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「資金決済法」に込められたメッセージ 杉浦宣彦

構成・文/大賀真吉

まだ世間では目立った動きがないようにみえる2010年4月施行の「資金決済法」。だが、この法整備の裏には、社会のパラダイムシフトを予感させるものが隠れている。ダイヤモンド社より『決済サービスのイノベーション 資金決済法で変わるビジネス・生まれるビジネス』を刊行した、中央大学ビジネススクール教授の杉浦宣彦氏に聞いた。

資金決済法が指し示すものとは

今年(2010年)の4月に施行された「資金決済法」には、金融庁の「決済に関する研究会」のメンバーならびに金融庁特別研究員としてお手伝いさせていただく機会を得ました。昨年6月に国会で法案が成立して以来、社会的な関心が高まり、とくにIT業界では非常に関心が高く、テレビをはじめとするマスコミからも、資金決済法でどのようにITビジネスが変わるかといった取材や問い合わせが多くあります。

ただ、最初にお話ししておきたいのは、この法律によってITビジネスのチャンスが生まれるのは間違いないのですが、法律自体が何かしら新しい枠組みや可能性を提示するものではないということです。

今やネット上での決済は、さまざまなかたちで利用されています。たとえば電子マネーや代金引換といった決済手段があれば、ポイントを購入するかたちで仮想通貨を利用するサイトも数多くあります。これらの多様なネット決済がネットの便利さ、面白さを高めてきたといえるでしょう。

こうした役割はとても重要なのですが、その反面、これまではネット決済のいくつかの部分では、法的にユーザーが守られる仕組みがありませんでした。従来から前払式証票規制法、いわゆるプリカ法では、商品券やテレホンカードなどプリペイドカードの発行元に一定の供託金を提出させ、発行元が倒産してプリペイドが使えなくなっても、ユーザーに一定額が還付される仕組みがありました。電子マネーでも交通系のSuica(スイカ)やPASMO(パスモ)などは、この法規制のもとに発行されています。

しかし、以前、カードなどがなくサイトだけで使われる電子マネーやポイントには、こうした規制がかかっていませんでした。コンビニなどで「○○マネー」という名称で売られていたものも、規制の外でした。ユーザーにとっては現金感覚なのに、実は利用前に支払った金銭が法的に保護されていない、そんなケースがあったわけです。

ITの進化とともに多様な決済サービスが提供されつつある今だからこそ、一度ここで「決済手段」について考え、きちんとルールを定めておきましょう、というのが資金決済法の本旨です。

ですから、今までのビジネスの枠組みはそのままで、ただし共通化したルールや約束事を守りましょう、ということであり、決して新しい仕組みということではないのです。逆転する信用力と決済の保証

もちろん現金感覚の電子マネーが、実は法的に保護されたものでなくとも、現実的に領収書などがあれば、決済を扱っている企業はユーザー本位で対応してくれます。わかりやすい例では、たとえば宅配業者の代金引換サービスでユーザーがお金を払ったのに、事故でそのお金を紛失してしまうようなケースもあるでしょう。でも、領収書さえあれば宅配業者はユーザーの代わりに代金を、商品の発送元に支払ってくれます。

しかし、それはあくまでも企業の努力です。企業やサービスの信用を守るために努力してくれているのであって、法的にユーザーが保護されているわけではありません。

個人経営の喫茶店のコーヒー券が、ある日突然、喫茶店が閉店されて使えなくなった。そのコーヒー券の代金は誰も保証してくれませんよね。これと似たような問題を、本質的には含んでいるのです。

企業の盛衰が激しい現在では、非常に信用力の高い企業でも、その信用がいつまで続くかは、それこそわかりません。また、とくにネット上で電子マネーやポイントを発行している企業は、規模もさまざまです。企業のライフサイクルが安定していない今、普遍的にユーザーの権利を守ろうとすれば、どうしても最低限の利用者保護のためのルールが必要になってくるのです。

また、企業の信用力という点ではこんな話もあります。

ヤフーや楽天といった大手IT企業が電子決済のサービスを提供していますが、従来こうしたサービスは、内部的には法的に業務が認められている銀行などの金融機関と提携して行ってきました。形式的には、銀行法によって認められている金融機関の持つ機能を大手IT企業がまた借りしていたわけです。

ところがです。現実を見れば今や、ちょっとした金融機関より大手IT企業のほうが信用力が高い。少なくともユーザー目線ではそう見えます。そうなると、何か新しい事業を行うのに、信用力があるほうがないほうの持つ機能に頼るという不可思議な逆転現象が起きているようにも見えます。ユーザーの安心という視点からも、よほどIT企業が堂々とサービスを提供したほうがいいのではないでしょうか。

