発展途上のクラウド技術〜グリッドからみる、その本質

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関口智嗣(産業技術総合研究所 情報技術研究部門長)

「クラウド」はバズワードと言われる。それを用いるさまざまのビジネスモデルから、その概要を知ることもできるが、グリッドコンピューティングを対置して考えることで、クラウドの新たな姿が見えてくる。

クラウドの定義

 

「クラウド・コンピューティング」という言葉が、2006年にグーグル社のエリック・シュミット会長が発して以来、ITの世界に広がり、今や社会を席巻するまでになっています。もちろん、その「言葉」だけでなく、クラウドを用いたさまざまなサービスが提供されるようになりました。なかでもウェブメールやブログサイトなどは、日頃から利用していて一般の人もクラウドを身近に感じるサービスだと思います。

その一方で、「クラウド」という言葉には厳密な定義がありません。みなさんが何となく理解して、何となく使っている、ある種のバズワードと言えるかもしれません。

そこで「クラウドとは何だろう」とあらためてクラウドの定義を考えてみたとき、それは私たちがこの10年以上、取り組んできた「グリッド」と非常に重なります。

2000年代のITキーワードを考えたとき、まずグリッドが大きく取り上げられ、代わってクラウドが登場してきました。そのことから、互いに相反するもののように捉えられ

がちです。また、クラウドの台頭とともに「グリッドはどこに行ったのか」といったお尋ねをされることも、よくあります。しかし、クラウドとグリッドのコンセプトや理念を考えると、グリッドで目指したIT社会のあり方が、実際に形を持って具現化されたのがクラウドであるように感じられます。この2つは、実現されつつある「IT社会」を別の角度から見ているだけで、相反するどころか、むしろ同質のものと言えるでしょう。

 

グリッドの2つの定義

 

グリッドとクラウドが別物と思われがちなのは、一般的な「グリッド」という言葉が、もっぱら限定的な意味合いで使われていることに起因しているのではないでしょうか。

そもそもグリッドには、2つの意味合いがあります。考え方やコンセプトを示す「広いグリッド」と、具体的な技術やサービスを意味する「狭いグリッド」です。たとえば、遊休中のパソコンを使って宇宙人を探索する、複雑なタンパク質構造を解析するといったプロジェクトが、グリッドとしてよく知られていました。こうしたグリッドは、後者の狭い意味でのグリッドに当てはまります。

こうした狭い意味でのグリッドは事例も多くよく知られており、また具体的なイメージを抱きやすいだけに、みなさんに広く認めていただいて大変ありがたいと思います。しかし、これらは「広いグリッド」を達成するための個別の技術です。本来のグリッドは、もっと広い意味合いの「概念」も持っています。

グリッドの本質的なコンセプトは、社会のメガトレンドでもある「所有から使用へ」をITにおいて実現することにあります。

たとえば音楽なら、円から線へ、ディスクからネットワーク(サービス)へ、つまりレコードやC Dという媒体を介して音楽を「所有」していましたが、コンテンツが切り離された現在は、ネット上からデータを購入して「使用」するように変わりつつあります。これは音楽のようなコンテンツに限ったことでなく、社会のいろいろな場面でも「リース」が一般的になってきました。ビジネス界における「アウトソーシング」も、労働力における「所有から使用へ」の一例と言え、こうした流れは社会全体に共通するパラダイムシフトです。

そして、このパラダイムシフトをITでも実現しようというのが、グリッドの目指すところです。

水や電気は、蛇口をひねったりコンセントをつなげば利用できる社会インフラです。これと同じようにITでも、コンピューターのリソースを自らが「所有する」環境で準備するのではなく、ネットにつなげば提供されているサービスにより必要なリソースを「使用する」ことのできる環境、そうしたインフラの実現がグリッドの理念であり、いわゆる「広いグリッド」と言えます。グリッドの言葉が電力網(GRID)に由来している意味も、そこにあります。そして、このインフラを実現するための技術、たとえば計算機という資源であれば、それぞれの計算機で余っているリソースを束ねるための技術が、狭い意味でのグリッドなのです。

このように見てみると、クラウドはコンピューターのリソースを水や電気のように、ネットを介して利用できるサービスであり、まさしく(広い)グリッドに含まれることがおわかりいただけると思います。

 

目指したのはリソースのインフラ

私たちはまずグリッドの実現に向けて、企業や学校、さらには個人からコンピューターの余剰リソースを提供(寄付)いただいて、それを束ねることで利用可能なリソースのインフラを作りだそうとしました。その中では、何を目的にインフラを利用するかといった問題や、リソースを束ねるための技術的課題、また具体的なビジネスモデルなど、さまざまな議論を重ねましたが、一つの大きな課題がありました。

