闘ゲームだ。味方の200人は、50人、40人、30人というような5つの混成部隊だった。各部隊にトップがいた。金沢は50人の部隊のトップだった。彼の部隊が一番の勢力だったので、全体をまとめる役割を担っていた。200人の〈ムラの長おさ〉だった。

トップが5人いると、戦術に好みが出た。敵陣攻略を巡って5人で議論しなければならかった。トップの3人が金沢の戦術に合意してくれても、残りのトップ1人が納得してくれない場合は説得しなければならない。

彼は、こんな話をしてくれた。

「ぼくは全会一致で楽しくゲームを進行させたいほうだったので、反対意見がある時は話し合いました。自分の戦術を妥協して、こうしたらどうですか? と提案する。必ずしもトップがものわかりのいいタイプとは限らない。相手が攻撃的な性格だったり、精神年齢が幼稚だったりすると、合意が得られないこともあった」

どうしても他のトップを説得できなかった場合、同じ部隊の下から「どうして巧く話し合えなかったのか?」と不満が噴出した。数々の戦いの経験から、人数の多いほうが勝てるとみんなが知っている。折り合いがつかず、30人の部隊が抜けると味方170人VS敵200人と劣勢になる。その30人だけは失いたくない。円満な話し合いで済ませることが〈ムラ〉の調整役の使命だった。

こういう時のトップ会談は、すべてチャットで行われた。キーボードで打って文字で伝え合う。電話で話し合うのとはわけが違う。もの凄いエネルギーが必要になった。

「1回の会議だけでも、3時間、4時間かかる。そのうち、会議なんか面倒だ!という人も出てくる。そうならないように巧くまとめないといけない。企業の中間管理職みたいな付き合いみたいなもので、それがストレスになっていった」

もともと社交的なタイプで、大学祭を企画運営するサークルに属していた。ゲーム内でもリーダーシップや発言力があり、人望もあって調整役になっていた。

ゲームとはいえキャラクターの向こうに生身の人間がいる。組織全体の責任もついて回る。次第に、人間関係に疲れ果てていった。

「1つの部隊に50人もいると、引き止めたりしないと自然に減っていくんです。人数が減ると困るので、掲示板で兵士を募集する。新しく入って来た人は、たいていゲームの初心者なので、声をかけてあげたり、交流して教えてあげないといけない。50人を掌握するのは大変ですよ。だんだん自分が楽しく遊ぶ感じでなくなっていくんです」

一晩中、トップ会談を重ねている夜もあり、昼夜逆転すると授業に出る気力が失せた。気がつくと大学5年生になっていた。ストレスで「攻城戦」のトップ戦士から脱落し、単位が取れる見込みも立たずに大学を中退。リアルでも、ゲーム組織においても居場所を失い、大学を中退した時に、いきなり鬱病になってひきこもった。

地方問題としてのひきこもり

 

金沢の場合、ゲームをやり過ぎてひきこもったケースだが、逆にひきこもってからゲーム依存になるケースもある。

ここで指摘しておきたいのは、通常いわれる「ひきこもり」が必ずしもゲームをしているわけではないという点だ。

10年11月に、NPO法人全国引きこもりKHJ親の会の第6回東京大会が開かれた。このシンポジウムでは、ゲーム依存が話題にさえ上らなかった。

池上正樹著『ドキュメント ひきこもり』(宝島社新書)に、興味深い証言が出

てくるので紹介しておきたい。

「ひとりでいるのは平気なので、退屈とか寂しいとかはなかったです。テレビはもともと好きではなかったし、ゲームもやりませんでした。だって、ゲームとかって、すごく前向きじゃないですか、経験値稼いだり(笑)。そんな建設的なことはとてもできませんでしたね…。」