この10年あまり、金融機関の破綻とIT企業などの成長で、相対的に銀行の信用力は流動的になっています。銀行には預金保険制度などがありますが、それが現実に必要なほど信用力が下がっているという見方もあるでしょう。その一方で、金融業の世界へ信頼に足る企業が他の業種から参入し、事業者が多様化する流れがある。ソニー銀行やセブン銀行が生まれた背景も、同じ流れにあります。

こうした他業種からの金融参入によって、金融業界の価値観は大きく変わりました。顕著な例にネット証券が挙げられます。株式の電子化と相まって、今ではかなりのユーザーがネット証券にシフトしました。従来の対面式に感じる煩雑さから解放され、手数料も安価。つまりプロセスと価格、このふたつの手軽さがネットでの決済を促進し、相乗的に金融のIT化が進んだのです。そして金融業への他業種からの参入で最後に残っていたものの一つが、この資金決済法で開放された送金ビジネスでした。

 

はじめて導入された決済ルール

銀行の役割には大きく3つあります。預金と貸出、為替です。為替とはほぼ送金のことを意味していて、売買等の決済の役割を果たしています。

この送金ビジネスをめぐっては、日本と海外では状況が大きく異なっています。海外、とくにヨーロッパでは諸国が陸続きということもあり、古くから国や地域を超えた人の移動も頻繁で、送金サービスの需要がありました。またアメリカでは、州ごとに銀行法が定められており、州をまたぐ国法銀行と州内だけに本支店を持つ州法銀行がありますが、その間が統一的なネットワークで結ばれていないこともあり、手数料が高かったりするという問題がありました。そうしたことから、送金業者が大きな役割を果たしており、さまざまなサービスが提供されています。

それに対し日本では、ATMをはじめ銀行のネットワークが広く細かく普及しており、銀行を介した送金に不便を感じません。そのため、決済手段の多様化がほとんど進みませんでした。

それを変えたのがITの登場でした。とくにネット上で利便性の高い決済手段が求められるようになり、さまざまな決済手段が登場してきたのです。

ところが日本では、決済全般に関する法律がありませんでした。為替をふくむ銀行の業務範囲については、業法として銀行法によって定められましたが、一般的な決済の規定は民法を準用するだけのものでした。つまり、銀行だけが特別な存在として、決済に関われる権限を持っていたのです。先ほど申し上げた大手IT企業が決済を扱うにあたって銀行と提携するような話も、理由はここにあります。

しかし現実には、さまざまな決済手段が存在してきたわけで、そこに守るべきルールを持ち込んだ。それが資金決済法といえると思います。

ただ、この法律に関しては、そうした真正面の理由と同時に、少しずつ増えてきた違法、またはクレームのある電子決済への現実的な対応という側面もあります。従来、電子マネーなどの発行元がいくらしっかりやっていても、末端の店舗まで管理するのはなかなか難しいものがあったでしょうし、また違法なコンテンツへの代価などに使われることもあったのですが、その現場を押さえることも非常に難しいでしょう。

さらに、規制を受けていない業者のユーザーが不利益を被っても、誰に訴えればよいかわからない。たとえば今や旅行チケットを申し込んだ旅行代理店が倒産しても、保険などなんらかのかたちである程度補償されますが、銀行以外の決済業者ではそのような保護をほとんどユーザーは期待できませんでした。こうした対策の第一歩として、統一したルールと一定の保証の仕組みを持つ事業者のネームリストを作成するという目的も、資金決済法には内包されています。

 

難しい企業コストと消費者保護のバランス

このような権利保護は、ユーザー視点からすれば、重要な問題だと思います。第一に守られるべきものと思いますが、反面、それと同時に運営する企業にとって負担増となるのもまた事実です。資金決済法では、そうした企業側の負担は、主に2つ挙げられます。供託制度と本人確認の手続きです。

まず供託制度については、資金移動業では、100%完全保証ということで、預かったお金を全額供託する仕組みになっています。このこと自体は確かに企業にとって大きな負担なのですが、その代わり供託する資金力さえあれば制度上は誰でも利用できる、つまり大幅な門戸開放を意味します。

この負担と開放のバランスが難しいのですが、銀行などの金融機関は法制度を含むさまざまな仕組みのもと、長年かけて潰れにくい組織づくりをしています。しかし、IT業をはじめとする一般の企業は相対的に、そこまでの組織づくりがあるわけではありません。開放を謳いながら、実質的には資金力の面から新規参入が困難な点はありますが、決済の安全性の点からもスタート地点としてはやむを得ないと思います。