それは余剰リソースを束ねるだけでは不安定なリソースとなってしまうことです。当たり前のことですが、一つ一つ個別のリソースの余りなどは予測できるものではありませんし、いくつものリソースを合算するのですから、提供できるリソース量はなおさら不安定になってしまいます。

そのため学術や研究開発はともかく、ことビジネスのプラットフォームにはなりにくい、寄付を集めるのでは、デリケートさが求められるビジネスには難しいのです。

そして、ある意味ではこの問題を巨大資本によって解決を試みたのが、クラウドです。寄付によってリソースを確保しようとしたのがこれまでのグリッドなら、リソースを企業が自力で確保して、それをユーザーに提供してしまおうというのがクラウドと言えるかもしれません。

もちろん企業活動の一環としてリソースを提供しているのですから、企業それぞれの活動目的や意図があるのだと思います。また、リソースを束ねる技術、テクノロジーの部分が、資本投下という手段によって、ビジネスに応用される範囲が狭まったことには一種の寂しさも感じます。しかし、その一方で、グリッドが目指したITのパラダイムシフトの一つの終着駅が、クラウドであることも間違いのない事実です。

クラウドの定義はあいまいですが、少なくともグリッドが提示した命題に対する一つの解であるとすると、グリッドからクラウドに通底する課題が多く見受けられます。そこで、グリッドで培った経験を通して、クラウドが抱える課題と可能性について見てみたいと思います。

4種のグリッド

 

グリッドでは、扱う情報資源の種類によって大きく4つ、①PCグリッド、②データグリッド、③コンピューティンググリッド、④ビジネスグリッド、に分類しています。

①のPCグリッドは先で触れた遊休PCの活用で、分散型コンピューティングの一つと言えます。さまざまなプロジェクトにより、グリッドとしてよく知られており、BOINCのようなマネジメントするソフトウェアも開発されていますが、クラウドが自前でリソースを準備していることから、クラウドにはほとんど寄与していない分野です。

②のデータグリッドは、ストレージを組み合わせることで仮想的な大規模データサーバを構築するグリッドです。こちらは今後、クラウドをはじめとする「リソースを使用する」世界に大きく寄与するものと考えられます。たとえば動画の配信を考えてみてください。今、みなさんが動画コンテンツを利用されるときは、自分の自由な時間にアクセスされていると思います。そのため、アクセスが大きく集中することはありませんが、これがコンサートやイベントのライブ中継であればどうなるでしょう。当然、ライブ中

継の時間に大量のアクセスが集中します。これを捌くには、大規模なデータサーバが必要ですが、わずかな中継時間のためにその投資が見合うかというと疑問です。むしろグリッドで培ったデータグリッドを活用してバンド幅やストレージ量を調整することで、動画を配信できる環境をつくるほうが現く、すべてのユーザーでリソースを共有することで、必要なリソースを平準化しているのがクラウドと言えるでしょう。

物理的な壁が共有の障壁であるのと同様に、組織(個人)の壁も共有には障壁です。これを取り払おうとしたのがグリッドで、ネットワーク越しにサーバを呼び起こせるNinfのような大きなプロジェクトもグリッドでは手がけました。希望する時間・コスト・精度で計算さえしてくれれば、その計算機がどこにあろうと関係なくなるという、こうした技術はまさにクラウド的な動作だと思います。

 

クラウドの課題

 

ただ、クラウドの現状には一つ、大きな懸念があります。

それはサービスへのロックインがかかっていることです。アマゾンのEC2などが有名ですが、アマゾンにしろグーグルにしろ、それぞれのAPIを使ってソフトウェアを開発すると、ほかのAPIには行けない。一度、あるプロバイダを利用すれば、スイッチングコストが非常にかかる現実があります。そのため、現実的にはなかなか新規参入することが難しいと言えます。

これはユーザーにとって効率的な反面、一つのプロバイダに寄りかからざるを得ず、一抹の不安を感じるところです。

ユーザーは、いつでも適切なサービスを使える、すなわち自由度を持っていることで安心が得られます。その意味で、ロックインをかけている供給サイド(プロバイダ)と、選択の可能性を残しておきたい需要サイド(ユーザー)の距離感が、今ひとつかみ合っていないのです。