『社会的ひきこもり』(PHP新書)の著者で精神科医の斎藤環氏にも直接尋ねたことがあるのだが、ひきこもりの臨床例の約8割は部屋で何もしていないそうだ。

長年、ひきこもりに関わってきたNPO法人青少年自立援助センターの工藤定次氏の言葉を借りると、「純粋ひきこもり」というタイプになる。

そもそも「ひきこもり」は、精神障害ではなく、ひきこもった状態を表すことばなのだ。部屋で何もしないで、じっと世間の目から耐えているのがひきこもりなのだ。

ゲーム依存は、確かに部屋にひきこもっている。ただ、ネット上の他者との交流もあり、ゲーム画面に向かって活動的であることを考えると、「ひきこもり度数」は低いといえる。

しかし、ゲーム系ひきこもりも、チャット系ひきこもりも、ひきこもった状態が長期化すると精神障害が生じる可能性が出てくる。

「ゲーム依存」というと都市的な病に見られがちだが、実はゲーム系ひきこもりは地方に多いのだ。大都市には若者たちがエネルギーを発散できるイベント、繁華街、遊びも多岐にわたっている。ゲーム系ひきこもりは、地方問題なのである。

事件化しないので、新聞紙上に浮上しないだけだ。

小春日和のような日常の続く「豊かな社会」では、死にがいも、生きがいも見つけづらい。そういう時代に、仮想のゲーム世界であっても組織の役割分担が明確で、「経験値」を上げる喜びや「狩り」といった目標がはっきりしたオンラインゲームでコミュニティが体感できる。

これはオンラインゲームに限ったことではない。ただオンラインゲームのユーザーは、SNSやソーシャルメディアのユーザーの未来を占うには一つのサンプルになりうるのではないか。なぜなら、ソーシャルメディアの特徴であるP2P

でのコミュニケーションの活性化がこのまま進んでいけば、相互依存の傾向は高まっていくからだ。

ただ、すべてのユーザーが依存性を高めるということではなく、依存性の高さは個人差によるものであることは付記しておきたい。

 

インターネットだけを信じる生き方

 

富山県生まれの山崎太一(仮名)は、31歳だ。小学校の頃から正義感の強い子だった。高学年になると先生と言い合いになり、授業がストップすることもあったという。

中学生の時に、緊張感で体が震えることもあり、それを見た同級生からある種のいじめを受けた経験がある。ただ高校になって複数の友人が遊びに来るこも

あって、両親から見ると「いい感じになっていた」という。

高校生になり父が購読していた保守系論壇誌『諸君』などを読むようになる。ある日、たまたま自衛隊員が勧誘に家を訪れたのをきっかけに、山崎は一般曹候補生試験を受け、卒業後に八戸の航空自衛隊に入隊した。

教育期間中ははつらつとしていた。しかし本人の志望したコースに行けず1年半で除隊。20歳の時に郷里に戻った。

しばらくして北陸の私立大学に入学した。その頃からオンラインゲーム、インターネットに傾倒するようになる。PCの前に座る姿は、「水を得た魚のようで、

喜んで生き生きしてやっている」と両親には映った。

2ちゃんねるで、国防、愛国心、中国・北朝鮮問題を論じると、元自衛隊員だけに同じ世代に対しては情報が格段に上だった。その他にも科学、宗教、歴史の雑誌を読み、知識は豊富だった。そんなある日、チャットでこう書かれた。

「あなたは、特別な存在だよ…」

そんな1行が、山崎をくすぐり心に深く刻まれる。その頃から、2ちゃんねるの情報を盲信するようになったという。

「地方の私立大学はレベルが低い」と言うようになって、予備校に通い電気通信大学の2部に合格した。調布市の大学近くの寮に暮らし、昼はオンラインゲームか2ちゃんねるをやって夜間の大学に通った。

両親が彼の「言動がおかしい」と感じたのは、大学2年の春ぐらいだった。大学3年の秋になって「そろそろ就職活動の時期だろう、どうしている?」と父が尋ねても何も準備をしていなかった。

「就職活動はしなくていい。ぼくは、特別な存在だから。ちゃんと自分に声をかけてくる企業が現れるから」

しかし、どこからも声がかからない。郵便受けを見ながら「おかしいな?」と首をかしげていたという。それでも単位は取得でき、指導教授のはからいなのか卒業論文も複数の学生による共同執筆でクリアできた。

