いい歳をした大人がSFやファンタジーを愛好する国・日本〜アニメが描いた日本の現在と未来②

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稲田豊史(構成:3rd.mobi編集部)

『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎)著者の特別連載・第2回。現実的なヒーローを拒否せざるをえなかった戦後世代。彼らが生み出したヒーローたちが活躍の場を見つけたのは、ファンタジーのなかだった。その理由を探る。

 

アニメとマンガのなかにヒロイズムを求めた大人たち

 

欧米では、アニメは子どもが見るものという風潮が根強くあります。しかし日本では、30代から40代の大人たちの多くが、ヒーローが活躍するアニメやマンガを好みますし、かつて好きだった作品に登場した印象的なセリフを名言と奉り、人生訓として後生大事にすることもあります。

これを日本人固有の幼児性と捉える論評も多々ありますが、ことはそう単純ではありません。日本には現実の人間をカリスマ的に持ち上げてヒーローとすることに、長らくアレルギーがあったからです。

それは、第二次世界大戦中、国が天皇を「現人神」として無茶な戦争の精神的拠り所に設定したこと、特定の軍人を英雄扱いして国民の戦意高揚に利用したこと、当時日本と三国同盟を結んだドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニが独裁者だったことなどが、大きく影響しているでしょう。

日本人は手痛い敗戦によって、信じていた彼ら(=ヒーロー)に裏切られたと感じ、傷つきました。結果、その後の戦後教育も手伝って、社会や政治に大きく関わる特定の人物を「ヒーロー」と持ち上げて熱狂することを本能的に避けるようになったのです。そのため戦後日本では、ジョン・F・ケネディのように国民的熱狂と喝采を受ける政治家のヒーローは誕生しませんでした。

しかし、いつの時代、どこの国でも、大衆は心の拠り所として「ヒーロー」を求めるもの。社会的・政治的なヒーローを置かないなら、宗教的指導者がそれに代わるところですが、日本は世界でも珍しく無宗教の国民が多い国なので、それも叶いません。そこで、ヒロイズムのカタルシスを満たす役割を果たしたのが、フィクションであるアニメやマンガでした。

30代から40代の男性が幼い頃(主に80年代)に親しんだアニメやマンガの製作者は、戦前生まれであれば敗戦の痛手をもろに受けており、戦後生まれなら戦後民主主義の洗礼を受けています。そんな彼らは、たとえフィクションであっても、ヒーローが時の首相と握手して政治的権力の一端を担うようなことを良しとしませんでした。

それゆえ、彼らが製作するヒーローの活躍の場は、リアルな社会ではありませんでした。未来や遠い過去の話だったり、舞台が地球以外の宇宙や完全に架空の世界だったり。つまりSFやファンタジーというフォーマット上でのヒーロー作品が多数作られたのです。

また、「学校内の部活動」といった非常に狭い世界を舞台とすることで、現実社会との関わりを断ってフィクションに浸るという方法論も生まれました。日本のアニメやマンガに「スポ根(スポーツ根性)モノ」が多い理由のひとつです。

いずれにしろ、日本ではアメコミに散見されるような、現代社会の政治体制にヒーローがコミットするような作品は、生まれませんでした。

日本人の3、40代がいまだにフィクション内にヒーローを求め、生きる指針とするのは、現実社会にそのようなヒーローを求める習慣がないからです。もちろん現在の日本にも、政治家や起業家で社会のヒーローたりうる人物はたくさんいますが、3、40代が幼い頃に洗礼を受けた『ドラゴンボール』の孫悟空や『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルのカリスマ性には勝てません。これからも勝てる見込みはないでしょう。

 

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Author profile:
稲田豊史 Toyoshi Inada / 編集者、ライター
映画配給会社、DVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランスとなる。得意分野は、映画、マンガ、アニメ、女子論ほかポップカルチャー全般。著書に『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)など。
Photo credit: Carlos Torres / CC BY
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