こうした状況はグリッドでの経験から言えば、クラウドはまだアセンブラのような生のレイヤーであり、さらに抽象化されたレイヤーに遷移していくことになると思います。現在のクラウドはまだ発展途上で市場に余裕がありますが、市場が拡大して肩がぶつかるほどになれば競争が激化して、サービスの競争が生まれます。そこではじめてAPIの標準化など、ユーザーサイドにとって明確な自由度が生まれると思います。

また、クラウドのサービスはCPU、データ、ネットワークというインフラと、サーバ上でのASP、ASP開発環境というソフトウェアなどから構成されていますが、ユーザーサイドから見ればハードウェア的なインフラが提供されるIaaS、提供される個々のプログラムを動かすための環境が提供されるPaaS、そして一つ一つの具体的なプログラム、サービスが提供されるSaaSに大別できます。

プラットフォームにはPaaSで使うような狭い意味もありますが、クラウドはおよそ、この3つの異なるプラットフォームで構成されていると言えます。食卓にたとえれば、まず食卓の基本と言えるテーブルがIaaSです。そして個々の食事を並べるお盆がPaaS、実際の料理を盛りつける茶碗や皿がSaaSと言えるでしょう。

このようにたとえれば、仕組みは簡単に説明できます。しかし、問題はそれぞれに何を載せるかです。和食であれば和の茶碗や皿、そしてさらには和のお盆を、中華料理であればそれぞれ中華風で揃えたほうがよいのは当然です。もちろん料理もおいしいほうがよいに決まっています。

つまりプラットフォームとは、コンテンツ(器)と成果(料理)があってはじめて意味を持つ場と言えます。今後、クラウドがプラットフォーム化を進める中では、こうしたコンテンツと成果を念頭に、どのような価値を創造していけるかがカギを握っています。

 

グリッドはITの常識となった

 

02年にグリッドを本格的に始めたとき、「6年後には、グリッドという言葉を誰も使わないようにしよう」と言ったのですが、実際に今やグリッドはITの「常識」となり、わざわざ「グリッド」の言葉を使う機会は本当に減りました。言葉どおりに進められたと思う気持ちがあります。

イノベーションという概念を考えてみると、それまでの「ルール」を一切合切、捨て去って、新しいルールを作り出すということではないでしょうか。言ってみれば「究極のちゃぶ台返し」かもしれません。そして、新しいルールの下で、参加者がその強制力を意識しながら、価値を創造していくことで、一つのプラットフォームになっていきます。

そう考えるとグリッドは、それまでスタンドアローンに構成されていたコンピューターに、まったく新しいルールを持ち込んで再構成させることができた「イノベーション」だったと思います。だからこそ、クラウドのような発展型が生まれてきたのでしょう。

しかし、そのように考えるとクラウド自体は、まだ発展途上と言えます。

たとえば、今のクラウドでは、プロバイダサイド主導によるリソースの組み合わせで、ユーザーはサービスを受容するだけの立場になっています。元来、ユーザーの協力を前提としていた能動的なグリッドと比べると、クラウドはずいぶん受動的です。

そのためクラウドでは、プロバイダサイドの主張が強く反映されています。公平なルール、イーブンな立場が確立されているとは、必ずしも言い切れないのが現状です。今はユーザーが安く使えているので、サービスの場を取り仕切るプロバイダ側にそのルールを決める力が偏っています。

ですが、クラウドの規模が大きくなれば、競争原理が強く働くようになり、ユーザーに決定権が委ねられるようになります。自然と能動的なユーザーが形づくられていくのです。

ネットワークもユーザーサイドに委ねられ、プロバイダにはユーザーの立場からリソースを組み合わせることが求められるようになるでしょう。

また、クラウドに価値の創造が求められる中では、ユーザーによる評価が不可欠です。ユーザーも受動的なままではなく、プロバイダサイドとしっかりパワーバランスを働かせていかなければなりません。

つまり、これからのクラウドを考えれば、両者ともに現状に甘んじることなく、現在の強いプロバイダに対して「コンシューマーの復権」を意識していくことが必要なのです。

このことは、今後のクラウドにとって大きな課題になると思います。

クラウドは新しい存在だけに、クラウド技術の共通化をはじめとするテクノロジーだけでなく、こうした概念的な課題も抱えています。

ただ、「技術は繰り返す」と言いますが、ここで取り上げたようにクラウドとグリッドは非常に多くの共通項があります。それだけにグリッドで先行して議論してきた課題や経験は、クラウドに応用できるものばかりです。

クラウドはグリッドの発展形だけに、グリッドを生かして一層の発展をしてもらいたいし、私たちも発展に寄与していきたく思っています。