システムとサービスのシナジー

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ITは証券サービスを再定義していく

山本貴也

二つの事例から、ITと証券会社の関係を考えてみたい。クリック証券とユナイテッドワールド証券。2社ともインターネット専業の証券会社、いわゆる「ネット証券」である。ネット証券において、システムがなければあらゆるサービスが成立しえないのは言うまでもない。システムに対する明確なフィロソフィーが、2社のサービスを定義していることが見えてくる。

ITは証券の何を変えたか

元々、株式をはじめとした有価証券の取引は「対面取引」で行われてきた。投資家が証券会社の営業マンから投資情報やアドバイスをもらい、営業マンに売買注文を伝える。もしくは証券会社の店舗に行き、窓口で売買注文を伝える。フェイス・トゥ・フェイスで売買注文を出す方法である。

インターネットで売買注文を出す「ネット取引」が始まったのは、1998年。松井証券が嚆矢となった。以降、ネット証券が次々に誕生することになる。これには、90年代後半の爆発的なインターネットの普及とともに、金融ビッグバンが大きく与っている。

96年、第二次橋本内閣のもとで始まった大規模な金融改革「金融ビッグバン」は証券業界も対象となる。98年には、免許制だった証券業を登録制に変更。証券業への新規参入が容易になった。そして99年には、以前は取引所の規定により一定だった株式売買委託手数料を、完全自由化した。

この手数料自由化のインパクトは大きかった。店舗を持たず営業マンを必要としないネット証券は固定費を抑えることができる。そのため、対面取引の証券会社より総じて手数料を低く設定できる。インターネットなどを使って自分で情報収集し投資判断ができる投資家は、手数料が安いネット証券を利用するようになる。エンジニアだけで証券会社をつくる

現在、ネット証券大手と呼ばれるのはSBI証券、松井証券、楽天証券、マネックス証券、カブドットコム証券の5社。クリック証券は、それに続く第二グループに位置する。

クリック証券の設立は2005年10月。SBI証券の前身であるイー・トレード証券、楽天証券の前身であるディーエルジェイディレクト・エスエフジーネット証券はともに99年に設立されている。ネット証券でも後発の部類に入るが、大手5社をうかがうポジションにつけているのは、手数料が業界最低水準にあることとともに「システムを完全自社開発する体制」を持つアドバンテージによるところが大きい。

クリック証券の社員の約半数はエンジニア。「最初は、エンジニアだけで会社をつくろうと思っていました」と同証券代表取締役の高島秀行氏は言う。

高島氏自身もエンジニアで、以前はシステム会社で証券会社のオンライントレードシステムをつくっていた。その後、ライブドアで銀行設立プロジェクトを担当。エンジニアとしての経験を土台に金融機関設立の経験と視点を携えたノウハウが加わり、クリック証券の設立となった。証券会社のシステムは通常、外部のベンダーに依頼して構築するが、こうしたバックグラウンドを持つ高島氏にとってみれば「システムを自社開発したほうが、優位性が出せると思います」ということになる。

「ネット証券は証券会社ではありますが、ビジネスとしてはインターネットビジネスです。インターネットビジネスの特徴としてまず、価格オリエンテッドなことがありますね。価格が安いところが一番売れる。パソコンでもなんでもいろんなサイトで比較し、安いところが選ばれるわけです。そして、システムの使い勝手が重視される。株は、どこの証券会社で買っても同じです。だったら、価格とサービスでしか差別化されない。インターネットビジネスではサービスとシステムが直結していて、サービス=システムです。グーグルでもアマゾンでも、人に頼んでシステムをつくろうなんて1%も考えていないのではないでしょうか」

サービス=システム。ここにシステムを自社開発するポイントがあると高島氏は言う。

「インターネットの世界は競争が激しいので、変化に柔軟に対応しないといけません。そういった仕組みは、外部のベンダーに発注してつくれるものではありません。自分たちが主体的につくり出して、どんどん進化させるかたちでないと変化に対応できないんです。インターネットビジネスを早くはじめた人たちは単純に外からシステムを持ってきて、早くはじめたことの

