ゴジラが生んだ「中の人」への認識

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飯嶋 徹

怪獣映画、ゆるキャラなどなど、ほとんど日本独自で発達してきたといってもいい「着ぐるみ」。スーツアクターと呼ばれる「中の人」がもたらしたキャラクターの人間性は、日本人になじみやすい視点と親和している。

スーツ。コスチュームプレイというとアメリカではバットマンや、スパイダーマンだろう。

日本ではかなり事情が違う。

本格的な着ぐるみ、コスチュームプレイは世界的に有名なゴジラをはじめとして日本のSFX作品は世界に先駆けて中に人が入っていて演技をしていた。欧米ではコマ撮りであったキングコングや他の作品とは異なり、日本では独自の文化が発達した。

ゴジラのように重たい衣装を全身装着して、アクションや演技をするこの文化は独自のスーツアクター、もっともこれは和製英語で本来の英単語にはない、を生み出した。顔も出さず、息もしづらく、決められたアクションをカッコよく演じる。

もともと、これらは生々しいアクションを架空のモンスターやヒーローにさせるためでもあったが、一方で制作時間を短縮するためでもあった。

しかしスーツアクターは模型の破壊や火薬使用などを伴えば失敗は許されない。必要なタイミングにポーズを決められなければ即予算が飛んでしまう。今のように魔法のCGのない時代だ。

当初数十年前、無名の役者たちが訓練を重ね、このアクトに取り組んだ。

着ぐるみはその後、ウルトラマン、仮面ライダーという、今でも続編が作られる正義のヒーローとそのパートナーたち(敵や味方)を生み出した。

テレビでシリーズ化されるそれらは特殊効果の予算がなくても、子供たちの人気者としてシンプルに敵を倒すことができるストーリーを支えた。またドラマ性を深め大人の鑑賞に耐える作品、多数の映画を製作し、現在では一大ジャンルを形成している。

ゴジラやガメラを例外として、日本のこれらの着ぐるみヒーローはバットマンなどと違い、新作の度に(おおむね毎年)新しいキャラクターがつくられた。これは主に子ども向け玩具の新製品を買ってもらうためでもあるが、マンネリ化を防ぎ、時代に合わせたヒーロー像の変化に対応していくためでもあった。

このような経緯があって、日本では着ぐるみは、ゴジラやヒーローだけでなく、町おこし、観光、行政、果ては選挙にまで、キャラクターとして使われている。

先般災害のあった熊本県のPRキャラクターくまモンもイラストだけでなく、着ぐるみももちろんいる。さまざまなイベントに登場し大人気だ。

これらのさまざまなPRキャラクターは「ゆるキャラ」と呼ばれている。少しでも人気が出れば即座にゆるキャラの着ぐるみが作られ、もちろん中に人が入って決められた動きを行う。

子供たちだけでなく、多くの若者にとっても大人気だ。が、濫造されるため、あまり人気を得ず倉庫に眠っているか、破棄された着ぐるみも多数だろう。何しろゆるキャラのコンテストに参加するだけで200近くいるのだから。

低予算だがヒットした映画『ロボコップ』は、日本の子供向け着ぐるみ刑事作品に似たデザインとして日本側に許諾を得た。ロボコップではスーツアクターがいなかったため、主演はかなりの訓練を必要としたらしい。

日本のスーツアクターは偉大だ。名前すらほとんど出ないけれども。

低予算でも、中に人が居るのが分かっていても、着ぐるみ、そしてそのスーツアクターのアクションにキャラクター性を感じてしまうのが、日本流である。

現在でも着ぐるみヒーローはテレビ放映されているし、毎日のように可愛いモンスターのようなものが生み出され、働いている。

着ぐるみがいるのは遊園地の中だけではない。日本中のあらゆるイベント、現実世界にいる。もちろんピカチュウも。プロ、アマチュアを問わずスーツアクターはCG全盛の今もテレビ、映画、イベントで活躍している。名もなきアクション俳優として汗だくになりながら。

もしも日本で着ぐるみを見かけたら、それは歴史と由緒ある「あの」ゴジラの子どもだと思ってほしい。日本の子供たちは着ぐるみとともに育ってきた。

日本のネットジャーゴンに「中の人」というものがある。これは端的に企業やプロジェクトのインサイダーを意味しているが、「中の人」という言葉に、わたしたちは着ぐるみの中でそれを動かしている人をイメージしている。ヒーローや怪獣の背中にはスーツの脱着用のジッパーがあるというわたしたちに共通の認識と同じように、商品やサービスに付随するコンセプトやプロモーションの実態を覗こうとするのだ。

「中の人」、つまり虚構の内側の現実、それは命ないものに命を与えている存在であり、外からは見えない隠れた意図への想像をもかきたてる。

こうした認識のスタイルはすべてのものに命が宿っているという東洋的アミニズムとも基盤を同じくしているようである。モノには魂が宿り意志を持つ。その意志はときに親近感を抱かせ、ときに強い他者性を抱かせわたしたちを疎外する。

虚構の内側のあられもない現実を覗くように、わたしたちは無機物に内蔵された意志を推し量ろうとする。日本では、IoTもAIもそういった認識を前提にして進化をすすめいくような気がしてならない。

 

Writer:
飯嶋 徹 Toru IIjima
メディア、コミュニケーション、体験、モバイル分野のプロディーサー。テクノロジー、社会学、文化全般に関する雑誌、Web、書籍への寄稿も多数。
Photo credit: galactic.supermarket / CC BY
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