誰にも優しい街アキバを愛しむ

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飯嶋 徹

今や世界のオタクカルチャーの聖地といっても過言ではない東京・秋葉原。世界でもここでしか見られない多様なジャンルの混交と接合が生まれる。秋葉原が持つ魅力の本質を探る。

 

秋葉原。東京を訪れる外国人の人気スポットの一つである。しかし、この秋葉原は東京に住む日本人でも、はっきりと行く行かないが分かれる。

秋葉原は第二次大戦後に電気部品や製品の街、そして青果市場の街として発展してきた。総武線のガード下は権利者不在のまま部品店が占拠し、多くの電化製品の修理をしたい人、また自分で機械を作りたい人にとって便利なところだった。青果市場はその頃、築地が魚中心なのに対して、新鮮な野菜を飲食店が買い求めた。

もともと秋葉原、アキバはプロフェッショナルやアマチュアへの趣味性の高い街だった。その後、電気製品販売店、そしてアニメやメイド喫茶に変遷していくが、その趣味性の高さは変わらない。

日本を訪れる時、街によって服装や年齢、なんとも言えぬルールみたいなものを感じないだろうか?

私は、秋葉原で仕事をすること20年になるがこれほど多様な日本人の姿が見られる町はほとんどない。ゲーム、アニメ好きであれ、電化製品を探し求めるものであれ、異性装であれ、ビジネスマンであれ、年齢も性別を問わず、あまりに分類不可能な人々で溢れる。日本では多少奇妙なことだが、これほど「典型的でない日本人」が入り混じった場所はない。

趣味性の高さはふるまいや、服装を変える。様々な趣味性をもった人間が様々な趣味を楽しむゆえにアキバは自由と平等の街である。

それは同時に外国人にとっても、居心地のいい場所なのでもあろう。労働者も多国籍だ。私が出会った人だけでも、出身国はゆうに20を超える。そして多くの外国人観光客が訪れる。

10年前まではオタクもアイドルも少なかった。日本の人気アイドルグループAKB48がアキバを本拠にして10年あまり。アイドル、サブカルチャー、そして電気。最近になってラーメン、カレー、肉料理も集積地になっている。むしろ、他の街にある典型的な普通のファッション販売店の方が苦戦するぐらいである。

「典型的である日本人」の多くにとって、アキバは必要ではない。典型的であること=他人と同じことが日本では美徳とされるからだ。

アキバでは様々な職業、趣味、多くの差異が肯定される。混沌とも言えるだろうが、警察署の隣でメイドコスプレの女性がチラシを配っている街など世界にはない。ここはマニアでも、それほどでもなくても何か、変わったもの過剰なものを求めて人々が行き交う。そして警察すらそれを許す。

10年前まではオタクもアイドルもなかったが、趣味の多様化、流行でまた今後もこの街が提供するものは変わり続けるだろう。しかし、そこに集う人々、提供されるサービスが様々なことは変わらないだろう。それがアキバの歴史だったのだから。常に多様性を許容し続ける。

それゆえにアキバは愛おしい。

 

Writer:
飯嶋 徹 Toru IIjima
メディア、コミュニケーション、体験、モバイル分野のプロディーサー。テクノロジー、社会学、文化全般に関する雑誌、Web、書籍への寄稿も多数。
Photo credit: Urizev / CC BY
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