アドバンテージで今やっていますが、最終的にはシステムの部分の競争で敗れ去っていくのではないでしょうか」

 

スピードとクォリティを支える自社開発

同証券取締役の田島利充氏も、エンジニアとしての視点から自社開発のメリットを指摘する。

「スピードとクォリティ、この両方で大きな違いがあると思います。言うまでもなく、インターネットビジネスでは、スピードが重要です。『こういうシステムが欲しい』と思っても、外部のベンダーに発注すると要件定義書をつくり、画面遷移図を書き、それだけで1カ月くらいかかってしまいます。自社開発だと、このプロセスが要りません。また自分たちでやっていると、たとえばAというプロジェクトが走っていても、優先順位を変えてAをやめてBを急ぐというようなことができます。『だいたい1カ月くらいかかるだろう』ではなく、『彼が担当すれば2週間でつくれる』というところまで読めますので、出したいときに出せる。これは大きいですね」

スピードの差は、システム構築の時間だけではない。システムリリース後にも表れる。

「自分たちだと、積極的な保守ができるんですね。ちょっとしたデザイン変更をしたいときにも、発注書を取り交わすわけではなく、その場で案件を発生させて今週にはリリースと決められる。お客様のご意見なども、すぐに反映できるケースがあります」

クォリティでは、自社開発と外部発注ではどのような差が出てくるのだろうか。

「外部のベンダーに任せるとミーティングやドキュメントで確認していても細かいニュアンスが伝わっていないことがあり、当初イメージしていたものと少し違うものができることがあるんですね。やはり、発想した人間がつくると、何よりも早く、何よりもいいものができます。また、自社開発だとFXのツールを実際にFXをやっていたスタッフが制作するようなことができるんですね。『このウィンドウとこのウィンドウが同時に見られると便利』というようなユーザー視点を、そのまま取り入れられるわけです」

クォリティの差について、高島氏は次のように語る。

「金融システムの構築は、いくつかのメーカーに集中する傾向があります。他の証券会社も同じところを使っているので、差別化がしづらいんですね。自分たちでつくれば、その強みは永続化します」

ネット証券のシステムは、3つのインターフェイスを揃えることで成り立っている。Webを通して投資家と対面するインターフェイス、取引所とのインターフェイス、銀行などから情報を取得するためのインターフェイスである。田島氏は取引所接続、情報取得の外部接続がキーになることを強調する。

「お客様の注文を受け付けるフロントのインターフェイスは、本当にシンプルなオンラインシステムで十分です。しかし、外部接続のところはそういうわけにはいきません。リアルタイムで受けなければなりませんし、信頼性が必要です。スピードが早くて、なおかつ落ちない。これが絶対条件になります。私どもが構築するときも、フロントのインターフェイスはまったく問題ないと思っていました。難しいコアなところはありますが、外部接続の部分も信頼できるスタッフがいればなんとかカバーできるだろうと。システムは、人が何人もいればつくれるものではありません。よくわかっていない人が相対性理論のことを話しても、おもしろくありませんよね。しかし、しっかり理解している人が説明するとおもしろい。システム構築もそれと同じで、多くの人が集まるのではなく、そのシステムを理解しているスタッフがいることが重要です」

 

技術をどうビジネスに結びつけるか

対面取引を行ってきた既存の証券会社も、対面取引と並行するかたちでネット取引を取り入れるようになっている。しかし、そのシステムを自社開発することは基本的にない。ネット取引をはじめる以前に導入したシステムは外部のメーカーが構築、サポートを行っているため、ネット取引の部分だけ自社開発することは考えられないのだ。

「人を雇えばつくれると思うかもしれませんが、システムエンジニアを経営側が評価できなければ雇うことはできません。また、エンジニアは一人ではなくチームとして必要ですから、マネジメントもできなければならない。評価とマネジメント、この2つができないと自社でつくるのは難しいでしょう。証券会社が完全自社でシステムをつくっているのは、弊社とカブドットコム証券さんだけのはずです。この点、証券業界は遅れていますね。手数料という価格の部分も含めて、本格的な競争がまだはじまっていないのだと思います」(高島氏)

