ソーシャル・ビジネスあるいはNPOと利他の心、そしてIT

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赤城 稔

ソーシャル・ビジネスを成功させるためには、究極まで効率化された経営が必要になる。それを実現する手段はITしかない。

利他の心が生むビジネスというものがある

 

東日本大震災という未曽有の惨事にあって、最も光り輝いていたものは何であろうか。象徴はヘリコプターかもしれない。初動において、ヘリコプターがなければ、それこそレスキューも救援物資の運搬もできなかった。

もちろん、自衛隊や警官、レスキュー隊、そしてメディカル・スタッフ、原発職員の働きも忘れられない。

あるいはツイッターやUstream、ポータルサイト、ケータイといったデバイスやITシステムの威力も再確認された。それと同時に、公衆電話の存在も見直されたことは間違いない。

だが、そうしたわかりやすい現象面の奥底にあって、こうした惨事に必要な一番の原動力は、やはり〝利他の心〞なのだということを思い知らされもした。もちろん、レスキュー隊などのプロのスキルと知識、道具も重要だが、それでもなお、最も大事であると再認識されたことは、人を慈しみ、心配し、他人のために動こうとする利他の心だったのではないだろうか。

こうした暴力的な事件、事故、災害に当たっては、利他の心をベースとした公的組織の介入やボランティア活動が何よりも大事だ。現場で命懸けでレスキューをする人たちも、少しでも役立つ情報を拡散させようとする無名の市民の熱意も等しくとは言わないまでも、同じく称賛されるべきことだろう。

そこにはもちろん、ビジネスの入り込む余地はない。

しかし、ここからが本題なのだが、それと慢性的な社会問題を解決することとは必ずしも同じではない。後者の場合は継続の力が必要だからだ。そのためには、個別の社会問題を解決しよとする組織活動を無理なく永続させるための仕掛けが必要になる。その仕掛けとは〝ビジネス〞だ。

その点では、ソーシャル・ビジネスも、NPOも同じことを言っている。

 

NPOとボランティアが同じではない理由

NPOとは(民間)非営利組織を意味する。英語のように思われるが、実は造語だ。この造語を作ったのは現在民主党の衆議院議員である、市村浩一郎氏だ。今回の地震では、災害対策担当の国土交通大臣政務官として地震発生当日の夜に現地入りしたと聞く。彼は、「さまざまな社会問題を解決するためには行政の力だけでは足りない。

とはいえ、それらは営利企業でも解決できない問題だ。だから行政でも営利企業でもない第三のセクターであるNPOが必要だ」と強調し続けている。

ここで言うNPOとは、ボランティア団体とは違う。NPOは、特定非営利活動促進法を見てもわかるが、利益をあげてはいけないという決まりはない。非営利の定義は、利益を分配してはいけないというだけだ。利益をあげても全く構わない。むしろ利益をあげることが奨励されているとすら言える。

その利益を、ポケットに収めるのではなく、次の非営利活動を行うための資金として活用すればいいのだ。だから、代表や役員、有給スタッフは、当然給

料をもらって生計を立てていい。

しかしNPO法案づくりにおいては、ボランティア促進法と同意という誤解が多かった。背景には、一部の官僚や市民活動家が〝阪神・淡路大震災〞を利用して、「ボランティアに法人格を」と訴え、純粋なNPOの議論の矛先を変えてしまったことがある。なぜそうしたかと言えば、今もそうであるように、公益法人などは天下り先として重宝なものだからだ。そのため、公益は官僚が独占すべきと考える人間が少なくなかったのだ。だからNPO法を骨抜きにしたかった。自分たちがコントロールできない民間の組織に力を与えたがらなかったのだ。

 

ユヌス氏の描いた理想「民の中の公」の重要性

 

さて、このNPOの論議は、そのまま〝ソーシャル・ビジネス〞の論議に当てはまる。

バングラデシュで、貧困層向けの無担保融資を行うグラミン銀行を設立し、その活動によってノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏は、その著書『ソーシャル・ビジネス革命』(早川書房)の中で次のように語っている。