卒業後、富山の実家でひきこもり、ネット依存は続いた。体重は100キロを超え、「中学時代に自分をいじめたやつらに復讐してやる!」など言動のおかしさは鮮明になっていった。

28歳になった時、父が「いい加減に、就職しなさい!」と叱咤した夜があった。

その日を境に、さらに言動に怪しさが増していったという。

彼はこんなことを口走るようになっていた。

「ぼくは病気なんかじゃない。ただ、インターネットの情報を信じてるだけなんだ!」

それから二度、精神科の病院に入院した。統合失調症と診断された。今はまた実家に戻り、2ちゃんねる中心のひきこもり生活をしている。深夜、2ちゃんね

るのやり取りが可笑しいのか、山崎の部屋から笑い声が響くという。

インターネット上には多様なコミュニティが形成されているが、容易に情報の発信者となれるソーシャルな仕組みの中で、幼児的な万能感が醸成されやすい状況も生まれている。ムラ的なコミュニティを維持しようとすれば交流は限定されて排他性が高まり、客観性を失い偏っていくからだ。

 

ネットコミュニティは何を代替している

 

近代化とは西欧化と工業化を指していう。近代化が都市化を進め、1900

年前後に自然村からムラビトが流出し、都会を形成した。それはそれほど古い人口流動現象ではなく、たかだか100年ぐらい前の話なのだ。

それ以前、ほとんどの日本人は半農半漁のような生活で、初夏になれば横一列に並んで営々と田植えにいそしんできたのだ。泥田で一歩一歩呼吸を合わせて苗を植える。尋常一様の横並び意識はそう

して育まれた。

政治思想史学者である神島二郎は、ムラは崩壊しても、ムラ原理は〈第二のムラ〉として郷党閥や学校閥などにひきつがれて残ったと指摘した。

戦後も高度成長期に、第二次、第三次産業の急速な膨張によって人手が足りず、地方から都市へと出郷者が大量流入し、企業が故郷喪失者たちの受け皿になった。

四季折々の行事、社内旅行、社内運動会も企業ムラが面倒を見た。従業員でない奥さんが子どもを産んでも夫に「出産手当」が出たのである。明らかに企業はコミュニティとしての〈第二のムラ〉であった。

好景気には、〈第二のムラ〉はムラビト(従業員)を守ってくれた。しかし、不況になるとムラビトを守ろうとしなくなった。終身雇用というムラの互助制

(セーフティネット)が断たれ、ムラビトは寄る辺を失ったのだ。

学校も〈第二のムラ〉の原理を失った。哲学者の鶴見俊輔はかつて、日本的な制裁である「村八分」は優れていると称賛した。それはどんなに村の掟を破っても、二分だけ生きる権利を保障した。そんな制裁は世界的に類例がないと語ったことがある。通例、コミュニティへの裏切りは皆殺しになるケースが多いからだ。

しかし、学校からも〈第二のムラ〉の機能が薄れた今、学校のいじめの実態は「村十分」で、非道でさえある。

かつて極度のゲーム依存だった湘南工科大学大学院生の鈴木英夫(仮名)に、

「ゲームで知り合った仲間に、親友っているの?」

と少し意地悪な質問をしたことがあった。

彼が「10人います」と答えたので、「じゃあ、実際に会ったのは何人?」と聞いた。すると彼は「2人です」と胸を張った。

横須賀の中高一貫校でいじめを経験し、ひきこもってゲーム依存になった彼にすると、リアルには心を通わせる友人がいなかった。親しい友人ができれば、リアルで会ったとか会っていないとか、そんなことはどうでもいいのだ。

リアルのムラに寄る辺を失ったムラビトたちが、バーチャルのコミュニティへ走った。それがゲーム依存、ネット依存の源流ではないだろうか。

日本人は根なし草で生きられない。どこかのムラに帰属していたい。

ネットコミュニティこそ、リアル漂泊者たちの〈第三のムラ〉なのだ。