人間は知能を人工化することができるのか?〜想像と思考を拒絶する人工知能 その1

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

 

人工知能をめぐる議論は各分野に波及するものである。それは、人間とはなにか、知能とはなにかをめぐる問題設定にほかならないからだ。人工知能が人間をかけて離れていく可能性を探る。

人間は定義できるか?

1982年の映画「ブレードランナー」。その原作タイトル『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は謎めいた問いかけである。

原作を読んだ者なら作者のフィリップ・K・ディックがタイトルにこめたものを想像するのは難しいことではないかもしれないが、その想像が導く思索は深遠なものになるだろう。なぜなら、それは「人間を人間たらしめている本質とは何か?」というアポリアだからだ。

バウンティハンターである主人公デッカードは、レプリカントと呼ばれる人造人間を追跡するうちに、人間と人造人間の境界がどんどん不明になっていく。自身ですら人造人間であるか人間であるかを知らないレプリカントとの対照のなかで、人間の定義さえ曖昧になっていく。

いや、そもそも人間を定義することなど可能なのだろうか。

技術的な進化が進めば進むほど、身体的な差異は失われ、人間の感情や思考と人工知能のあいだの違いは自明性から遠のき、「ブレードランナー」で描かれたように直観的にはレプリカントと人間を見分けることができなくなる。

しかし、人間とレプリカントとは違う。人間はレプリカントではない。とはいえ否定神学的に人間を定義しようとすれば、ほとんどそれが神秘主義を同じ道を歩むのは長い歴史が証明している。神の存在を探し求めることとなんら違わないのだ。不可知論を前提に生命を語ろうとするのだから、合理的な思考や想像を拒絶するのは当然である。

 

人造人間、人工知能を思考することで、わたしたちは同時に生命の謎を探っている。人間の実存を問わずにおられなくなっている。人工知能やロボットは、人間に「人間という存在」の定義を迫らずにはおられないのだ。

他者としてのAI

さらに古いSF作品に言及する。タルコフスキーやソダーバーグが映画化したことで知られるスタニスワフ・レムの小説『ソラリス』である。

惑星ソラリスの海が宿した知性は、わたしたちの想像をまったく受け入れないものである。ソラリスの海が、主人公の心理学者クリスの前に登場させた失われた恋人ハリーは他者そのものである。姿形に違和感がなくコミュニケーションさえ可能なのに、いやそれだからこそなおのこと、存在理由も行動原理もソラリスの研究者たちの思考や想像を完全に拒絶する他者なのだ。

ある意味で人類以上に発達したソラリスの海が宿した知能は、しかし知能と呼べるかも難しい。

知能というものが、人間のそれに擬して想像し理解することができないとレムのこの作品は言っている。擬人観(アントロポモルフィズム)の枠のなかでしか知能を定義しないという人間の欺瞞性を暴く。

人工知能は、人間の知能へ近づけることがひとつの目的である。そのために認知科学、心理学まで研究の領域は広がっているが、人間の知能の領域から完全に逸脱する、他者としてAIは想定されているのだろうか。

人工知能の進化を測る基準のひとつに、チェスや囲碁、将棋といったボードゲームの勝負がある。IBMのコンピューター「ディープブルー」は今から10年前に登場、その翌年には当時の世界チャンピオン、カスパロフを破っている。2012年には将棋ソフト「ボンクラーズ」が米長邦雄永世棋聖を破り、今年2016年にはAIソフト「AlphaGo」が囲碁でイ・セドル九段に勝っている。

これらのソフトの知能はすでに人間のそれとは質的にまったく違うといってよい。人間の知能の領域から逸脱しているのだ。能力的にハイパーになったということではない。1秒間に2億手先を読むという方法を、人間のプレイヤーがとることはない。人間はある程度の選択肢のなかから、経験的に、あるいは直観的に次の手を読むのが普通だ。AIはすでにまったく人間のそれとは違う知能の運用を行なっているといえる。人間は経験を活用するが、記憶だけに頼ることはしていない。記憶はかならず経験と不可分である(AIであればデータにノイズが入っている状態といってもいい)。人間は直観をふるっても選択肢を数億まで広げることをしない(できないともいえるが、できたとしてもしないだろう)。選択肢を純粋に並列する以前に、取捨選択を呼びかける直観の動きを無視しない。なぜなら直観が勝負の鍵を握ることを経験に教わっているのだから。

 

Writer:
桐原永叔 Eishuku Kirihara / 編集者・ライター
1970年生まれ。シナリオライター、出版社勤務等を経て、現在、眞人堂株式会社代表。これまで多数の書籍の編集を手掛けてきた。著作に『ももクロ論〜水着と棘のコントラディクション』(実業之日本社/清家竜介と共著)がある。

 

Photo credit: tokyoform / CC BY

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