ただ、2つめの本人確認手続きについては、あらためて振り返ると、今後、改善の余地があると思います。

振り込め詐欺をはじめ、最近になって送金を利用した犯罪が目立つようになってきました。そこで銀行の振り込みをはじめ、本人確認が厳しくなり、資金決済法でも警察などから犯罪への対策という点で強い要望があったと聞いています。その結果、当初、少額送金であれば本人確認は不要という枠組みが考えられていたのですが、結局は口座開設時に、すべて本人確認が必要ということになりました。

しかし、電子決済は主にネットでの決済を想定しており、ネットはもともと低コストを前提に運営されていることがほとんどです。そのため、銀行などの対面サービスと比べ、相対的に本人確認のコストが高くなってしまいます。

先日、あるアプリケーションを購入したのですが、私たち大学教員は割安のアカデミックパックの恩恵に与れます。ですが、インストールしてみると30日間の試用版であり、正式なインストールには、学校の身分証明書を携帯電話のカメラで撮影して送信し、シリアルキーをメールで配信してもらうことが必要でした。こうした手続きも、以前のような身分証のコピーを郵送するといった手間に比べれば楽になりましたが、それでも基本的にネットで完結するサービスを提供しているIT業界にとっては、本人確認をどう行うかは難しい問題です。

こうしたITによる決済は「お金の流れ」を非常に手軽にしますが、違法なお金の流れを抑えることを難しくします。資金決済法と(事業者の)ネームリストについて先にお話ししましたが、こうした犯罪抑止にかかる取り組みは、ITのコスト問題とバランスを取りながら進めていかなければならないことです。

ただ私自身、電子決済は少額決済にこそ有効と考えています。法制上、小さな決済と大きな決済を区分することは難しい面がありますが、小さな決済に対し過重な負担をかけるのは、角をためて牛を殺すようなものです。

今後は、たとえば10万円以下の決済には本人確認は不要といった、声をあげ続ける取り組みも必要だと思います。

 

変わる「財産権」の概念

少額決済と電子決済の相性では、一例として、SNSのような情報の流れとお金の流れが一致するような業界でニーズが高いと感じています。また、ネット上での物々交換などでも有効だと思います。コミュニティにおいて情報の対価を支払うような、カルチャー系と相性がよいのではないでしょうか。実際、そうした業界の方からもよく相談を受けます。

アップルのiPad やアマゾンのKindle をはじめ、電子書籍が最近よく話題にのぼります。こうしたカルチャーを担っているコンテンツ産業においても、電子決済は重要な役割を果たしていくだろうと予測しています。

コンテンツ産業は今、非常に注目されている一方、著作権など無形の財産の保護も課題となっています。ただ、日本国内にいると気づきにくいですが、そもそも日本は、コンテンツの価値に対価を支払う意識、そういうモラルともいえる感覚が、非常に進んでいます。無形のものであっても恩恵を受ければ、なんらかのかたちで報いる、報いたいという意識が、人間関係が希薄化したといわれる現代でも、根強く残っているのではないでしょうか。

また無形の財産と言いましたが、財産という概念もITによって変わってきています。財産権というとみなさん、「これは私の物で、あれは彼の物」といった区分を想像されるでしょうが、これは所有する区分を示す考え、いわゆる所有権の概念に当たります。しかし、それ以前に所有することの価値、つまり「それは財産であるのか?」といった大前提の概念や認識が大きく変わってきています。

たとえばブログにしても、お金を払ってでも読みたいブログもあれば、本や雑誌といった著作物に引用することでお金(権利)が発生するブログもあります。どこまでが金銭的には無価値であり、どこから先が価値ある財産と呼べるのか、非常にあいまいになっています。お金を払う価値のある財産であるか、また財産であるなら一定のプロテクションを講じる必要がある、といった考え方が今まで以上に大切だと思います。

そういう意味では、資金決済法の枠組みも同じようなことが言えます。当初はサイトや店舗での利便性から発行元と利用者が納得ずくで、比較的狭い領域で利用されていた決済が、広く普及することで一般化してきたということであれば、その仕組みや利用者のためのプロテクションも必要だということです。

 

IT業界が迫られている課題

IT業界は急速に発展したことで、ある意味、規制のない、もしくは少ないところで比較的自由にやってきた。その自由度がよい方向に働いて、ITはベンチャーワールドで育ってきました。そして、そのことが業界の活性化につながってきた。この点は評価すべきことです。

しかし、ベンチャーであるがゆえに企業の合併や売却なども多く、親会社と子会社などの力関係も強く働くといった不安定さも持っています。決済会社のPayPal にしても、ユーザーをはじめ社会からの安心感は、単にこれまでの実績だけでなくeBay という大きなIT企業が親会社であることも一つの理由ではあるでしょう。そのような意味で、ベンチャーから成長し巨大産業となったIT業界には、今後、信頼性を生みだすコンプライアンスが求められる部分が強くあると思います。