システムを自社開発できると、アドバンテージが生まれる。とくに証券会社では株にしてもFXにしても扱っている商品は同じだ。手数料が同じ水準であれば、システム=サービスの部分で差別化が働く。しかし、これは証券業界に限らないが、自社開発できる体制を企業が持てるとは限らない。そこでキーになるのは、何か。

「技術面に焦点をあててお話ししてきましたが、技術だけでビジネスになるわけではありませんよね。技術をどうビジネスに結びつけるかが重要で、ここが切れていると意味がありません。たとえばiPhone は、エンジニアだけではつくれないものでしょう。デザインやプロモーションまで含めたプロジェクト全体の構想力がiPhone という製品を成り立たせています。技術とビジネスを結びつけるには、エンジニア的に技術のほうからアプローチしてもいいですし、ビジネスのほうからアプローチしてもいいのだと思います。すごく詳しくならなくても、技術に関する知識を入れるようにして『今の技術ではこういうことが可能なのではないか』という見通しが立てられるようになれば、だいぶ違ってくると思います」(高島氏)

 

ITだけで投資は成り立たない

クリック証券のフィロソフィーを通じて、証券会社とITの関係を「システム」の観点から見てみた。次に「情報発信」から証券会社とITの関係を考えてみよう。

ユナイテッドワールド証券は2002年、中国株専門のインターネット証券会社として業務を開始した、日本における中国株インターネット取引のパイオニアである。

ユナイテッドワールド証券の前にも、中国株のインターネット取引を取り扱う証券会社はあるにはあった。しかしそれは、インターネットで投資家の売買注文を受け付けはするものの、その注文を別の端末に入力して香港市場に発注するかたちになっており、正確にはインターネット取引とはいえないものだった。

そうしたなか、ユナイテッドワールド証券は投資家と香港市場をダイレクトに結び、最速1秒で約定が成立するシステムを導入。日本株のインターネット取引と変わらない環境を、中国株で実現させた。

しかし、ユナイテッドワールドグループの1社で中国株関連投資情報リサーチなどを手がけるユナイテッドワールドテクノロジーの三好美佐子取締役は、「ITだけでは投資は成り立ちません」と言う。

ユナイテッドワールド証券が重視しているのが、情報提供である。同証券のWebサイトには企業レポートなど現地取材による情報が豊富にアップされているが、それにはとどまらない。アナリストが相場を解説するムービーをサイト内で週1回更新し、通常のセミナーのほかにネットセミナーを定期的に開催。そのほかに、詳細な市場分析を掲載したメールマガジンも発行している。

「注文を処理するデジタルなシステムと、人の手を介したアナログな情報。この両輪が揃うことが重要だと考えています」

ユーザーに何を伝えるか

こうした考えに至った大きな要因は「本」だった。2002年の創業とほぼ時を同じくして、グループのユナイテッドワールドインベストメント(当時、以下UWI)の社員が『10万円から本気で増やす中国株』というタイトルの本を上梓。中国株投資のノウハウをわかりやすく書いたこの本はベストセラーになり、半年後には第2弾『10万円から本気で増やす中国株 特選50銘柄』が出た。

「当時はまだ、中国株の存在が一般に広く知られていませんでした。この2冊が、中国株と弊社の認知度を高めてくれたんですね。ですので、アナログな情報の有効性は早い段階から認識していました」

それに加え、UWIが有料のメールマガジンサービスを開始。本を著わした社員が現地取材による企業レポートを書き、これが評判を呼んだ。

「このレポートは、非常にわかりやすかったんですね。たとえば、中国の自動車メーカーを訪問したとき、車を叩いてみたら『カン』と音がしたというようなことが書いてあります。安い車を製造しているのはいいが品質の部分がリスクになるということが、投資家の方にすぐわかるわけです。日本のホンダが進出して、デンウェイ・モーターズという会社を設立して技術提供することになった。そうすると、ホンダの技術を吸収することで会社が伸びるというのがわかる。このメールマガジンで中国株に興味を持った方は、少なくなかったと思います」