いわく、《現代資本主義では、ビジネスを営む人間は一元的な存在として描かれており、利益を最大化することが唯一の目的だとされている。そのため、エコノミストたちは、個人が自由に自己利益を追求することによって、社会的利益が最大になると結論づけた。確かに人間は利己的な存在だ。しかし、同時に利他的な存在でもある。経済理論から一次元的な人間像を捨て去り、利己心と利他心を併せ持つ多元的な人間像を取り入れるべきなのだ。その結果、二種類のビジネスが必要になるだろう。このうち利他心からなるビジネスでは、他者の役に立つという喜び以外、企業の所有者にはなんの報酬もない。この二つ目のビジネス、つまり人間の利他心に基づくビジネスこそ私のいう「ソーシャル・ビジネス」だ》(著者により簡略化)。

まさに、これは市村氏が描くNPO像と同じなのだ。市村氏はNPOセクターについて「民の中の公」と呼ぶ。

ソーシャル・ビジネスもまた、「民の中の公」であることは間違いない。

残念なことに、ユヌス氏は、バングラデシュの中央銀行によってグラミン銀行の総裁を解任された。理由は、70歳のユヌス氏は、法律の定める定年を超えているというものだ。これに対してユヌス氏側は、グラミン銀行にはその法律は適用されないと申し立てたが、高等裁判所はそれを却下し、解任を支持する判決を出したそうだ。

バングラデシュの法のことはわからないのだが、ユヌス氏はバングラデシュのハシナ首相との折り合いが悪いことが背景にあると報道されている。

グラミン銀行は貧困層を対象としたマイクロクレジットの先駆けだ。マイクロクレジットとは、一般的には融資が困難な貧困層などに非常に少額の融資を行うことを言う。当初はユヌス氏が見かねて個人的にお金を貸していたのだが、借りた人間(多くは貧困層の女性)が経済的に自立し、ごく少額の返済額にすることで返済率も非常によくなることに気づき、1983年に正式な許可を取得して銀行を設立したという経緯がある。実際、貸し倒れ率はほんの数パーセントしかないという。

このビジネスは昨今話題のBOPビジネスの先駆けとも言われる。

ところが、グラミン銀行の成功によって、バングラデシュやインドなどでは、マイクロクレジットの市場が急成長した。報道によれば、結果として銀行同士の競争が起こり、激化してしまった。そして、実に皮肉なことに、過剰融資や強引な取り立てが横行し、社会問題になってしまったのだ。

ハシナ首相は、グラミン銀行を非難していたようだが、その本音はわからない。いずれにしても、ソーシャル・ビジネスやNPOと行政や政治がぶつかる、つまりは「民の中の公」と「公の中の公」ではなく、時にはあろうことか「公の中の私」がぶつかるということも少なくないのだ。

ソーシャル・ビジネスの成功は利益の高ではない

BOPは、Base of the Pyramidの略だ。世界の人口ピラミッドの下層に位置する低所得階層の人々を指す。

一般的には発展途上国の貧困層を意味する。この層は世界人口の70%以上を占め、人数では40億人以上に上ると見られている。

BOPビジネスとは、こうした層を対象としたビジネスを意味するが、二つの意味で語られることがある。

本来の意味は、BOPの社会的問題をソーシャル・ビジネスの観点から解決していくという意味である。もう一つの意味は、BOPという市場に、営利ビジネスの観点から進出ないし参入するという意味である。後者も、多くの場合はBOP層を食い物にするといった意味ではなく、BOP市場でも十分に成り立つほどコストを下げることができれば、結果として十分ビジネスになるし、そこで行われたシステム革新、あるいは技術革新をメイン市場でも利用できるという意味だ。これはリバース・イノベーション(イノベーションの逆輸入)などと言われる。障害者のためのバリアフリー技術が、最終的には万人のためのユニバーサルデザインになるという意味と似ている。

つまり、前者と後者ではやや動機が違うが、採られる方法論は本来は似ている。ただ残念なことに、そうした革新を利己的な儲け主義にのみ利用するというケースもないわけではない。