コンプライアンスは本質的には、しばしば和訳される「法令遵守」という言葉から単に、法律を守りましょうという話と思われがちですが、これはIT業界に限らず、日本の企業がよく勘違いをしていることです。

「法的責任分解点」という言葉があるのですが、どこまでが負わなければならない責任か、また訴えられたときはどこまでリスクを背負うのか、そういう責任区分はどんな仕事、業務にも存在しています。こうした企業にとっての法的責任を確実に把握する、そういったリスク管理、これはガバナンスやCSRにもつながりますが、それがコンプライアンスのもっとも重要なテーマです。コンプライアンスは「法律を守ろう」「ISOなどルールを尊重する」といったイデオロギーではなく、まぎれもない企業統治の一手段なのです。

今でこそ複雑化しましたが、元はといえばITはデータをAからBに移す、こういった作業を受託したり、その相談に乗ってコンサルティングを行うようなところから出発しました。そのため、企業の責任というのは十分に理解していますが、急激な成長もあって社会への責任をどう考えるかという視点では、課題も多いと思います。

そのように考えると、今回の資金決済法はIT業界、IT企業の今後の試金石となるのではないでしょうか。

資金決済法では、その規制部分に注視して、業界の自由度が制限される法律という見方があります。一方で、新たなビジネスチャンスと捉える向きもあります。しかし根っこの部分には、もっと大きな意味合いがあるのではないでしょうか。一般に、ネットは社会のインフラ、といわれるようになってきました。ここで決済という社会に不可欠な機能を担うことで、本当に公共的な立場に、ネットは就くことができるのか、それだけの責任を果たしていけるのか、そういった試練の場だと思います。

決済は商品やサービスと異なり、とにかく資金がきちんと相手方に着かなければならないという点で価値評価がはっきりしているものです。少額、高額にかかわらず、社会に対して決済の安全性という責任を負うことにもなります。つまり企業活動で重視される効率性や利便性ではなく、確実性や安全性が最重要になってきます。これは、実務をかつてやって

いた立場だからわかるきつい決済の一面です。

自由闊達に、目標に向かってがんばっていればよかったIT企業が、今度は社会的責任という強い枠を背負って、社会の大きな一翼を担う産業として、さらにもう一皮むけるか、これからがさらなる正念場なのではないでしょうか。資金決済法が拓く新しいIT

資金決済法はこのように、単なる法整備でなくIT業界に非常に大きな問題を提起する、エポックメイキングな出来事になりえます。にもかかわらず、当事者のIT企業は必ずしも、表立って盛んに活動しているわけではありません。もちろん、私の研究室に相談に来たり、研究会を開いたりしていますが、むしろ今は今後のビジネスモデルを考えるなど地道な取り組みに終始しているように見えます。

資金決済業への参入に躊躇しているように見えるのは、IT業界で目端の利く人ほど、今、自分たちがどのような場に立たされているか、真剣に受け止めているためではないでしょうか。

繰り返しになりますが、社会に対する決済の役割とそれをビジネスとして行う責任は非常に重いものです。これにIT企業がどのように応えることができるか、世間の耳目が集まることでしょう。今までITが携わってきた責任に比べ、はるかに高いハードルをいかに乗り越えるか、それで評価されてしまうのですから慎重になるのも当然だと思います。

しかし、これを乗り越えれば、ITはさらに大きな可能性を切り拓けると思います。

これまでもITの進展はビジネスだけでなく、社会の商流と金流を大きく変えました。そして商流ではITやネットの占める役割が大きくなりましたが、金流では、いわゆる狭義の金融業が規制・保護されていたため、表面的にはITサービスであっても、内実は金融機関が行っているケースも多く見られました。ただ仕組みがどうであれ、事実上ITによって金融サービスは多様化し、また複雑化している。その結果、既得権益で金融サービスを独占できるはずの金融業も、IT抜きに成立しない時代となっています。

そのような状況下で、資金決済法がきっかけとなり、ITというインフラにさらなる可能性を与え、もしかすると既存の例外規定である銀行法で守られた金融ビジネス全体を大きく変えていくかもしれません。

資金決済法の施行でIT企業は、今までのように金融機関に看板や名義を借りることなく、堂々と決済業に参入できるようになりました。しかもIT業界には、大手金融機関以上に信用力を持っている企業もあります。資金決済法が銀行法に大きなインパクトを与え、IT産業が金融業とより融合するということも視野に入ってくるでしょう。

元来、産業には新陳代謝が必要です。よその血を入れて新しい産業を生みだし、経済も活性化するような仕組みがなければ、業界は旧態依然となり陳腐化するだけです。資金決済法も、活性化を進める一つの薬なのかもしれません。

IT産業が資金決済法という壁を乗り越えられるか、今後のIT業界の取り組みに、大きな期待を寄せています。