折しも、香港市場が活況を呈しはじめていた。香港市場の代表的インデックスであるハンセン指数は02年末には9300ポイント台だったが、右肩上がりで伸び続け、05年末には1万4800ポイント台に上昇。3年間で60%近い上昇率となった。

相場の活況に、香港市場とダイレクトで結ばれたシステム、そして情報が結びつき、ユナイテッドワールド証券の約定件数は伸びていった。

06年頃になると、ユナイテッドワールド証券の情報提供が「質」「量」ともに大きく変化を見せる。これには、投資家の属性の変化とITテクノロジーの発達が影響している。技術の特性を活かす

中国株のインターネット取引を始めた当時、顧客の中心になったのは投資初心者だった。日本株への投資経験などがなく、中国株で投資を始めた人たちである。それが中国株投資が浸透するにつれ、日本株の投資家が中国株も取引するようになった。こうした投資家は、日本株でなされているレベルの分析を中国株にも求める。

「そこで、日本株の専門家であり、アジア市場も10年以上リサーチしていたベテランアナリストを会社に招きました。彼は日本企業と同じように中国の企業を分析できますし、日本

も中国も見ているので比較ができるんですね。たとえば、『この中国企業は日本でいうといつ頃のどの企業に相当する』というようなかたちです。ですので、日本株しか取引されていなかった方にも中国株を理解していただきやすかったと思います」

アナリストによる市場や企業の分析レポートを、無料メールマガジンやWebサイト内の記事として配信しはじめた。さらに、インターネット上での使用が活発になりつつあったムービーをWebサイトに採用する。

「ムービーを使い始めたのは、06年末でした。これは、テクノロジーで可能になったことですね。株式市場や経済状況についてアナリストが分析した内容をテキストで伝えると、どうしても堅苦しくなる部分があるんです。しかし、バーチャルではありますがムービーを通じてフェイス・トゥ・フェイスでお客様に語りかけると、印象が違ってきます。テキストだと『昨日の香港市場は大幅上昇となった』のようになるのですが、ムービーだと『みなさん、昨日の香港市場はすごく上がりましたね』というようにやわらかく語りかけられます。ムービーをアップすることで、定期的にWebサイトを訪れる方が増えました。テキストとは違った特性を持ったツールとして使っています」

ほかにも、テクノロジーが可能にしたコミュニケーションツールがあった。ネットセミナーである。ユナイテッドワールド証券では、会場に来た参加者に講師が話をする通常の形式のセミナーを定期的に開催していた。こうしたセミナーでは投資家に直接話ができるなどの利点がある一方、会場から遠方の投資家が参加しづらいといった制約がある。

しかし、ネットセミナーはインターネットに接続できる環境があれば場所を選ばない。

「可能性は感じたのですが、お客様からどのような反応があるかはわかりません。『とにかく一度試してみよう』というスタンスでスタートしました。今でこそネットセミナーは一般的になっていますが、当時は黎明期。システムをご提供いただく会社と『こういうことはできませんか』『やってみましょう』というようなやり取りをしながら進めていったかたちですね。実際にやってみると、好評でした。セミナーは平日の夜8時からにしたのですが、『会社から家に帰って、くつろぎながら見られるのがいい』という声をいくつもいただきました。以降、定期的にネットセミナーを行っています」

 

ITにできないこと、人にできること

現在、ユナイテッドワールド証券ではWebサイト上のテキストとムービー、ネットセミナー、会場開催の通常セミナー、メールマガジンを通じて情報提供を行っている。5月18日には、これにTwitter が加わった。

「投資の判断材料になりうる情報は、分析が非常に重要です。これはやはりITとは離れた、人の手によらなければできない部分です。たとえば、この4月に中国政府はかなり強い不動産投資抑制策を打ち出しました。今、弊社には中国人のアナリストがいるのですが、この政策にはバブルを抑制する目的のほかに国家の威信を取り戻す意図があることが、同じ中国人である彼にはすぐ読めた。実は、それより前に政府が出した窓口指導が事実上、無視されていたんですね。政府の指導力低下は一党独裁の中国にとって致命的ですから、威信を取り戻す強い行動にすぐ出たわけです。こうした人による分析情報を、ITによるシステムと結びつけて発信していきたいと思っています」