人工知能は「モノ」と「コト」を理解するか?〜想像と思考を拒絶する人工知能 その3

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

日本における知能、知性への探求は、西洋のそれまでとは違う歴史を持つ。そこに、人工知能開発に新たな視点を加えるヒントを見出すことはできないか。感情と知能の関係はどうなるのかを考える。

 

原子力と人工知能を手にしたロボット

わたしたちは原子力と人工知能を手にした存在を、フィクションのなかですでに目にし、親しんですらいる。

手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』がテレビ放映のアニメとして、その端緒を開いたのは1963年である。あらゆるジャパニメーションの原点ともいわれるこの作品はまた、わたしたち日本人にロボットの原像を与えている。この作品を幼少時に観ていた現在50〜60代の大人たちに大きな影響を与えているのはいうまでもない。

名作と呼び声の高い1話である「史上最大のロボット」は、2000年代に入り浦沢直樹により『プルートゥ』としてリメイクされた。『プルートゥ』は、『鉄腕アトム』に育てられたわたしたち日本人がもつロボットの原像に対する現在におけるイメージの変化が表れている。

動力源であり主人公の名にも表れている原子力への言及はまったくないが、その分、『鉄腕アトム』当時では希薄であった人工知能について緻密な描写がなされている。また、この作品の世界観は人工知能がイラク戦争を想起させる国際紛争の原因にもなっている。中東が国際紛争の火薬庫として描写されるのは現代性とも見てとれるが、原典なった「史上最大のロボット」でも中東系の王族の陰謀を描いている。ただし『プルートゥ』では、最大の敵はアメリカに似た「トラキア合衆国」のコンピューターであるし、繰り返し描かれているロボット差別は現代の移民問題のメタファーとしても読める。

この『プルートゥ』では、地球人口に匹敵する数十億の知能をインストールされ催眠状態に入ったアトムら高性能ロボットを稼働させるのが、「偏った感情」の装備であった。「ディープブルー」に与えられたような数億の選択肢のなかで、判断の基準となるのが「偏った感情」という、きわめて人間的な目的の装備なのである。

 

「モノ」の処理と「コト」の処理

 

友好も憎悪も、あるいは正義も悪をもAIが理解できるとして、その均衡を破るものが感情だとすれば、人間もまた同じかもしれない。そういう点で『プルートゥ』も擬人観のなかで創作されている。

是非善悪はデジタルに判断することは困難なことだ。感情を挟まない判断は困難で、しかも感情は経験によって培われるものとすれば、AIは人間のように経験を積むことができるのだろうか。経験とは記憶の蓄積ではない。ビッグデータは記憶の蓄積であっても経験の蓄積とは呼び難い。

それは日本語に特異な表現である「モノ」と「コト」の違いに似た違いだ。詳細は精神医学者である木村敏氏の著作を紐解いて欲しいが、簡便に説明すると「モノ」とは実体そのものであり再現可能な存在あり、「コト」とは再現不能な一回限りの事象を指している。日本企業は、「モノ消費からコト消費」を言うようになったが、体験やコミュニケーションを消費させる商品やサービスに対する提言が多くなされていることも思い出しておこう。

「モノ」と「コト」の違いについては、和辻哲郎以来、日本人哲学者の研究のひとつのモチーフとなっている。この探求にどんな意味があるのか。

それは、西洋とは違う知性観、知能観をもたらし得る。

わたしたち日本人は、ギリシャ哲学の時代から西洋で連綿と考えられてきたそれとはまた別の知性(知能)探求の歴史を持っている。

「モノ」に対する意味や解釈はデジタルに処理可能なものなのは言うまでもない。ホッブスやデカルトが先駆した機械論的世界観ではすべてが「モノ」として処理できる。そして西洋の知性観は多かれ少なかれ、現在でも機械論的世界観に影響を受けている。

しかし、「コト」は受容側によって意味も解釈もまったく違う。大げさにいえば1つの「コト」に対しても地球人口の分だけ意味と解釈がありうる。それが記憶の蓄積ではない「経験」の根源である。

日本人が無機物を容易に擬人化して親しむのは、この「コト」の受容にある。無機物を「モノ」として実体論で理解するのではなく、「コト」として関係論で理解しようとするからだ。無機物が話しかけているように思うのは、受容側の解釈によって成立している。日本人には、知性や知能がAI側だけでも人間側だけでもなく、AIと人間のあいだにあるという無意識が働きやすい。関係論で理解すれば、すでにAIは人間と同等の感情を持っていると言う日本人がいるのは無理からぬことだ。二次元キャラと恋愛し結婚する日本人オタクの心性とほぼ同じものだ。

「コト」にあたる領域をAIは処理することはできるのだろうか。処理したうえで最適解を導けるのだろうか。『プルートゥ』に描かれた高性能ロボットのように機能停止し、それを動かすのが、あの人間の猜疑心と恐怖心を契機とする「偏った感情」でないとは誰にもいえない。

 

Writer:
桐原永叔 Eishuku Kirihara / 編集者・ライター
1970年生まれ。シナリオライター、出版社勤務等を経て、現在、眞人堂株式会社代表。これまで多数の書籍の編集を手掛けてきた。著作に『ももクロ論〜水着と棘のコントラディクション』(実業之日本社/清家竜介と共著)がある。
 
Photo credit: Jérôme Sadou / CC BY
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