企業は社会的公器であるという基本が守られていれば、そこにはWINWINの関係が成立するはずだ。企業はそこで薄利を儲けることができるが、それでもなお、BOP層の顧客にとってそれは福音となるようなビジネスだ。企業公器性に着目すれば、そもそも市場のためにならない製品やサービスは売れない。売れるということは市場の役に立つ商品を世に生み出したことになるので、そこで暴利を取らない限り、その会社は社会に貢献できたということになる。

そのため企業は、市場のニーズによくよく耳を傾けなくてはならないし、身勝手な行為は慎まなくてはいけないことになる。その時に営利ビジネスとソーシャル・ビジネスの差は、ビジネスからあがってきた利益を最終的に株主に分配するか、分配せずに再投資されるかの違いということになる。

ソーシャル・ビジネスとBOPビジネスは必ずしもイコールではない。わかりやすく言えば、いわゆる中産階級の課題を解決するビジネスであっても、十分にソーシャル・ビジネスと言うことができる。

ただし、BOPとは必ずしも一致しないだろうが、社会的弱者の課題を解決する、あるいは環境を守るといったもののほうが、ソーシャル・ビジネスとしてはその価値が高いと言うことはできよう。その意味でも、ソーシャル・ビジネスはますますNPOと同義ということになると思う。

ユヌス氏は先ほどの著書の中で、フランスの乳業会社ダノンとの合弁会社「グラミン・ダノン」について、次のように述べている。この会社は、子ども向けのヨーグルトを貧しい人々にも手の届く価格で販売している。

「グラミン・ダノンは、ソーシャル・ビジネスの基本原理を忠実に守っている。ビジネスは持続可能であり、企業の所有者は投資の元本を超える配当を受け取らない。企業の成功基準は、生み出した年間利益ではなく、栄養不足を解消した子どもの数だ」

これこそがわかりやすい定義だ。

 

ヘルスケアの革新の中にあるIT活用のヒント

 

さて、こうしたソーシャル・ビジネスを進めるには、コストを下げるための大胆なアイデア、技術革新が必要になる。その点を担保するための重要なツールの一つがITであろう。そもそも営利ビジネスにおいても、小規模な企業にも大企業と伍してグローバルな場で戦うことができる可能性を与えてくれたのはITである。さまざまな例があろうが、端的なのはスマートフォンやタブレットPCなどを医療現場に導入しようとするケースだろう。

たとえば東京慈恵医大付属病院脳神経外科の高尾洋之医師と慈恵医大の村山雄一教授が、トライフォー(医用システム構築・コンサルタント会社)と共同でi-Stroke と呼ばれる脳血管障害治療支援システムを昨年、開発した。

これは、脳のCT画像などをiPhoneに転送して、3D画像で自由に角度を変えながら、たとえば病院の外から医師が見ることのできるアプリだ。

これとは違うが、現場で患者の診療記録を調べる、検査画像を手元で確認する、撮影した写真、脈拍や心電図などを送るなどといったさまざまな形でスマートフォンやタブレットPCなどを活用する例も出てきているという。

またまたグラミン銀行の例で恐縮だが、「グラミン・ヘルスケア」は、バングラデシュの農村部に健康管理センターを設立しているという。治療よりもむしろ予防に重点を置き、診察や検診、教育活動を推進していくとされるが、そこで模索されているのは、ケータイを使って都市部の医療機関に診察した画像やデータを送信する診断機器の開発だ。そうした技術・システム開発によって、医療コストを大幅に抑えようという目論見である。それが、経済的な持続可能性を提供してくれるコツだというわけだ。

まさにそのとおりだろう。ITなどの先進のテクノロジーをより積極的にソーシャル・ビジネスに生かすことができれば、世界を画期的によくすることができるはずだ。

医療もビジネスだ。教育もビジネスだ。さらにまた、政治や行政という公の機能も、ソーシャル・ビジネスという観点で見直すことは非常に有益だと

思える。私たちは税金という形で支払いを行っている。だとすれば、この税金の有効活用、少しでも税金を下げることができるような意識、システム開発をすることが、つまりは改革をすることが重要なはずだ。